赤坂だいすけ(あかさか だいすけ) 迅速!実行!実効!

ご報告

先般【平成28年(2016)8月】、お騒がせ致しました「タクシー運転手を殴打」した件ですが、皆様方には大変ご心配をおかけしました。誠に申し訳ございません。その後の経過なのですが、相手の運転手から手を出してきた事を相手も認め、程なく不起訴となり終結しております。

 さて、このたびの件におけるマスコミ等の報道は、大いに事実と異なっておりますので、事実関係を申し述べます。まず、事の経緯に関するマスコミ各社からの私への取材は報道に至る迄、一切ありませんでした。事実と異なる内容については、弁護士を通じ、既にBPO放送倫理・番組向上機構 放送人権委員会、そして新聞各社へ抗議文書を送付済みです。
報道されている内容は一様に、でたらめで、以下の通りです。
①赤坂大輔が右折禁止の交差点を右折するように求め、運転手に断られた。降車した②赤坂がドアを蹴り③降りてきた運転手を二発殴打した。そして、④言う通りに走ってくれないので殴ったと証言している」というものです。
下線部①~④のでたらめについて説明致します。

 まず、下線部①のでたらめ「赤坂大輔が右折禁止の交差点を右折するように求めた」という虚偽についてです。
 私が「右折禁止箇所において右折を指示した」とまるで法令違反を指示したかのように報道されておりますが、事実と違います。いずれ右折する事はお願いしましたが、該当箇所を右折するようには言っておりません。そもそも私はそこを右折するつもりはありませんでしたが、標識も当然認識しておりました(私自身、議員生活も11年目を迎え、街を歩きに歩き、各種選挙を陣頭指揮する等、私ほど界隈の道路標識事情等を熟知している者はいないと自負しております)。

 因みにその該当箇所には右折禁止標識がありますが、時間帯により、右折可能となったり、禁止となったりします。運転手に指摘しましたが、乗車していた時間帯は右折できる時間帯でもありましたので、二重に運転手の勘違いです。
 私が該当箇所を右折するよう指示したと早合点勘違いした運転手は前述したように二重の勘違いをしながら「ご立派なバッチしながら道知らねえなあ」「税金で食ってやがるくせに云々」「あんた道交法勉強しなさいよ」などと発言し始めました。
 私が該当箇所を右折するよう指示したと勝手に誤解した運転手が、前述したような暴言等を浴びせ絡んでてくる事に耐えかねた私は、極めて、運転手と折り合いが悪いと感じましたので、ものの10~20メートルで降車しました。「右折禁止を右折するよう求めた」とのでたらめな報道の根底には、「右折禁止を右折」と私の政治活動を「右翼」活動とかけ、矮小化して見做す方々による揶揄があり、案の定報道を真に受ける巷などでは絶好の肴とされました。
「(私が)右折禁止を右折するよう求めた」という事実は一切ありません。

 次に下線部②のでたらめ「赤坂がドアを蹴り」という虚偽についてです。
 降車場所は乗車場所から殆ど進行しておりませんでしたが当然に支払いを行いました。私の降車直後、運転手は半開きしていたドアを全開にあけ放ち、私の臀部にドアをぶつけてきた為、私は転倒しそうになりました。運転手の意趣返しでわざと当ててきたとしか思えず、仮に百歩譲って、その運転手がドア全開のタイミングを間違えたのだとしても、ドアが当たり私が転倒しそうになったことは事実であり、業務上であれ、道義上であれ、運転手は私に一言謝るべきであるとは現在も思っております。が運転手は一向に謝罪の様子もなく、むしろせせら笑い何事かを私に言い放っておりましたので、腹が立った私は強くドアを押し閉めました。気を取り直し、道路を渡り、別のタクシーを待っていると、先程の運転手が私を追いかけてきて腕を掴み留め、「(私が)ドアを蹴った。ドアが凹んでいる」などと、とんでもない嘘の言い掛かりをつけてきました。「修理に30万以上はかかる」などと言われ、埒があきませんので、潔白を証明する為、現場のタクシーに戻りました。「ドアに傷がついている」と運転手が示した箇所は、ドアの最下部縁で(そもそもそこを蹴ったとしても物理的にドアは閉まりません)3センチ程メッキが剥げているものでした。私によるものではない事はのちにタクシー会社も認めております。
「(私が)ドアを蹴った」という事実は一切ありません。

 下線部③の「降りてきた運転手を二発殴打した」は状況や実態が大きく異なります。
 口論中、私は様々な侮辱的発言を受け、運転手による明らかな挑発に加え、何らかの卑劣な意図も感じ始めてはおりましたし、運転手の私に対する極度の敵意、並びに攻撃的な態度と立ち去ろうとした私をその後も数十メートルにわたり付きまとってくる辟易するほどの執拗さは、私が議員である事(議員バッジをしており、運転手は幾度も視線をそれに向けていました)への強烈な当てつけである事は理解してはおりました。私が全く無反応で歩き続けていたので、次第に運転手は自らの言動に酔い始めるかのように激高し始め、幾度も小突いてきたり、私の襟元をつかんできました。私が警察に連絡する為携帯を取り出すと、運転手はその携帯を奪おうとしてくるので埒が明かないと思った私は、これは短慮なのですが、「後腐れなくやろうか?」と問いかけると、運転手も「かかって来いよ」との返答でしたので、勢い殴打に達しました。その最中、路上キャッチの面々が乱入してきた為、その方々とも集団乱闘となり、転倒させられた私は左手首の尺骨を骨折(全治2ケ月)しました。私自身は怪我を殊更にアピールして労災をせしめようというタクシー運転手の方と真逆のメンタリティーを持っておりますので、ギブスは外しておりました。

 次に下線部④のでたらめ「言う通りに走ってくれなかったので殴ったと証言している」という虚偽についてです。
 報道等では私が「言う通りに走ってくれなかったので殴ったと容疑を認めている」とありますが、私は一切一度も誰にもそのようなことをコメントしておりません。事実は、警察における聴取においても述べている通り、「幾度も小突かれたので殴打した」であり、供述調書にもそのように記述されています。なぜ「言う通りに走ってくれなかったので殴った」などという虚偽のコメントがマスコミに流布したのかわかりません。

 私は今回の事案を、「私がいずれ右折する事を告げるも運転手が右折箇所を勝手に勘違いし侮辱され」「運転手にドアをぶつけられたにもかかわらず、私がドアを蹴ったと嘘の言いがかりをつけられ」「運転手に侮辱され幾度も小突かれ襟元を掴まれ」た挙句、「散々喧嘩を売ってきた運転手と運転手の望み通り喧嘩する事を合意した上で」の路上における揉め事と認識していました。お互いに怪我をしましたし(程度としては私の方が重傷でしたが)。

 さらに事案直後の8月11日には現場に程近い赤坂3丁目、更にはその翌週の17日には、南青山付近に設置されていた、法的に許認保障された私の「公報看板」が剥がされる、落書きされる等の被害が5件続き、さらに深夜に度重なる脅迫電話(当事者同士にしか知り得ない当該案件の内容)などの被害もありましたので、この件に関連した関係者による喧嘩に敗れた腹いせであろうと思っていた位です(公報看板に関しましては業者に依頼し、修復及び昼夜問わずの巡回監視をしております)。よって、「報告義務を怠っているのではないか」という議会における指摘は、事実関係を精査する事がなかった故か、見当外れとしか云いようがありません。

 私に対する誹謗の中には今回の件を「議員の身分に驕り、タクシー運転手を見下した挙句の暴力」なのではないかというニュアンスの記述が見受けられますが、全く事実と反します。住宅事情等、公共交通機関等の便も良い為、現在車を持たぬ私はタクシー利用の機会が多く、大概のタクシー運転手の方々(回り道をして料金アップを企図する悪質な方々以外の)とは良好な関係で会話を楽しんでおり、揉めたことはありませんでした。むしろ、タクシー運転手の方々のプロならではの知識を常に希求しており、彼らの職業意識の高さこそは私にとって尊敬の対象であります。しかしながら、このたびの当該運転手はその対極におり、彼の私に対する侮辱発言や「議員すなわち公人と称されるものには何をしてもよいだろう」「何かを仕掛ければ何らかの得になるだろう」「客の指示通りではなく、料金を高くするための廻り道を企図」しようという認識、更には、漏れ伝わるところによると、「議員を挑発し殴らせれば慰謝料や労災やらなんやらで当分働かなくてよい」とうそぶいているに至っては、まったくもって私とは相容れない性分の方であったと断ぜざるを得ません。今回ばかりは本当に無理でした。幾度思い返しても無理だっただろうと感じております。ただし、今後何に巻き込まれるかわかりませんし、災いを呼び寄せたのも私です。お騒がせをし、そしてご心配をおかけし、申し訳ございませんでした。

 また、このたびは誠に多くの方々より激励を賜り、現在に至ります。今後は御期待に対する失望を挽回すべく、完全燃焼して参る所存です。皆様の暖かさに心より御礼申し上げます。

平成28年8月 赤坂大輔


結論


 この事件は多くの方々に指摘されたように、明らかに選挙に絡んだ別件逮捕です。
タクシー事件発生日時は平成28年7月14日未明で、参議院選挙の3日後でした。
 
この事件の4か月前に自民党からおおさか維新の会(現・日本維新の会)に移籍していた私は(事件をきっかけに自民党を離党したという報道は事実ではありません)、平成28年の7月に行われていた参議院選挙で、おおさか維新の会東京選挙区公認候補である田中康夫候補の応援に奔走しておりました。活動が終わると毎晩のように陣営で集い、大勢で六本木界隈で痛飲、明け方まではしご酒で盛り上がっておりました。選挙事務所が港区であったため、毎晩毎回幹事は私でした。
「維新は捜査の狙い撃ちにされているから注意しよう」と合言葉を交わしておりました為、支払いは毎回しっかりと割り勘にし、運動員は飲むメンバーには入れておりませんでした(運動員におごると無償提供で買収罪が成立する為)。
残念ながら田中康夫候補は落選しました。「落選陣営は狙い撃ちにされ、捜査も落選陣営に向けられる」という事は巷間知られておりますが、選挙で立ち上がっていた捜査班に選挙期間中から相当マークされていたのでしょう。マークについては後述します。
 
 事件発生当日(参議院選挙落選の3日後)は、慰労を主旨とした会費制の打ち上げをし(幹事は私)、2次会3次会と流れ、その後、事件となりました。
 警察がタクシー運転手に被害届を出すよう強く迫ったのでしょう。選挙陣営で毎晩幹事をしていた私が、選挙慰労会当日に乱闘事件を起こしたのですから、選挙捜査絶好の機会と捜査班が捉えるのも無理はありません。
警察は私の自宅から、タクシー事件とは全く関連のない通帳(三菱UFJ、三井住友、りそな、郵便貯金等々)、自宅のパソコン、携帯電話、手帳やメモ帳、ありとあらゆる政治活動用のもの(名簿等々)を多数押収していきました。タクシー事件とは何の関連もないのは云うまでもありません。
 取り調べではくどいほど選挙期間中の飲食状況や同行していた議員らについて「鎌をかけて」聴いてきました。そもそも法令に違反している事は何らありませんでしたが、タクシー案件とは関係ないので何も話しませんでした。警察は我々が周遊した店々や参加メンバーを全て把握していました。選挙期間中完全にマークされていたのです。

 この事案は別件逮捕以外の何物でもありませんでしたが、私の最大の失敗、愚かしさは、選挙捜査で陣営がマークされている真っ最中の時期に一番わかりやすい派手な乱闘案件を起こしたという事。
結果、喧嘩を売られたがゆえに買い、喧嘩に勝つも集団乱闘となり被害者以上の怪我をした私が加害者となり、喧嘩を売って負けたタクシー運転手が被害者になるという、選挙捜査における別件逮捕ならではの、不思議な発展をした事件結果になりました。