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この記事は恐らく#ニコメド記事投稿祭に参加しているはずです。※遅刻した
詳細は以下。
https://ketoku.hatenablog.com/entry/2020/03/23/074508
この記事への返信を書き終えた後なので脳が死んでますが、締め切りが今日なので書きます。
https://ch.nicovideo.jp/jury/blomaga/ar1883746
文章が破綻している。原稿〆切とか夏休みの宿題が最終日にまっすろな人間の脳内は多分こんな感じ。あばばばば。
さて、書く内容についてはタイトルの通り。他の方々が自分のメドレーについて書く中、僕だけ人の褌で相撲を取るという。自分の原曲メドレーについて書こうかなとか思ったけど、あまりにもDTMに比べてノウハウの中身がない上に原曲メドレーに大した技術は必要ない。合いそうな曲を探して、BPMとキーを併せて、調味料に愛を振って終わり。こんな感じで30文字ちょいで終わってしまう。だから文字を見るより肝心の原曲メドレーの実物を見て独学で学んだ方がきっと早いと思うよ、うん。
まあそんなわけで本題に入るけれど、お馴染み駆け抜けメドレーってあるよね。
あれさ、今は色々、小説で言う「リポグラム」、美術で言う「現代アート」みたいな作品が生み出されているわけだけれど、そんな中で僕は駆け抜けメドレーの原理主義者として知られているわけ[要出典?]。
どういうことかと言えば、本家、つまり『駆け抜けるアニソンメドレー』などで「駆け抜けメドレー」の草分けとなった、界隈では説明不要のメドレー作者・成り行き氏のような駆け抜けメドレーが好きであって、それを真の駆け抜けと考えているということ。面倒でしょ。
変にこうやってファンダメンタリズムを主張してトレンドを批判してばっかいると絶対周りから人がいなくなると思うから、現状の駆けメドの是非についてはこの記事では殆ど触れない。一応言っておくとそこまでそれに大して目くじらを立てているわけではない。けれど、それによって本家的駆けメドが減ってしまうとなあ……と言った感じなのである。
だから、少しでも本家駆け抜けるメドレーの魅力を知ってもらいたいなあと思った訳で、今からそれを書こうと思う……のだが、まず初めにどうしてこういったものが少ないか。これについては正直はっきりとした結論が自分の中で出ている。
つまるところ、難しすぎるのである。理由は2つ。
第一に、駆けメドの構成が思い浮かんだらDTMに打ち込むわけだが、本家並みの高クオリティな打ち込みができないといけない。これが正直最大の壁だと思う。僕なんて抑々DTMすらできなかった。3回くらいPCにデータ吹っ飛ばされたからね。結果として仕方なく原曲で駆け抜けるメドレーを模倣するという前代未聞の妥協をやったわけだが。まあ、これは特例にしてもだ。メドレー界隈に所属しているDTMerの中で彼らぐらいのDTM力がある人間はそうそういないのではないか?と思う。「M.Iz」解散のきっかけには一人プロを目指した人がいたという理由もあるほどだ。おまけに説明はしづらいが、成り行き氏の音色は特徴があって、かつ聞きやすく、疾走感がある。ある種駆け抜けるメドレーに最適化されていると言っていい。本家なんだからそりゃそうなのかもしれないが。
次に第二の理由を、と行きたいところなのだが、これは僕が成り行き氏のメドレーが好きな理由の一つでもあるので後述する。
という訳で、改めて少しでも本家駆け抜けるメドレーの魅力を知ってもらいたいなあと思い、自分が好きな部分を挙げていこうと思う。
1.多くのメドレーにおいて『君の知らない物語』の系統で終わる。
『駆け抜けるアニソンメドレー』シリーズと言ってまず外せないのが『君の知らない物語』だろう。これ以上に美しい終わり方はないと思う。尤もこの曲で終わるものの先駆者は彼らではなく、『ニコニコ動画CMY』なのだが (その後にもあるとは言ってはいけない)。
毎回アレンジが変えられたり工夫を凝らしつつも、殆どの場合この曲、或いはこの流れに着地する。半分このことへの賛美はsupercell側に贈るべきなのかもしれないが、兎に角様式美の最たるものと捉えている。
kemu楽曲やカノン進行と相性がいいのも強い。
2.守備範囲が広い
これが2つ目の理由であると同時に、先ほど言った本家準拠のメドレーが「難しすぎる」理由の一つである。これは何も「駆けアニ」の話というよりかは「駆けごちゃ」とかの話で、兎に角ジャンルのバランスがあるのだ。
人によって当然守備範囲・趣味範囲は違う訳で、どうしても偏った選曲になりがちなのだが、氏にあまりそう言った印象はない。勿論それなりにジャンル・作品に思い入れがあるから偏るということも忘れてはならないが、多くの視聴者にとって飽きの来させない選曲になっていると思う。
そしてこのような選曲をしたうえでキッチリ繋いでいくのだから、最早職人技の域と言っても過言ではない。
3.繋ぎの流麗さ
駆けメドにおいて最も重要なのは多分、「繋ぎ」である。よく一致音だと綺麗な繋ぎになるともいうが、もう一つ忘れてはならないのが「展開」である。この2つがあるとより繋ぎがヌルっとなると思う。それをここでは「流麗」という言葉で表現している。
「展開」についてはまあ色々解釈はあると思うが、バリエーションが豊富かつ(但しバラードはない方がいい)、スパンごとにまとまっているかが重要ではないだろうか。いわばメリハリとも言うべきか。
上を踏まえたうえで本家駆けメドを確認すると、基本的にそのようなものが多いと思う。これを成しえると、メドレーは綺麗に繋がっていく。いわば「繋ぎ」と「展開」は曲同士を繋ぐのりしろのようなものである。これがないと、のりを貼る部分を間違えてしまったり、そもそも貼れなかったりする。
言うまでもなく、この作業は難しい。だからありきたりな表現になるがそこのところもやっぱり本家が一番凄いのだと思う。
以上、大まかに紹介したのはこの3つである。他にも「単純に選曲が好き」とかはあるが、大体は個人的な話になってしまったうえ、「3」を書いていた辺りで遅刻が確定したので駆け足になってしまった故以上で終わる。
取り敢えず僕はというと、駆け抜けの構成をしたくて今、死んでいる。
詳細は以下。
https://ketoku.hatenablog.com/entry/2020/03/23/074508
この記事への返信を書き終えた後なので脳が死んでますが、締め切りが今日なので書きます。
https://ch.nicovideo.jp/jury/blomaga/ar1883746
文章が破綻している。原稿〆切とか夏休みの宿題が最終日にまっすろな人間の脳内は多分こんな感じ。あばばばば。
さて、書く内容についてはタイトルの通り。他の方々が自分のメドレーについて書く中、僕だけ人の褌で相撲を取るという。自分の原曲メドレーについて書こうかなとか思ったけど、あまりにもDTMに比べてノウハウの中身がない上に原曲メドレーに大した技術は必要ない。合いそうな曲を探して、BPMとキーを併せて、調味料に愛を振って終わり。こんな感じで30文字ちょいで終わってしまう。だから文字を見るより肝心の原曲メドレーの実物を見て独学で学んだ方がきっと早いと思うよ、うん。
まあそんなわけで本題に入るけれど、お馴染み駆け抜けメドレーってあるよね。
あれさ、今は色々、小説で言う「リポグラム」、美術で言う「現代アート」みたいな作品が生み出されているわけだけれど、そんな中で僕は駆け抜けメドレーの原理主義者として知られているわけ[要出典?]。
どういうことかと言えば、本家、つまり『駆け抜けるアニソンメドレー』などで「駆け抜けメドレー」の草分けとなった、界隈では説明不要のメドレー作者・成り行き氏のような駆け抜けメドレーが好きであって、それを真の駆け抜けと考えているということ。面倒でしょ。
変にこうやってファンダメンタリズムを主張してトレンドを批判してばっかいると絶対周りから人がいなくなると思うから、現状の駆けメドの是非についてはこの記事では殆ど触れない。一応言っておくとそこまでそれに大して目くじらを立てているわけではない。けれど、それによって本家的駆けメドが減ってしまうとなあ……と言った感じなのである。
だから、少しでも本家駆け抜けるメドレーの魅力を知ってもらいたいなあと思った訳で、今からそれを書こうと思う……のだが、まず初めにどうしてこういったものが少ないか。これについては正直はっきりとした結論が自分の中で出ている。
つまるところ、難しすぎるのである。理由は2つ。
第一に、駆けメドの構成が思い浮かんだらDTMに打ち込むわけだが、本家並みの高クオリティな打ち込みができないといけない。これが正直最大の壁だと思う。僕なんて抑々DTMすらできなかった。3回くらいPCにデータ吹っ飛ばされたからね。結果として仕方なく原曲で駆け抜けるメドレーを模倣するという前代未聞の妥協をやったわけだが。まあ、これは特例にしてもだ。メドレー界隈に所属しているDTMerの中で彼らぐらいのDTM力がある人間はそうそういないのではないか?と思う。「M.Iz」解散のきっかけには一人プロを目指した人がいたという理由もあるほどだ。おまけに説明はしづらいが、成り行き氏の音色は特徴があって、かつ聞きやすく、疾走感がある。ある種駆け抜けるメドレーに最適化されていると言っていい。本家なんだからそりゃそうなのかもしれないが。
次に第二の理由を、と行きたいところなのだが、これは僕が成り行き氏のメドレーが好きな理由の一つでもあるので後述する。
という訳で、改めて少しでも本家駆け抜けるメドレーの魅力を知ってもらいたいなあと思い、自分が好きな部分を挙げていこうと思う。
1.多くのメドレーにおいて『君の知らない物語』の系統で終わる。
『駆け抜けるアニソンメドレー』シリーズと言ってまず外せないのが『君の知らない物語』だろう。これ以上に美しい終わり方はないと思う。尤もこの曲で終わるものの先駆者は彼らではなく、『ニコニコ動画CMY』なのだが (その後にもあるとは言ってはいけない)。
毎回アレンジが変えられたり工夫を凝らしつつも、殆どの場合この曲、或いはこの流れに着地する。半分このことへの賛美はsupercell側に贈るべきなのかもしれないが、兎に角様式美の最たるものと捉えている。
kemu楽曲やカノン進行と相性がいいのも強い。
2.守備範囲が広い
これが2つ目の理由であると同時に、先ほど言った本家準拠のメドレーが「難しすぎる」理由の一つである。これは何も「駆けアニ」の話というよりかは「駆けごちゃ」とかの話で、兎に角ジャンルのバランスがあるのだ。
人によって当然守備範囲・趣味範囲は違う訳で、どうしても偏った選曲になりがちなのだが、氏にあまりそう言った印象はない。勿論それなりにジャンル・作品に思い入れがあるから偏るということも忘れてはならないが、多くの視聴者にとって飽きの来させない選曲になっていると思う。
そしてこのような選曲をしたうえでキッチリ繋いでいくのだから、最早職人技の域と言っても過言ではない。
3.繋ぎの流麗さ
駆けメドにおいて最も重要なのは多分、「繋ぎ」である。よく一致音だと綺麗な繋ぎになるともいうが、もう一つ忘れてはならないのが「展開」である。この2つがあるとより繋ぎがヌルっとなると思う。それをここでは「流麗」という言葉で表現している。
「展開」についてはまあ色々解釈はあると思うが、バリエーションが豊富かつ(但しバラードはない方がいい)、スパンごとにまとまっているかが重要ではないだろうか。いわばメリハリとも言うべきか。
上を踏まえたうえで本家駆けメドを確認すると、基本的にそのようなものが多いと思う。これを成しえると、メドレーは綺麗に繋がっていく。いわば「繋ぎ」と「展開」は曲同士を繋ぐのりしろのようなものである。これがないと、のりを貼る部分を間違えてしまったり、そもそも貼れなかったりする。
言うまでもなく、この作業は難しい。だからありきたりな表現になるがそこのところもやっぱり本家が一番凄いのだと思う。
以上、大まかに紹介したのはこの3つである。他にも「単純に選曲が好き」とかはあるが、大体は個人的な話になってしまったうえ、「3」を書いていた辺りで遅刻が確定したので駆け足になってしまった故以上で終わる。
取り敢えず僕はというと、駆け抜けの構成をしたくて今、死んでいる。
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