渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

喫茶店競争車

2021年05月31日 | open



やっぱりいいと思うわけ。
なんだろうなあ。
すでに80年代にはこれでなくとも速い車
は登場しちゃってるから、もはや40年前
からこれに求められたのはスピードでは
ない。60年代は競技車をモチーフにされ
てカスタムされたが、80年代は当時すで
にカフェスタイルは車速が遅い前時代の
スタイルになっていた。日本車で嘘のよう
に速い車がもう登場していたから、レー
サーぽく改造する必要がなくなった。
本来の正統としてのカフェレーサーの進化
はレーサーレプリカとして日本車が80年代
に打ち立ててしまい、従来の英国風カフェ
レーサーはもはやレースに使える車ではな
くて、レトロ感を楽しむ物に変質した。
それが1983年あたりから。

でも、1960年代の日本車はカフェレーサー
みたいなデザインなんだよね。
カフェレーサーのルーツの正統進化は1980
年代登場の日本のレーサーレプリカやSSに
なるが、いわゆるカフェタイプならば1960
年代ブリティッシュテイストという概念
が固定化したのも80年代だった。70年代
はまだ60年代の延長感があり、特定ジャン
ルではなかったし、日本などではかなりの
金持ちたちが英国車やイタリア車をカフェ
に改造していて、一般的にカテゴリーとし
ては普及していなかった。

また1970年代は英国以外では概念さえも
あやふやだったのをタイムリーに経験して
る。
70年代当時から私が日本のカフェレーサー
乗りに違和感があったのは、英国では富裕
層ではなくブルーカラーたちがカフェ
乗っていたのに、日本では高慢ちきな
取って人を見下す金持ちたちに多く好ま
れた、という現象が確実に存在した事だ。
私自身も高校生ながら手作りでカフェ風に
していたが、オヤジたちが喫茶店で外車の
自車自慢をするのを傍目で見ていた高校生
の小僧は「おっちゃんたちよ、そいつは
ちょいと考え違いしてねえかい?」とか
思ったりした。
同級生の仲間たちは金持ちオヤジの英国風
カフェを「とっつぁんバイク」と呼んでバ
カにさえしていた。ハーレーなどは論外、
クソダサバイクの代名詞がハーレーだっ
た。日本ではハーレーに乗りたいのでは
なく、金持ちの象徴として「ハーレーに
乗る私」を自慢するバカおやじばかりしか
いなかったからだ。今は芸能人にそれが
多い。バイク好きでない素人がバイクなら
ハーレーとか意味不明な事で猫も杓子も
ハーレーに乗る。
本当のハーレー乗りはバイクになどは乗ら
ない。ハーレーに乗るのだ。芸能人のよう
にはハーレーを選ばない。
まあ、なんてのか、ベンツを金持ちの象徴
のように乗ってるようなのがやたら多い。
それがナンチャッテハーレー乗りだが、
1970年代の日本の外車カフェレーサー乗り
のオヤジたちがまったくヤカンタンクハー
レーおやじたちと同じ種族だった。

1970年代には日本では暴走仕様(チバラギ
タイプなどは登場していない。劇画ララ
バイのスタイルが本来の70's暴走仕様。80
以降のチンドン屋みたいな超絶恥ずかし
い珍走スタイルなどはいない)はカフェレー
サーとは別枠だった。
70年代の日本の高慢ちき野郎たちのカフェ
乗りはどうかというと、例えるならば、今
でいうオーナーズクラブに入って「マナー
が」とか「お手本があ」とかのたまわって
いるような連中が1970年代には日本のカ
フェレーサー乗りを気取っていた。
「それって、ロッカーズではないよね」と
高校生の私は大い違和感を感じていた。
体制や理不尽な規制に反抗さえせずに、
このおっさんたちくそダッセーと思って
いた。サテンのカウンターで黙ってコー
ヒーカップ傾けながら。
本来、カフェレーサー乗りは「不良」だ
ぜ。大人たちから眉ひそめられた「不良の
音楽」であるロックを聴くような。一曲
ジュークから流れるロックが終わるまでに
そこいらの街中一周して速く戻って来た者
が勝ち!という公道レースをやっていたの
カフェ乗りだ。
優等生の良識人ぶりたいなら、カフェなど
乗らずにノーマル乗ってメーカーとお上と
仲良しこよししてろ、このオヤジども、と
かまじで思っていた。45年程前。
カフェレーサー乗りは非行ではなく不良で
なければ見てくれだけの中身無しだ。
カフェレーサーてのは、抵抗戦線の戦闘機
なんだよ、本来の歴史性が。軽機関銃なん
だよ、バラライカのような。
レジスタンス魂もなく、体制寄りにいい子
ちゃんぶって何がカフェレーサーか、笑わ
せるな、てなのは45年前に日本の駄目
カフェオヤジたちを見て私は思っていた。
マフラーひとつ替えたら犯罪者扱いされて
いた1970年代、ティーンの俺はそう思って
いた。
圧力には決してひれ伏さない抵抗の魂は、
オートバイ教えてくれた。
それが、大学行ったら魂のほうだけがフル
オープンになっちゃったんだけどね(笑
今も継続する私のアイデンティティの原型
は、ティーンエイジの時代にオートバイ
往時の社会情勢によって形成された。


この記事についてブログを書く
« 映画『アウトロー』(2012) | トップ | MOTO 3 ムジェロ 訃報 »