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: アサイラム・ピース 2 : 『アサイラム・ピース』より6編 : 目次   目次

アサイラム・ピース 1

場面は今しも何か明るく陽気な軽喜劇が始まろうとしている舞台そっくりにしつらえられている。奥の方に大邸宅の一階部分が垣問見え、その左右の扉はテーブルと椅子が何組も並んでいる広いテラスに向けて開いている。正面には庭に続く低い石の階段。淡い色の巨犬な石柱がテラスの屋根を支えている。両翼の端の柱の奥に見える家の壁は、華やかなオレンジと紫の花房をつけた蔓植物に覆われている。満開の喇叭型の花が幾つか風に運ばれて、婚礼の行列の足もとに撤かれたかのように石段に散っている。前景、劇場ならば観客席にあたる場所からは中景の湖のある低地とその彼方の山なみにまで及ぶ壮大な展望が得られる。全景に眩ゆい真夏の陽光が溢れている。

最初は誰の姿も見えない。群をなす鳩が翼を翻えして二度旋回し、上空の蒼に溶けこんでいく。

テラスの右端の扉が開き、大勢の人が現れる。身なりのよい様々な年代の男女で、あちこちに立ちつくし、またグループでテーブルにつく。彼らは昼食を済ませたばかりである。ある者は煙草をふかし、ある者は片手にコーヒーカップを持っている。 彼らの最も際立ったところは、その静寂だろう。話をしているのはごく少数で、他の者はあたかも一時的な仮死状態にあるか、あるいは何をするべきか教えてもらうのを待っているかのように、呆然とした様子である。やがて、彼らはゆっくりと漂うようにテラスを横切りはじめ、一人また一人と左手の扉の奥に消えていく。権威者の立場にあるらしい灰色の髪の女が彼らを誘導しているのがわかる。彼女は四人のグループを左端のテーブルに坐らせて一組のカードを渡し、一人がそれを機械的な手つきで配る。

暗色のスーツを着た肥った男がテラス中央の最も坐りごこちのよさそうな椅子を占領している。四十歳くらいで頭が薄くな りはじめており、丸く赤い陽気な顔つきである。彼は新聞を拡げて読みはじめる。何か、明確には指摘しがたい何かが、先ほど去っていった人々と彼とを区別している。おそらく、それは彼が灰色の髪の女の支配外に置かれているという、ただそれだけのことなのだろう。彼は《教授》である。

一、二分ののち、左手の扉が開き、三人の新しい登場人物がどこか人目を忍ぶような様子をみせて現れる。三人が巧みに権威者の手から逃れてきたのは明らかである。《教授》を見ると彼がそこにいることを予期していなかったらしく、三人は不安気にためらうが、《教授》は新聞ごしに笑いかけ、寛大な手つきでそのまま進むよう合図する。安堵した三人が通り過ぎていく時、カードをしている四人は微かな好奇心を見せて視線を向けるが、三人は進みつづけてテラスの最上段、《教授》の真正面に腰をおろす。

しばらくの間、三人はそこに無言で坐ったまま、黒眼鏡を通して眩光の奥をみつめている。三人組の真中の人物は黄色い髪の若い女性である。彼女は淡いピンクのドレスを優雅にまとっている。右側にいるのは耳の尖がった若い男で、欝々たる想いに耽りながら半ば悪意のある牧神の表情を浮かべている。反対側にいるのは悲しげなユダヤ人の顔を持つ年長の男であみ。三人の間の不思議な類似性は驚くべきものであるが、これは単に各人が優雅でほっそりとしており黒眼鏡をかけているという外観のみに発するものではない。

カードをしている四人は、一度は曖昧な探索心を表わしたものの、過ぎ行くものに対してそれ以上の関心を示すこともなく、命じられたゲームを無感動に続けており、それぞれが一個の時計の針であるかのように機械的な手つきでカードを配り受け取っている。《教授》が音高く新聞をめくる。段上の三人は身動きひとつせず、互いに近接していることによって、また束の間の逃亡という意識によって一種表現しがたい慰めを得ている。

不意に湖に方角から一群の鳩が飛び立ち、輝く翼を閃めかせてテラスの前で低く旋回する。と同時に、その翼のはばたきを見て突然生命を取り戻したかのように、三人は階段から立ち上がり、一体となった同じ悲痛な叫びを上げる。

今こそ三人に共通する恐るべき類似性がどこにあるのかがこのうえなく明白に判明する。華著な優美さと見えたものが実は憔悸の姿であることが暴露される。上を覆う布地の奥から衝撃的に突き出している腰骨、抵抗する肉を今にも破らんとしている頬骨。

関接構造が拡大された三人のマッチ棒のように痩せた細長く力ない手足がひきつり、《教授》が笑いを浮かべた人形使いのように急いでコントロールすると、その糸に三人は絶望的に服従する。そして三つの黒眼鏡の奥から大粒の涙が溢れ、彩色されたマリオネットの頬を伝ってゆっくりと石のテラスに滴り落ちていく。



hiyori13 平成18年7月6日