何かを諦めたとき、その判断が本当に良かったのかどうか?
の測定を誤らないための俺的心得です。
たとえば仕事を辞めたとき
・辞めて爽快
・会社に行かなくていいのは気持ちいい~
・ぐっすり眠れてスッキリ起きた
仕事を辞めたときにこんな感情になっても、グッと堪えます。
本当にその仕事を辞めて良かったのかどうか?は、
別の観点(たとえば「今後の自分の行動」など)でこそ測れるはずです。
逆に
・心が苦しい、喪失感が大きい
・後悔、(同僚や顧客や家族に対して)申し訳ない
・次の人生のイメージができない
「こんな感情になるということは、自分にとって会社は大事だったのだ」
と思うのも誤りです。
味わう感情が爽快感であっても喪失感であっても、
もう少し冷静に考えましょう。
仕事以外でも、何かを「辞めたとき」「諦めたとき」「失ったとき」は
爽快感あるいは喪失感を覚えると思います。
・仕事を辞めたとき
・事業などのプロジェクトを断念したとき
・何らかの目標を諦めたとき
・バンドを抜けたとき
・大金を使ったとき
・恋人と別れたとき
・友人との関係を断ったとき
・介護が終わったとき
・子育てが終わったとき
・大事にしていたコレクションを手放したとき
その一時の感情で過去のすべてを振り返って、
物事の大小を考えるのは良くありません。
「辞めたら気持ちがラクになった⇒これは辞めても良いことだったんだ」
こんな捉え方を正とすると、介護も子育ても結婚も仕事も恋愛も、
すべて自分の人生には必要なかったんだという意味不明な誤解につながります。
また、
「辞めたらとてもシンドイ⇒辞めなければ良かったんだ」
こんな捉え方を正としてもドツボで、
いつまでもしょうもない物事(あるいは他人)に縛られ続ける人生につながります。
辞めたときや失ったときの喪失感で物事の大きさは測れませんし、爽快感で物事の小ささも測れません。
気持ちを落ち着けて、正確に計測しましょう。という提案でした。
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