“自分”を意識する大切さ
念願叶ってディレクターデビューを果たしたのですが、最初は一度染みついた“制作進行”気質がなかなか抜けず、戸惑いの日々を過ごしました。制作進行は、相手の意見を伺って調整をする、相手の提案をくみ取って合わせるなど、相手軸に立つことが大事。一方でディレクター業は「“自分”がどうしたいのか」という、自分の意思を求められます(もちろん相手に合わせることも大事!)
「何が良いと思ってこれをやったのか」「どういう演出意図でこれをしたのか」そんな自分の思考を何度も問われ、改めてディレクターという仕事の責任と面白さを感じたことを覚えています。
もちろん始めの頃は、ロケ後の映像のチェックで「いやいや普通こういうときはこう撮るでしょ!」「なんでこれ撮ってないの!?」と初歩的なことで叱られることも。その度に、先輩ディレクターの原稿や映像を盗み見たり、テレビ番組をくまなくチェックしたりと手探りで学んでいく中で…徐々にアイデアを褒められるようになりました。
また、制作進行時代に番組作りの段取りを学べていたことは、ディレクターになった後も大きなアドバンテージになりました。特に最近は働き方改革の影響で、今までADがやっていた業務をディレクターがやるようにもなっています。リサーチや撮影場所の仕込みから番組によってはディレクターがスケジュールの段取りをおこなうこともあるのですが、私は“制作進行”の経験で全体の流れが分かっているため、色々なジャンルの番組へ行っても比較的スムーズに動くことができています。
一歩ずつ、ディレクターとしてのステップを
撮影時間・収録日数が少ない現場は、ディレクターの腕の見せどころです。スケジュールの状況によって撮影するものの取捨選択をし、何を撮影するのかはもちろん、“何を撮影しないのか”の判断をしていくことも重要になります。
しかし、実際に撮り始めるとこだわりが出てきてしまうのも事実で…「出演者のトークが盛り上がっているところはしっかり膨らませたい」「こっち側からもカメラで撮っておきたい」「やっぱりこのインサートも撮りたい」「やっぱりこの後もインタビューを撮っておきたい」…と欲求が爆発することもしばしば。
昨年「僕ら的には理想の落語」という番組のドラマを撮影したときのこと。スケジュールの“押し”や“巻き”を半ば無視して撮影をおこない、気付けば現場の進捗が押しまくってしまったこともあります。最終的には総合演出が「いいかげんにしろ!」と出てきて、現場の指揮を奪われる事態に…。その後ものすごく叱られましたが、もっと悲しかったのは押したせいでさらに先のシーンを断念せざるを得なくなったこと。短所である優柔不断な性格、そして計画性のなさが炸裂してまった結果でした。自らの考えるイメージや番組づくりを形にできる点はディレクターのやりがいの最たるものですが、一方で形にする上での条件を意識する大切さを学んだ出来事です。
きっとこれからも、慣れない業務に出会うたび苦労するとは思いますが、一歩ずつステップを上がっていければと思います。 長年の夢は、リアリティショーと映画の制作。過去の自分自身の心を震わせた“作品”に並ぶものを作るため、試行錯誤中です。
※内容は、すべて取材当時(20年11月時点)のものです