「ヤフーニュース個人」をクビになった私が見た「個人発信ニュース」の歴史的な意義(中編)

テレビの「問題」を発信してBPOが動く

映画監督の是枝裕和さんが以前、BPO(放送倫理・番組向上機構)の委員をしていた頃に教えてもらったことがある。

「BPOの委員会では水島さんが『Yahoo!ニュース個人』に書いた記事のコピーが毎回のように配られるんですよ。かなりインパクトがありますよ」

テレビの取材者・制作者の「原則」や「倫理」をめぐって私が書いた記事は数多い。NHK「クローズアップ現代」の“出家詐欺”での「やらせ」疑惑。日本テレビ「世界の果てまでイッテQ!」での「やらせ」疑惑。東京メトロポリタンテレビの「ニュース女子」をめぐる「虚偽報道」の疑惑など、その後にBPOで審理または審議されることになるような事案についてかなり早い段階から問題提起してきた。

「テラスハウス」の出演者だった木村花さんの死につながった番組もそうだった。テレビ局が制作する番組が今や地上波での放送だけでなく、ネットでも配信され、PR動画がネット配信される時代になって放送と通信が入り乱れるなかでSNSでの誹謗中傷から出演者を守る大切さや課題を解説する記事などを書いてきた。

著名人が自殺した直後のテレビの報道あり方をウォッチし、WHO(世界保健機関)が出している「報道ガイドライン」を遵守しているどうかもたびたび検証してきた。最近の事例では三浦春馬さんが亡くなった時にはかなり目立った「ガイドライン違反」をネットニュースで指摘した後に起きた竹内結子さんの死のニュースではかなり減少したことなどを確認し、報道機関としてのテレビにも意識の改善が見られることを伝えた。こうした改善はネットニュースでの指摘で問題に注目が集まったせいでなされたものと考えられる。

「共感」が伝わるメディア

気がついたことがある。

ネットニュースでの発信は「正しいかどうか」という「理屈」ももちろん大事だが、それ以上に「感情」の面で「共感」されるかどうかは同じように重要だということだ。

2013年に放送された朝ドラの「あまちゃん」。私自身はテレビドラマ専門の評論家ではないが、東日本大震災を背景として描き、その傷跡からの再生をテーマにしたドラマ「あまちゃん」にはすっかりハマってしまった。映像表現での注目点などを原稿にして何度か発信したが、共感を示すような反響がかなりの数寄せられた。自分が心を動かされた時にそのことを発信すると同じように心を動かされた読者が共感しながら読んでくれることが反響から分かった。

こうした時には主観的な文章になりがちだが、ネットニュースの文章は客観的な文章ばかりでなく、主観を交えて書く「一人称」の表現の方が読者からのいい反応につながりやすいことも知った。

タレコミ相次ぎ、“一人調査報道”も可能に!?

2015年に朝日新聞がスクープした「調剤薬局」の闇の問題について、解説する記事を発信した時のことだ。

「私の薬局では資格がある薬剤師ではなく資格がない事務職員が事実上の調剤をしている」など、調剤薬局で働く人たちから情報提供が相次いだ。いわゆる「タレコミ」といって内部告発などの情報提供だ。調査報道をする場合にはこうした情報提供者への確認取材が欠かせない。情報提供者がどんな動機でどのような情報を提供しているのか。裏付けとなる証拠は揃っているのかなどを見極めてから報道していくのが調査報道だが、通常は新聞でもテレビでもチームを組んで組織的に行うことが多い。

だが、この時は一人のジャーナリストにすぎない私に情報が集中した。実感したのは、ネット時代には場合によって一人でも調査報道をすることができるということだった。

一つの報道のテーマを深掘りしていけば、関連するその他の情報も寄せられるようになる。「Yahoo!ニュース個人」というメディアでは、個人でもその気になれば「一人調査報道」といえるような個人による報道活動が可能になると確信した。

マスメディア全体の調査報道の能力は年々低下してきている印象がある。調査報道はやはりコストや時間もかかり、場合によって訴訟リスクなどもあるため、それぞれの報道機関は調査報道の大切さを認識しながらもそうした分野の専従部署やスタッフを減らす傾向がある。

だが、もしジャーナリストとしての経験をもつ人間たちがネットの力をうまく利用する形で調査報道を進めていけば、一人、またはごく数人であっても、この国のジャーナリズムを大きく変えることができるのではないか。一般の人たちからの情報提供を募って展開する「新しいジャーナリズムのかたち」が生まれるのではないか。そんなことを考えてみた。

「Yahoo!ニュース個人」というメディアに書き手としてかかわっていると、ジャーナリズムの未来についてこうした新しい可能性を実感したのだが、そのことをYahoo!という企業がどこまで理解していたのかは分からない。

「Yahoo!ニュース」はそもそも様々なニュース配信をする会社や個人などに「場」を貸しているだけの「プラットフォーム」なのか。それとも自らがニュースを選んで情報を主体的に発信する「メディア」なのか。そのことは当初から問われ続けていた。しかし記事原稿を書いている自分たち書き手(オーサー)もそこをあいまいにしたままで書いているという実態だった。

(続く)