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2021年5月13日(木)
ヤングケアラー いま大人がすべきこと

ヤングケアラー
いま大人がすべきこと

家族の世話や介護を担う「ヤングケアラー」。先月、国が公表した調査結果によれば1クラスに2人程度の割合でいることが分かった。取材から浮かび上がったのは、当事者たちが苦しみを周囲に打ち明けられず、孤立していく実態。長期にわたるケアが人間関係や就職活動に深刻な影響を及ぼすケースも明らかになっている。声を上げられないヤングケアラーたちに、私たち大人はどう気づき、支援することが出来るのか。当事者や支援者たちの言葉からヒントを探る。

※当事者の取材記事などはこちら
みんなでプラス「ヤングケアラーをどう支える?」

※放送から1週間は「見逃し配信」がご覧になれます。こちらから

出演者

  • 濱島淑恵さん (大阪歯科大学教授)
  • 井上 裕貴 (アナウンサー) 、 保里 小百合 (アナウンサー)

ヤングケアラー "SOSを発信できない" いま大人がすべきこと

慣れない手つきで野菜を切る、小学6年生の女の子。うつ病を患う母親に代わり、家事を担う「ヤングケアラー」です。

小学6年生の女の子
「(家事は)ほぼ毎日してる。お手伝いするのは、当たり前」

小学6年生の女の子
「ママ。はよ、来て」

誰にもSOSを発することもなく、誰にも頼ることができず、1人で母親の世話を続けています。

病気や障害のある家族の世話や家事を担う、ヤングケアラー。先月、国が公表した全国調査によれば、中学生の17人に1人、クラスに2人程度いることが分かりました。そこには大きな特徴が。周囲に相談した経験がない生徒が、7割近くに上るのです。

母親と祖母の介護に明け暮れ、進学も就職もままならなかった40代の男性。気付いてくれる大人はいましたが、具体的なサポートにはつながりませんでした。

追い詰められても声を上げない、ヤングケアラーたち。私たち大人は、その存在にどう気付き、支援の手を差し伸べていけるのか。具体的に考えていきます。

孤立するヤングケアラー "SOSを発信できない"

なぜヤングケアラーたちは、みずからSOSを出さず、孤立を深めていくのか。

琴愛さん(仮名・24)
「(家族の輪の中に)入りたい」

物心ついたときから、家族のケアを担ってきた琴愛(ことあ)さん、24歳です。

琴愛さん
「公園で遊んでいるって、幸せな家族像みたいな感じしませんか。そういうのしたかったなって思います」

精神疾患が疑われる母親。琴愛さんは買い物など、日々の生活をサポートしてきました。時には暴言を浴びせる母親に寄り添い、悩みを抱えながら支え続けてきたのです。

琴愛さん
「急に態度が変わって攻撃的なことばを浴びせてきたり、刺激しないように母の機嫌をうかがうことをずっとしていました。私が母の分と、自分の分のお総菜をスーパーに買いに行っていたんですけど、やっぱり家の近くに行くと同級生の家族とかに会うことも多くて。親が病気だからとは言えないし、母を責められているようで、すごくつらかった」

学校の友達や先生に相談することもなく、何事もないかのようにふるまってきた琴愛さん。家庭の事情を知られたくないと、みずからSOSを出すことはありませんでした。

琴愛さん
「親からも、家のことは『周りに絶対に言うな』と言われていた。隠さなきゃいけないものだと思っていたので、誰かに相談というのは全く発想になかったです」

母親の世話と、家事を担い続ける毎日。精神的に不安定になり、自傷行為を繰り返すようになりました。

今も人間関係をうまく築けず、定期的にカウンセリングに通っています。

琴愛さん
「怖いと感じてしまったら、それが前面に出て声がうまく出せなくなってしまったり、うまく関係が築けないというのがあるかなと思います」

ヤングケアラーに支援が届かない 周囲が気づいているのに…

ヤングケアラーの存在に周囲が気付いていても、支援につながらないケースも少なくありません。カズヤさん(仮名)、42歳です。

カズヤさん(仮名・42)
「何か食べないといけないので、今はこんな形ですけど」

30年にわたる家族の介護で摂食障害になったため、パンや野菜ジュース、コーヒーなどをミキサーにかけたものしか受け付けません。

3歳の頃、父親を交通事故で亡くしたカズヤさん。小学生の頃には、心臓病を抱える母親のケアに加え、祖母の介護も。こうした生活が、母親が亡くなる38歳まで続きました。

なぜカズヤさん自身に、支援の手が届かなかったのか。実は、チャンスがなかったわけではありませんでした。その一つが、定時制高校で欠席が増えた頃のことでした。

カズヤさん
「急に(学校を)休みだしたんで、(先生は)どうした?みたいな感じで」

しかし先生にできたのは、出席日数やテスト結果への配慮まで。介護については、頑張っていてえらいね、ということばだけだったといいます。

カズヤさん
「お母さんが大変なことは分かってくれていたんですけど、先生も、その時はやりようが無かったんじゃないかなと」

実は、ほかにもカズヤさんの介護の大変さに気付いていた人がいました。

カズヤさん
「これが介護の記録です」

祖母のケアマネージャーが書いた記録です。孫息子だけで介護の対応が十分にできないと報告されていたのです。

しかし、介護サービスを受けられるのは病気や障害のある本人だけ。家族は含まれておらず、カズヤさんへの支援にはつながりませんでした。

カズヤさん
「だんだん(自分のことを)諦めていくということですかね。(社会との)つながりがどんどん無くなっていくというか、細くなっていった。どうしていいか分からないような状態でした」

4年前、祖母と母親をみとったカズヤさん。40代になるまで、就職したことがありませんでした。

「ほんなら先に出してください。ごめんね」

カズヤさん
「はい、すみません」

去年、スーパーで働き始め、ようやく社会とつながる生活を送ることができるようになりました。

いま、カズヤさんは、ヤングケアラーの当事者どうしが語り合う集いにも参加しています。この日、初めてみずからの体験を語ったカズヤさん。強調したのは、周りの人へのメッセージでした。

カズヤさん
「お母さんと二人で山奥で暮らしているような、この世で二人だけで生きているような感覚でした。社会との関りがあれば、よかったと思います。周りの人は、おせっかいでもいいので積極的に関わっていってほしい」

ヤングケアラーの支援 大人がすべきこと 子どもの"小さな変化"を見逃さない

SOSを発信できないヤングケアラーの存在に、大人はどう気付き、手を差し伸べればよいのか。

兵庫県・尼崎市では、市内61の学校に、9人のスクールソーシャルワーカーを配置しています。

スクールソーシャルワーカー 黒光さおりさん
「最近どうなん?大丈夫?」

その一人、黒光さおりさんです。掲示物や持ち物などを細かくチェック。子どもたちのささいな変化に気を配っています。

黒光さおりさん
「文字がこう、がーっと黄色ほど乱雑に塗っているようなところとかは、ちょっとなんかこう、すっきりしていないところがあるんかなと。きーっとなっているかなって、気にするようにしています」

黒光さんがいちばん大切にしているのは、子どもの目線に立つことです。

黒光さおりさん
「小さい子やったら、折り紙、トランプ、ウノ。七つ道具です」

何気ないしぐさや、やり取りから、隠された本音に気付こうとしています。

黒光さおりさん
「うまく安心な関わりができるように、いつもアンテナを張り巡らせている感じです。(子どもの)『大丈夫、大丈夫』ということばだけには惑わされずに、しっかり変化に気が付きながらサポートすることが大切だなと」

実は、黒光さんもまた、小学生の頃から病気の母親のケアを担う、ヤングケアラーでした。当時、苦しみを周囲に打ち明けられなかった経験から、とにかく大人が働きかけることが重要だと考えているのです。

黒光さおりさん
「この子はヤングケアラーで、本当にすごくしんどい危いところを持っているんだなと、みんなが気が付いて自覚して見守っていくことが大事かなと思っています。笑顔の裏には、しんどさがあるんだと分かっていて関わっていくのと、分からずに済ませてしまうのは全然違うかなと」

ヤングケアラー "SOSが発信できない" 支援のために大人がすべきこと

井上:病気や障害のある親の世話をする、18歳未満の子ども「ヤングケアラー」。先月、国が公表した調査。ここまで大規模な調査は初めて行われたのですが、深刻な事態が浮かび上がってきています。

保里:中学生の17人に1人。高校生の24人に1人という結果です。介護などの身体的なケアだけでなく、買い物や料理といった家事。親だけでなく、幼いきょうだいの世話なども含まれます。そのケアにかけている時間は、中学生が平日平均4時間。高校生は3.8時間。1日に7時間以上、家族の世話をしていると答えた人も1割に上りました。

井上:ヤングケアラーの実態に詳しい、大阪歯科大学の濱島淑恵さんに聞いていきます。濱島さん、なかなか自分から言い出せず孤立する子どもが多い中、黒光さんの「子どもの大丈夫に惑わされないでほしい」ということばがありました。これはつまり、大丈夫ではないということですね。

濱島淑恵さん (大阪歯科大学 教授)

濱島さん:そうですね。ヤングケアラーたちというのは物心ついたときからケアを担っていて、別の家庭と環境を比べるということができませんので、今の状況が通常になってくるわけです。そうすると、「大丈夫?」と聞かれると、「大丈夫」というふうに答えるのは当然のことであって、しかしそれが本当とは限らないということがあると思います。そういった形で負担があるにも関わらず、それを自覚していない、自覚があったとしてもなかなか理解者がいない中で知られないようにしなければいけない、知られたくないというような思いが出てくるということもあります。そういった中で、なかなか本人からは発信できないということがあるわけです。それが、なかなか気付きにくいというところの一因になってくるかと思います。

保里:実際、今回取材に応じてくださった方々、琴愛さん(仮名)は「誰かに相談する発想は全くなかった」と話しています。そしてカズヤさん(仮名)も、「おせっかいでいい、周りの人は積極的に関わって」と話してくれました。こうしたことばからも、アプローチが必要なんだということですね。

濱島さん:なかなか見えてこないというのは当然のことですので、感度のよいアンテナを持つと同時に、やはり周りが積極的にアプローチしていくということは非常に重要かと思います。元ヤングケアラーたちの話を聞いても、いつどこで心を開くかというのは本人たちも分からない。しかし、どこかで突然、この人に話してもいいなというタイミングがあるわけです。それだけに、周囲のほうから常に見守り続け、声をかけ続けるということが非常に重要になってきます。そして私には話していいんだよ、家のこととか何かあったら話していいんだよ、ということを発信し続けることが重要になってきます。そうしますと、ある何かのタイミングのときに、この人には話そうかなといったときにしっかりとキャッチをして、支援につなげていくということが可能になってくるかと思います。

井上:声をかけ続けるというところですが、私たちの中で介護や家事をしている子どもは偉いとか、あるいはことばの中でも「偉いね」、ということばもあると思います。この考え方だったり、ことばを変えていかないといけないということなのでしょうか。

濱島さん:非常に難しいところなのですが、家族のケアを担うということは、それはそれで本当にすばらしいことですし、尊いことですし、本当によく頑張っているというところは認める必要があるわけです。評価することが大事だと思います。ただ、そこで終わらないということです。やはり頑張っててすばらしいのだけれども、ちょっと負担に感じることはない?とか、何か学校生活で困っていることはない?という形で、負担にも注意を払うということです。彼らの家事と負担、その両方を私たちは認識していく必要があると思います。

保里:私たち一人一人が気付くべき大切なことが見えてきたのですが、実は、より子どもたちと密接に関わっている場所でさえも、その把握が難しいという現状があるのです。まず、学校はもし本人の悩みや不安を聞けても、家庭への介入ができない。そして行政のほうも、ケアマネージャーなどを通じて家庭の状況を把握できても、子ども本人の問題までなかなかたどりつけないというのが実情です。

こうした中で、どうすればヤングケアラーを支えることができるのか、模索が始まっています。

ヤングケアラー いま大人がすべきこと 学校で・介護現場で…どう手を差しのべる

みずからがヤングケアラーだった経験を基に活動する、スクールソーシャルワーカー・黒光さおりさん。いま、学校の教員たちに、困っている子どもを見つけ出す力になってもらいたいと活動しています。

スクールソーシャルワーカー 黒光さおりさん
「ヤングケアラー、めっちゃ見つけにくいんですよ。『なんか困っていない?』と聞くと、『いや全然、大丈夫大丈夫』って言うし、何となくうまくやってそうに見える」

黒光さんは、外からは見えにくいヤングケアラーの悩みに気付くことが、何よりも重要だと訴えました。

黒光さおりさん
「実は共通して、絶対に悪いものが1つあるんですよ。何やと思われますか。貧困でしょうか。能力でしょうか。実は、孤立なんですよ。すべての問題につながっているのは、孤立です。ケアを少ない人数の家族とか、子どもが抱え込んでしまうところに問題がある」

参加した教員
「ヤングケアラーという、ことば自体あまり知らなかったんですけれど。日々出会っている子どもたちにかけることばとか大事なんだなと、改めて実感させてもらいました」

参加した教員
「孤立化している部分については、学校現場に勤めているとなかなか気付かない。しっかり子どもたちの困り感に寄り添っていくのは、本当に大事だなと感じました」

黒光さんは学校だけでなく、行政や児童相談所など関係機関と連携し、ヤングケアラーの支援につなげようとしています。

この日、訪ねたのは、生活保護の申請窓口。母親が体調を崩し、ヤングケアラーとなった児童の家庭のため、相談に訪れたのです。家族全体を支えることで、児童の負担を軽減するねらいです。

黒光さおりさん
「ケアの負担を減らして、その子が進路や将来に向けて、ちゃんと取り組めたり、部活や友達関係も楽しめたりする環境にもっていくことが大事だなと。いろいろな関係機関を使って、ケアをみんなで負担していこうとしています」

介護現場などを巻き込み、ヤングケアラーを支援しようと動き出したのが神戸市です。この日行われていたのは、介護事業者向けの啓発動画の撮影です。

「子ども・若者ケアラーであった子どもたちは、誰にも相談できず問題を抱え込んでしまう可能性があります」

取り組みの背景には、2年前に起きたある事件がありました。女性が介護の負担に耐えかね、認知症の祖母を殺害。介護サービスを使っていましたが、女性への支援にはつながりませんでした。

神戸市内には、およそ3,000か所の介護事業所があります。それぞれの事業所は、神戸市の動画をインターネットで試聴するよう求められています。

地域包括支援センタースタッフ
「(ヤングケアラーの)具体的なイメージは全く持っていなくて、そこまで目がいっていなかったことがあるだろうなと思っています」

神戸市は全国に先駆け、ヤングケアラー専門の部署を新たに立ち上げています。「子ども・若者ケアラー支援担当課」では、3人のスタッフを新たに雇用し、対応に当たっています。ヤングケアラーについての情報が寄せられると、この担当課が一元的に受け付けます。そして、介護保険、障害者支援など、8つの部署と連携。病院や障害、介護など、家庭によって異なる事情に組織の壁を越えて対応していこうとしています。

子ども・若者ケアラー支援担当課 岡本和久課長
「1つの部署だけでできる課題ではなく、横断的に教育の現場、医療の現場、高齢者、障害者、横につながりながら情報を共有し、若者のケアラーの支援という観点を新たに入れ、改善できるような方策を作っていきたい」

ヤングケアラーになる前が大切 "先進地"イギリスに学ぶ支援

保里:ヤングケアラーについての相談窓口や、さらに多くの当事者の声については、関連記事からもご覧いただけます。

井上:ここでぜひ皆さんに知っていただきたいのが、国を挙げての対策にいち早く乗り出した、イギリスの取り組みです。12人に1人がヤングケアラーと社会問題化する中で、2014年に法律を制定しました。地方自治体に対して、ヤングケアラーを適切な支援につなげることを義務づけたのです。20年以上にわたり5,000人以上のヤングケアラーを支援してきた、サラ・ゴーウェンさん。サラさんは、いかにこのヤングケアラーを見つけだし支援につなげるか、ヤングケアラーになる前が大事だと指摘します。

ヤングケアラー支援団体 サラ・ゴーウェン代表
「ヤングケアラーになる前に、危機的状況に陥ってしまう可能性を認識しておくことが大切です。親など家族に慢性的な症状があると診断された時点から、子どもたちへの介入を始めるのです」

井上:もう一つあります。ヤングケアラーがみずからSOSを発信しやすいように、秘密の場所を作ることが大切だといいます。

サラ・ゴーウェン代表
「本当のことを自由に話せる、『秘密で』、『安全な』場所を作ることが大切です。家庭とは違う場所にです。他のヤングケアラーとも話せる場であると、さらによいですね」

井上:実はイギリスでは、秘密の場所として当事者どうしがつながる場ができたことが、大きなうねりになっていったのです。「ヤングケアラーナショナルボイス」という、イギリス全土のネットワークに発展しまして、国を動かすまでの一大勢力になったのです。例えばですが、すべての学校に支援員の配置の義務を求めたり、対応マニュアルを自分たちが作ったりしました。

濱島さん、イギリスのこの取り組み、当事者みずからが動いているというところがポイントですよね。

濱島さん:そうですね。当事者たちの声がきちんと届いていくというところが、非常にすばらしいところだと思います。特にいま拝見している中で、イギリスの取り組みとしてすばらしいところ、3つのポイントがあります。

まず1つは、ヤングケアラーの発見支援の仕組みというのがきちんと法制化されて、仕組みとして存在しているというところになります。日本においても当然、個人的にヤングケアラーに気付いた先生ですとか、専門職が個人的に支援をするということはあるわけですが、それですと偶然に左右されてしまうと。そういった人に出会えたヤングケアラーには支援が行くけれども、出会えない多くのヤングケアラーには支援が行かないというようなことが起こってきてしまうわけです。しかし、その仕組みを作ることによって、多くのヤングケアラーたちがちゃんと支援に結び付きつけられていくということができると思います。また、予防的なアプローチの大切さというのが述べられていましたが、やはり予防的なアプローチができるというのも、そういった仕組みがあるからこそだと思います。
そして2つ目に、支援メニューの充実ということがあります。先ほどもヤングケアラーたちの集える場があるというような話がありましたが、それ以外にも例えば、レスパイト(一時的にケアから離れる)サービスですね。ケアから離れてちょっと休める。カヌー体験とか、子どもらしい時間を過ごすことができる。そういったサービスというのも整えられています。そういった豊富な支援メニューがある。その仕組みがあるということ、支援メニューがあるということ、その両方があることによって両方を生かしてるということが言えると思います。
そしてさらに、そこに当事者たちの声が届くということですね。ヤングケアラーたちが社会的に認識されて、そして彼らの声を発信する場がある。そしてそれが政策に反映されていく、そういったところが非常にすばらしい点かなと思います。

保里:日本では、厚生労働省と文部科学省が中心となってプロジェクトチームを立ち上げ、今月中には支援のための報告書を作成する見込みとなっています。濱島さん、日本がこの問題に向き合っていくために、今後何が必要だと考えますか。

濱島さん:やはり非常に重要なポイントとして、ヤングケアラーに関わる問題というのは子どもの人権に関わる事柄ではあるのですが、子どもの問題ではないのです。子どもの問題でもあるんですが、それだけではない。その背部にある、大人の問題に注意を払っていく必要があると思います。高齢者福祉、障害者福祉の問題、または貧困ですとか社会的孤立、社会的排除の問題、そういったさまざまな問題が絡んできている。そしてその問題が解決されてこない中で、そのしわ寄せが子どもたちに行っていると。そこでヤングケアラーたちがさまざまな困難を抱えることがあるということです。そういった意味で、ヤングケアラーの支援には児童福祉や教育というところだけではなく、非常にさまざまな領域にまたがった包括的な支援というものが必要になってきます。そういった意味では、国にはぜひそういった包括的な支援のビジョンというのを示していただきたいなと思いますし、それを法制化して予算化していくといった取り組みを期待していきたいと思っています。

井上:濱島さん、ヤングケアラーの子どもたちが生きやすい社会、これはどんな姿をしていますか。何を求められますか。

濱島さん:さまざまなことがありますが、やはり一番大事なのは「理解」だと思います。ヤングケアラーたちが、ケア経験によって得た価値。そして価値だけではなくて、それでもなかなかしんどいことがある、さまざまな負担・困難、その両方を理解している人々がたくさんこの社会にいるということ。それが、暮らしやすい社会を作るための第一歩になるのではないかなと思います。

井上:そして、どんな言葉を子どもたちにはかけたほうがいいと思いますか。

濱島さん:やはり彼らには大変さもあるかもしれないけれども、あなたたちには価値もあるということ、その両方を見ながら一緒に考えていこうということを、ぜひ声をかけてあげてほしいと思います。

2021年5月12日(水)
ルポ・少年院 ~少年の更生現場で何が?~

ルポ・少年院
~少年の更生現場で何が?~

20歳未満で罪を犯した少年が矯正教育を受ける少年院。最近では虐待を受けたり、発達障害に対する周囲の無理解などから社会に適応しづらい少年が多く入所する。課題は再犯の防止。退院後の更生支援は薄く、NPOなど民間の協力団体も出てきているが、コロナの影響で運営が壁にぶつかっている。18歳と19歳に対して、強盗などの罪によっては少年審判ではなく、検察官に送致できるようにする少年法の改正案が今、国会で審議されている。少年の更生に今何が必要なのか考える。

※放送から1週間は「見逃し配信」がご覧になれます。こちらから

出演者

  • 石井光太さん (作家)
  • 須藤明さん (駒沢女子大学教授)
  • 井上 裕貴 (アナウンサー) 、 保里 小百合 (アナウンサー)

ルポ・少年院 更生の実情とは

保里:少年が犯した重大な事件が報道されるたびに、どうしてこんなことが起きたのかと驚き、怒りを覚えることがありました。その罪自体は、決して許されるものではありません。犯罪が繰り返されていくことを防ぐためにも、何が求められるのか考えていきます。

井上:少年事件の件数そのものは、この10年間をみますと減少の一途をたどっています。一方で、少年院を出た人が5年以内に再び少年院や刑務所に入る率は22.7%で、2000年以降ほぼ横ばいで、5人に1人が再び罪を繰り返しています。

少年の事件は減少しても、なぜ罪は繰り返されるのか。背景には、家庭や社会の中で居場所を失った、少年たちの厳しい現実がありました。

ルポ・少年院 虐待・性被害…変わる更生の現場

神奈川県にある、久里浜少年院です。在院者は70人。強盗や傷害などの重い罪や、再犯を繰り返す少年たちを教育しています。

19歳のとき、窃盗の罪で少年院に入ったタナカさん(仮名・20)。生まれてすぐ祖父母に引き取られ、両親を知らずに育ちました。小学生のとき母親のもとに帰りますが、母親は別の男性と結婚していました。タナカさんは、義理の父親から虐待を受けました。

タナカさん(仮名・20)
「殴る蹴るはもちろんのこと、熱湯をかけられたり、あとは物で殴られたり、自分の存在を否定されるかのような言葉だったりとか」

中学のころ家出。その後就職しますが、非行を重ねある日、衝動的に職場の車を盗みました。

タナカさん
「正直、自分のしたことがどうこういうより、その現実から逃げること、楽な方に行くことに必死で。こういう人生になっているのは、すべて父親のせいなんだ」

指導教官と交わす日記には、父親への恨みがつづられていました。

法務省の調査によると、在院中の少年で身体および精神的な虐待を受けたと答えた人は、この5年間で増え続けています。特に、女子のほうが虐待を多く経験していました。

女性だけの少年院、群馬県の榛名女子学園です。ここでは虐待だけでなく、性被害を受け、自己破壊的な感情が強い人への対応も課題となっています。

18歳のスズキさん(仮名)。友人や異性との人間関係でつまずき、リストカットなどの自傷行為を繰り返してきました。

高校中退後、非行グループと関わりを持ち、覚醒剤に手を染めました。

スズキさん(仮名・18)
「薬やると、本当に忘れられる、私の場合は」

「罪の意識はあった?」

スズキさん
「罪の意識?(当時は)別に思ってない」

スズキさんの中に、大人への強い不信感を感じた担当教官は、面談を重ね、信頼関係の構築に努めます。

担当教官
「最近どう?どんなこと考えるの?」

スズキさん
「過去」

担当教官
「思い出すんだ?」

スズキさん
「少年院に来たとき、本当に嫌だった」

担当教官
「嫌だったんだ?」

スズキさん
「嫌だった。でも先生たちも、私が思っていた先生たちじゃなかったから」

担当教官
「そうなの?」

スズキさん
「違う、違う。いい意味で」

担当教官
「いい意味で?」

スズキさん
「相談とか、話聞いてくれるじゃないですか」

スズキさんは、それまで心に秘めていた性被害の苦しみを、教官に打ち明けました。

スズキさん
「私、今まで誰にも言ってこなかったんですけど、少年院に来て、自分が信用できると思った先生にはレイプのこと話した。自分自身が汚いなと思ってたけど、先生たちは『全然汚くないよ』みたいな。そういうことを言ってくれているから、話して本当にほっとしました、私。そういうところでは、少年院に来てよかったかな」

法務省 少年矯正課 課長 西岡潔子さん
「虐待や発達上の課題とか、実は法務省の統計も、最近そういう形でとるようになった。周りとの関りを警戒してしまう。自分の気持ちを、言葉で言い表してこなかったお子さんが多い。じっくりと関わらなければいけない子どもたちが、やっぱり多いのかなと思う」

さらに今、障害のある少年たちへの対応が喫緊の課題になっています。

19歳のとき、強盗未遂で少年院に入った、サトウさん(仮名・20)。職業訓練の作業が、大の苦手です。

担当教官
「何?」

サトウさん(仮名・20)
「こっちの方がやりやすい」

担当教官
「いやいや…」

サトウさん
「はい、終わった」

担当教官
「終わってないよ。イライラして、ガコンバコンってやると、あとあと汚く仕上がっちゃう」

教官から注意されると舌打ちし、反抗することもしばしばです。サトウさんは、発達障害と診断されています。人との関わりが苦手で、こだわりが強いなどの特性がある発達障害。サトウさんは養護施設で育ちましたが、障害への適切な支援は受けられませんでした。施設では、暴力を振るうなどの問題行動を繰り返しました。

サトウさん
「僕は結構、カーッて怒っちゃうほうなので、こいつは頭がおかしいだろうなとか見られていて、結構荒れてた」

その後、施設にいられなくなったサトウさん。人間関係のトラブルが続き、自暴自棄の果てに強盗に及んだのです。周囲に理解されにくい発達障害。注意や叱責を受け続け、心が深く傷ついていくことも少なくありません。それが時には、うつなどの二次障害を引き起こしたり、非行や家庭内暴力などにつながることもあります。

担当教官
「ずっとこの角度でやっているから、これがうまくできるようになったら、取れるときパッっていくから。そうそう、気持ちいい。いいじゃん、結構よくない?」

サトウさん
「やりやすいっちゃ、やりやすい」

担当教官が心がけているのは、ありのままのサトウさんを受け入れること。

サトウさん
「やっぱり自分の弱さだったりというのを、認めたくなかったのもありますし、他人の意見を聞き入れる。少し不安な面はありますけど」

担当教官
「発達障害を抱えて、二次障害的に傷を負って負いまくって育ってきている。彼を縛りつける形ではなく、彼の存在を尊重する。そういう形で約1年ぐらい過ごしてきて、徐々に日を追うにつれて、変わっていった」

義理の父親から暴力を受け、日記に恨みをつづっていたタナカさん。担当教官は、父親との楽しかった思い出とあえて向き合わせます。

担当教官
「中学校の部活動でサッカーをしていて、お父さんは熱心やな?お父さんってサッカーに対して、どう指導してた?」

タナカさん
「自分の練習に対する取り組み。やる気だったり、そういうのを結構言われたりもしました。もっとがむしゃらに行け、みたいな感じ」

担当教官
「虐待を受けていたわけですけど、それが彼が最初に社会で会った大人像になる。やはりそこと決別して、自分の人生を作っていく上で割り切ることは、必要なプロセス」

少年院に来て半年後、日記の内容に変化が生まれました。

『親のせいにすることが最大のごまかしでもあった』

タナカさん
「一緒にサッカーをやった記憶だったり、そういうのを考えると、自分の父親として頑張ってくれてたんかなって。うらみや憎しみという気持ちに、とらわれることがなくなって。暴力、その行為自体は許せないところはあるんですけど、そこで初めて許す。許すってわけじゃないけど、これで終わりにしようかなって気持ちが出てきた」

久里浜少年院 首席専門官 坂入慎悟さん
「18とか19歳、そのくらいの年齢の子でも未熟な子が多いので、きちっと育て直しをしていく、みんなで面倒を見ていく。そういうビジョンを持って、子どもたちを暖かく見守っていく」

ルポ・少年院 変わる更生の現場

保里:少年院や更生の現場を数多く取材されてきた石井光太さんは、この少年院の実情をどのように受け止めていますか。

石井光太さん (作家)

石井さん:少年院の中の子どもたちの変遷についても、僕は考えないといけないと思います。本当に一時代前は暴走族の子みたいな形で、反社会を掲げて暴走行為をしたりカツアゲをしたり、捕まってくるというイメージだったと思います。最近はそうではなくて、本当に社会的弱者、例えば虐待を受けたり、精神疾患を抱えていたり障害を持っていたり、あるいはいじめを受けていたり、貧困だったり。そういったような子どもたちが、どうしていいのか分からないという生きづらさを持っているけれども、その人たちを悪い大人が利用して売春させて、麻薬を売らせて、特殊詐欺をやらせて、そうして入ってくるということがほとんどです。本当に今は反社会の強者が入ってくる場所ではなくて、社会の本当に弱い人たちが入ってきている場所なのです。そういう部分をきちんと考えないと、少年院に何が必要なのかが見えてこないのではないかなと考えています。

保里:少年の非行や更生の現場に詳しい、須藤明さんにもお越しいただいています。須藤さん、少年院では今、どのような教育が求められているのでしょうか。

須藤明さん (駒沢女子大学 教授)

須藤さん:少年院ではこれまで、グループを単位としての指導と、個人を単位としての指導、そこをうまく組み合わせて指導してまいりました。ただ昨今は、少年の特質の変化がございまして、グループよりも個別的な指導に重点を置くようになってきているかと思います。その背景は、家族のいろいろな問題が抱えていることに加えて、コミュニケーションがうまく取れない、他者との関係がうまく取れない。そういったところがあるので、社会に出てからの基礎をどうやって作るかということが、少年院の先生たちが苦労していることかと思います。

井上:個別的な指導の中で、例えば犬との触れ合いがあったと思うのですが、コミュニケーション力が重視されているというのはどういう事があるのでしょうか。

須藤さん:犬との交流は、まず他者と交流する第一歩というふうに位置づけられています。そこから積み上げていって、コミュニケーションの話に行くと思います。あと、発達障害の対応というのが喫緊の課題になっていまして、2015年から支援教育課程というのが設けられ、発達障害とか知的な問題とか、さまざまな子どもの特性に応じた指導がされるようになってきているのが昨今の状況だと思います。

井上:指導も変わってきているんですね。

須藤さん:そうですね。

保里:さまざまな形での教育が必要とされている少年院の実情について、石井さんはどう見ますか。

石井さん:罪を犯した人が、こんな甘いことをやっていてどうするんだという声もあると思います。でも僕は、少年院は病院における緊急治療室みたいな形だと思っていて、ICUみたいなところですよね。どういうことかというと、少年たちはリストカットして、薬物の後遺症でわけが分からなくなって、パニックになっている状態で保護されてくるのです。その子たちを半年ないし、1年間保護して、心を落ちつかせて、そしてその子が抱えている問題をきちんと見つめさせて、その先の道筋を作っていく。そういう場所が必要なのです。ただ問題は、数か月間そういうことをしても、じゃあ外へ出ていってくださいね、社会に出てくださいねといっても、なかなかうまくいかないです。そこは少年院の限界であり、そしてそこから先が、社会の責任の部分ではないのかなと思っています。

保里:まさに少年院を出たあと、どんな課題があるのでしょうか。

少年院を出た後…社会に求められる支援

九州に暮らすヤマダさん(仮名・27)は、これまで少年院に3度、送致されました。最初に少年院を出たのは15歳のとき。その後、親からも見放され、居場所を失い、傷害事件を起こします。21歳のとき3度目の少年院を出て、更生保護施設に入りました。しかし、施設でトラブルを起こし、そこにいられなくなりました。

ヤマダさん(仮名・27)
「もう誰もこんな自分を見てくれていない、手を伸ばしてくれない。じゃあ、もういいやって。もう一体全体どうしようかなと、本当に追い込まれてました」

そんなヤマダさんに、転機が訪れます。行き場のない少年たちを引き受けていた、NPOとの出会いです。専務理事の室田斉さんです。東京で貿易会社を営んでいた室田さんは、知り合いの弁護士から誘われ、NPOを立ち上げました。

NPO法人クラージュ 専務理事 室田斉さん
「まだ20歳くらいですから、感性が鋭いので今のうちにいろんなものを見せる。吸収力すごいですよね。一緒に成長したいし、みんなで幸せになろうよと」

室田さんは少年たちに働く場を提供するため、新たに建設会社を作ります。寮も完備し、多いときには12人を受け入れました。食事を共にするなど、家族のような一体感を大切にしました。

九州から室田さんのNPOにやってきた、ヤマダさん。建設会社で営業を任されます。仕事がうまくいかなくても、室田さんは見守ってくれたといいます。

ヤマダさん
「すごく居づらかったんですよ、その時。もう給料泥棒じゃんぐらいの。でも室田さんは、『お前が営業売れなくても、他の子が売るから気にすんな』って。『誰かがやるから大丈夫だよ』って。家族っていうのを今まで感じなかったんですけど、本当に家族みたいな」

ヤマダさんは2年前に結婚し、今は故郷の工場で働きながら家族を支えています。

ヤマダさん
「室田さんと出会ってなければ、絶対また悪さしたり捕まったりして、なかなか立て直すってすごく難しくて、出会ってから性格とか、人とのつきあい方とか、自分の生き方とか、すごい変わりました」

室田斉さん
「皆、今まで見てきた人生がすべてだと思うんですよね。実は違うんですよ、無限大なの」

しかし今、室田さんの活動は壁にぶつかっています。コロナ不況のあおりを受け、建設会社は去年11月に倒産。寮も閉鎖せざるを得ませんでした。

新たな寮の物件を探していますが、まだ見つかっていません。

室田斉さん
「NPOで申し込むと、少年院(から出た)という理由で断られる。(支援者が)何人もいて面倒を見るシステムを作らない限り、きついですね。現実ですよ、これが」

少年院を出たあと、社会でどのように支えていくのか。そのネットワーク作りに取り組む人がいます。井村良英さんです。ひきこもりの若者を長年支援してきましたが、8年前から少年院を出た人の見守りを行っています。

井村さんは少年院と協力し、院内にいるうちから少年と関係作りを始めます。

NPO法人 育て上げネット 執行役員 井村良英さん
「ちょっとお願いがあって。少年院を出て、その日のうちにできれば午前中に、そこの電話番号に電話してほしい」

少年
「電話して、なんて言えばいいですか?」

井村良英さん
「井村さん、いますか?って」

社会に出たあとも定期的に対面して、近況を確認します。

少年院を5年前に出た男性とも、ずっと連絡を取り合っています。会うときは構えず気軽に話せるよう、井村さんはよくゲームをします。

少年院を5年前に出た男性
「困っていることを積極的に聞きに来るというより、遊びの延長線上で聞いてくれる感じ。あんまり相談できない部分は、全然無い」

この男性は社会に出てすぐ、心身の不調から仕事と家を失います。見かねた井村さんは、生活保護につなげました。しかし、井村さん一人で見守りを続けるには、限界があると感じていました。そこで新たに始めたのが、クラウドファンディングです。活動への出資者は、100人近くに上りました。

さらに少年たちの相談相手になってほしいと呼びかけたところ、12人が応じてくれました。

少年院を5年前に出た男性
「どこどこのどういう人と知り合いになったから、ちょっと会ってみない?と言われて。いいですよと言って会うと、なんだかんだ解決につながる。次のステップにつながる」

井村さんは、相談相手になれる大人が社会の中に多くいる環境を作りたいと考えています。

井村良英さん
「本人たちが、もう一回頑張ってみようと思ってもらえるためには、応援も多様な応援が必要だなと思っています。小さな活動なので、大きな広がりをもって広がっていくのは、まだまだこれからかなと思う」

少年院を出た後…社会がどう受け止めるのか

保里:石井さん、理解のあるNPOの支援も始まっていますが、課題もあるわけですね。

石井さん:そうですね。出院者たちが、もう1回非行してしまう率は非常に高いです。NPOはありますけども、まだまだ足りない、社会が非常に生きづらいのだと思います。それは、少年たちが持っている抱えている問題を見てみれば分かると思うのですが、虐待のトラウマだとか、精神疾患だとか、薬物の後遺症だとか、あるいは働いても貧困で稼げない、友達もいない、親もいない、そういったような状態です。これは少数のNPOがちょっと何かをやったとしても、足りないんです。やはり社会全体で、もっときちんとこの問題と向き合って、取り組んでいく必要があると思います。

保里:石井さんが見た少年の更生現場に関する記事は、関連記事からもアクセスできます。そして須藤さん、少年院の中での保護、そして出たあととの支援のギャップ、これが大きいわけですね。

須藤さん:その点は、私が家庭裁判所の調査官になった1980年代からずっと続いている、大きな課題でもあります。少年院を出院したときには、保護観察所から支援も受けられますけど、期間が数か月から半年と限られていますし、その後が途切れてしまうわけです。ですから、民間の方のいろんな参入というか、そういった形で切れ目のない支援をどう確立するかというのが、本当に課題となっていると思います。

井上:少年の更生に関してですが、国会でも今、大事な審議が行われています。少年法の改正案についてです。これまでは20歳未満は原則、家庭裁判所で審判され、故意の殺人のケースは検察に送致されました。改正案では18歳と19歳に対しては、検察に送致できる事件の対象を、強盗や放火などにも拡大するということです。

須藤さん、これについては改正案賛否がありますが、この議論はどう受け止めていますか。

須藤さん:犯罪被害者のご遺族からすれば強い怒りの感情とか、いろんなさまざまな感情があるのは十分承知しております。そういった気持ちも大切にしなければいけない。一方で、18歳・19歳はまだまだ未成熟です。というのは、最近の脳科学の知見でも衝動性をコントロールする前頭葉の発達というのが、25歳前後まで続いていると。つまり、18・19というのは、発達途上であるということがあるわけです。ですから、そういったことを踏まえてアメリカでは、適応年齢の引き上げというような動きも出ている状況であります。少年法は甘いから、厳しく対処すれば問題解決になるんだというのは極めて短絡的な発想になります。そこは十分考えて、少年の問題に応じた処遇をしているという現在の少年の矯正の現場も、今回を通じてぜひ皆さんに理解していただきたいと思っています。

井上:罪を繰り返さないために、私たちごととして、社会としてはどういうふうに考えていったらいいと思いますか。

須藤さん:諸外国の例をとれば収容保護だけではなくて、社会内の処遇というのに力を入れてます。つまり社会の中で居場所をどう作るのか、そして社会とのつながりをどう作るのか、この2つがキーワードになっているわけです。ですから、犯罪とか非行の問題は、社会的排除だけでは何ら解決には結び付かない。結局そういった人たちを、われわれがどう迎えいれ、そしてその人たちにどう更生していただくのか。つまりそれは、本人の更生のためでもあるし、われわれ社会のためでもある。そのような受け止め方が大事だと思っています。

保里:石井さん、改めて少年の更生にとって、私たちは何が大事だと受け止める必要がありますか。

石井さん:法改正とか環境が変わることは、非常に難しいのです。ただし、更生した少年たちに、「何であなたは更生できたの?」と聞くと、皆さん口をそろえるのが、「本当にいい人と出会えたから」と言うんです。僕の言うことをきちんと聞いてくれたとか、あるいは僕のことを信頼して何かを頼んでくれたとか、そういうふうに言うんです。これはそんなに難しいことではないんです。だけど、彼らはそういった人たちが周りにいなかったから犯罪を犯してしまったわけなのです。逆に言うと、僕たちは彼らに対して怖がったり、突き放したりするのではなくて、そういったような温かい形で触れ合うことが大切かなと思っています。

保里:社会を構成する私たち一人一人の大人が、身近でできることがある。そのことをあたたかく受け止めたいと感じました。