何しろ、かつては外から見ても分かるほど混んでいた街の病院の待合室がガラガラであることが多かったし、私の周囲では陽性者がまったく出ていない。これまでにたった2人だけで、そのうちの1人とは8年ほど会っていない。フェイスブックの報告で知っただけだ。
しかし、こういうことを言うと、「あなたはそれを医療従事者の前で言えますか!」「あなたはそれを遺族の前で言えますか!」とテンプレート式の反論が山ほどくる。つまり、高橋氏の「さざ波」という言葉があれだけ非難轟轟になったのは、「コロナは『ヤバ過ぎます』という点について一切異論を挟んではいけない」という空気感が完全に醸成されているからだ。
〈 谷原章介、「さざ波発言」で辞任の高橋洋一氏に怒り「頑張っている人みんなをバカにしている」〉
この谷原氏の番組中の発言にしてもそうだ。『王様のブランチ』(TBS系)などでユーモアを交えた見事な司会ぶりを見せていた彼でさえ、「コロナはヤバ過ぎます」「コロナへの軽視発言は万死に値する」という空気に飲まれてしまったのだ、と愕然とした。
私がこのコロナ騒動を見ていてとんでもなく虚しく思うのは、人は個々人によって恐ろしいものは違っていいはずなのに、コロナについては一律に、そして過度に怖がる点である。さらに、怖がらない人間は人でなしの烙印を押され、非常識で誰かを死に至らせかねないテロリスト予備軍である、と糾弾される点だ。
人がコロナ以外の理由でも簡単に死ぬ脆い存在だということを忘れているのだろうか。
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/80251
私がコロナをそこまで恐れていない(というかまったく恐れていない)のは、私にとっては鬱病と若年者のガンの方がよっぽど恐ろしいからである。鬱病が原因で20代・30代で深い関係性にあった知り合い(大学の同級生・大学の先輩・取引先・会社の同期・婚約者)を5人亡くしているし、若年性のガンについては、42歳だった大阪の知り合いにガンが判明、そこからの急展開をこの目で見た。
兵庫県明石市の高度なガン治療ができる施設に見舞いに行った時はまだ元気だった。だがその8ヵ月後、京都の病院に転院したころにはガリガリにやせ細っており、少量の食事を終わらせるのに1時間もかかる状態だった。帰り際、病院の入り口近くで「オレは死にたくないんです! また、中川さんと一緒にビールを飲みたいんです!」と慟哭し、1ヵ月後に亡くなった。
彼は自分が生きた証を残したいと言い、「オレを何かの雑誌に出してください!」と依頼してきた。週刊SPA!編集部からは「40代のがん患者が死ぬ前にやっておくべきこと」という特集を依頼された。彼は、まだ元気で死ぬことは想定していなかった時期に、若干の自虐ネタも交えてインタビューに応じてくれた。「あぁ、これで一つオレが生きた証ができました。ありがとうございます」と言われた。
このように、実際に交流のあった人たちが亡くなった経験から、私にとってはコロナより鬱病と若年性のガンの方がよっぽど怖いのだ。
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