BMK1をMEK5(D)とともにひとつの細胞の中で共発現するとMEK5(D)によってリン酸化されたBMK1は活性化BMK(p-BMK1)に変化して電気泳動の中を飛び跳ねる。
このような激しい活性化がなぜおこるのか、後に詳細に研究された。
その結果、MEK5 によって活性化された BMK1 が自分自身を更に活性化するために自分で自分をリン酸化することがわかった。
今日ではBMK1の過活性化はBMK1が細胞核に移行するために必要不可欠であると考えられている。
けんきゅうのはなし
研究の話
研究
米国上陸以来悪戦苦闘の毎日でしたがそれでも2週間も経つとボチボチ本腰で研究を始めなければなりません。
私の研究は当時大ブームとなっていたMAPキナーゼでした。
MAPキナーゼとはがん細胞が細胞増殖するときに細胞内で活発に活動する酵素です。
例えば現在肺がんの中で最も多いのは肺腺癌ですが肺腺癌の約半数は上皮成長因子受容体(EGFR)の突然変異によるMAPキナーゼの異常な活性化が原因だと考えられています。したがってMAPキナーゼの活動を抑えるような薬を発明すれば有力な抗がん剤をつくることができる(=莫大なお金が儲かる)と考えられていました。
私が共同研究をしたJDは世界で初めてMAPキナーゼのひとつ「BMK1」を発見(遺伝子を発見することをクローニングといいます)しましたが、その BMK1がいったい細胞の中で何をしているのかわからない状況でした。BMK1の役割がなぜ解らなかったのか、理由は簡単で当時はまだ BMK1 を人工的に活性化(元気にすること)ができなかったからです。BMK1の機能を知るために活性化がなぜ必要なのかというとBMK1は酵素だからです。酵素は細胞の中で普段は活性化されていない状態(元気のない状態)で存在します。しかし細胞に何らかの刺激が加わると活性化され、元気になった酵素の影響で細胞は変化します。その変化が何なのか、それは酵素によってバラバラですが、MAPキナーゼのような酵素が活発になると細胞が増殖したり、形態が変化して分化したり、状況によっては死んでしまったりすることがわかっています。当時は BMK1の活性化に成功していなかったのでBMK1が細胞にどのような影響を与えるのか解らなかったのです。
細胞の中で BMK1 を人工的に活性化することができれば
細胞の変化を観察することによってBMK1 の役割を知ることができる。
私が渡米して最初にした実験はこのBMK1を人工的に活性化する実験でした。そのため当時、BMK1と同じように何の役割を果たしているかわかっていなかったMEK5という蛋白の遺伝子を持ってきてその遺伝子に人為的に突然変異を起こさせてMEK5(D)という新しい蛋白を作りました。 そのMEK5(D)とBMK1を一つの細胞のなかで大量に作り出してやったところ見事BMK1は活性化されました。
このデータを見たとき、びっくりして椅子から転げ落ちるかと思った、と後にJDは私に語りましたが、世界の研究者が乗り越えられなかった壁を乗り越えた瞬間でした。にも関わらず、当時の私は本当に実験の初心者でしたのでその有り難さもわからず「活性化の実験をしたのだから当たり前。」ぐらいにしか考えていませんでした。
まさかこの現象が後に「BMK1の過活性化現象」という名前を与えられ、なぜ、何のためにこのような激しい活性化がおこるのか、何本もの医学論文が発表されることになるとは思いもしませんでした。
このあと、私の人生にはろくなことがありませんでしたので恐らくこの実験で私は自分の人生の運を使い切ってしまったのかもしれません。
研究者たちによって明らかにされた BMK1 過活性化のメカニズム。
私の論文ではT218とY220(TEY シーケンス)しか明らかにされていなかったリン酸化部位が
その後、多くの研究者によって実に19ものリン酸化部位が存在することが示された。
論文
実験が佳境にはいってきた6月妻が出産のために日本に帰っていきました。米国で出産すると子供にグリーンカードがもらえるということで周囲からは米国での出産を勧められましたが初産の妻にストレスを与えたくなかったのです。
8月に娘が生まれ、12月にふたりになって帰ってくるまで私は独り暮らしをすることになりました。すると出るわ出るわ良いデータが次から次へと生まれてくるではありませんか。妻がいないとこれほどまでに研究が捗るとは思いませんでした。
妻がいないと食事を作ってもらえません。だから決まった時間に家に帰る必要がありません。服を着替える必要もありません。風呂に入る必要もありません。余った時間は全て仕事に使えます。
研究助手のルイスおばさんから「Change your T shirt!(いい加減、服を着替えろ!)」と怒鳴られましたが、自分の人生の中でこの6ヶ月間ほど仕事がはかどった時期はありませんでした。
おかげで留学して1年で概ねBMK1が細胞のなかでどんな役割を果たしているのか明らかになってきました。
我々が提唱した細胞内における BMK1 の役割。
細胞に栄養を与えると MEK5が活性化され、それによってBMK1が活性化する。
活性化したBMK1は細胞質から細胞核に移行し細胞核にある MEF などの転写因子を活性化して細胞の遺伝子を活性化する。
それまで世界に三つしかなかったMAPキナーゼ経路(ERK1/2、JUNK、p38)に新しくBMK1経路が加わったわけです。
私はこの研究成果をまとめて当時(今もですが)超一流の科学雑誌であった「セル」に投稿しよう、と JD に提案しました。しかし、JD は同意しません。セルはファミリージャーナルだから研究成果を横取りされる恐れがある、というのです。
確かにセルは一流雑誌としての地位を確立するために多くの有名研究者の力を借りてきました。セルの表紙をめくると「ミニレビュー」というコーナーがあります。そこでは世界的に著名な研究者が世界の生物学研究の最先端について分かりやすく、かつ面白く解説しています。それらのレビューを掲載する見返りにセルはそれらの研究者の論文を優先して載せています。そのような「コネ」がきく雑誌のことをファミリージャーナルとよび、セルに論文を載せたいのであれば「セル・クラブ」に所属する研究者の元で研究をするのが最短距離と言われていました。もちろん、我々が働いていた研究室はセル・クラブではなかったため論文が受理される確率は低く、また最悪の場合、論文を審査するセル・クラブの研究者によって我々の研究成果を横取りされてしまう可能性はありました。
しかし、いくら実力のある研究室とは言え、我々の研究成果を再構成するにはかなりの時間と労力がかかります。論文を投稿して受理されなかったり査読者から無理難題をふっかけられるようであれば論文を取り下げて別の雑誌に投稿することもできます。そう言ってJDを説得しましたが彼は首を縦に振りませんでした。少し怯えているようにもみえたので、おそらく彼がまだ一度もトップジャーナルに論文を投稿したことがないという経験不足も影響しているようでした。もちろん、私もトップジャーナルに論文を発表した経験などありませんでしたし、もうそろそろ留学資金も底をつき始めてきたところです。これ以上彼と議論をしている余裕はありませんでした。
結局論文はセルと同じフォーマットの雑誌「EMBO Journal」というヨーロッパの分子生物学の雑誌に投稿することに決めました。
当時のEMBO Journal はインパクトファクター13点以上ありましたので論文が掲載されれば日本に帰ることができます。我々は急いで論文の校正にとりかかりました。私もJDも英語のネイティブスピーカーではありません。そこで同じ研究室で友人のカナダ人リチャードに校正を依頼しました。リチャードは私が書いた論文を跡形もないぐらい格調高い英文に書き換えてくれました。さらにその論文をボスのユルビッチにチェックしてもらい、論文は1997年の6月に投稿されました。
カナダ人リチャード・I・タッピング
現在はイリノイ大学で微生物学の教授をしている。
僕はアメリカ人よりカナダ人とかイギリス人のほうが好きだった。
アメリカ人は腕力にものを言わせるような、すぐに居丈高になるようなところがあって苦手だった。
おなじ人種なのになぜかカナダ人のほうがつきあいやすい。
「メープルリーフ州」の人たちはいい人たちだったよ。
それから1ヶ月ほど過ぎて出版社から論文が帰ってきました。
科学雑誌では論文を掲載する前に投稿されてきた論文が掲載に値するクォリティかどうか数人の科学者にチェックしてもらいます。そのような科学者のことを「査読者」というのですが我々の論文は 3 人の査読者のうちひとりからクレームがついた、というのです。
見てみると「英語があまりにひどい。投稿者は論文を投稿する前に英語を母国語とする人間に論文を直してもらうこと。」とありました。
どうやらカナダ人やユダヤ人の英語はイギリス人からすると我慢のならないものだったようです。
それから2ヶ月後、論文は無事受理され晴れて日本に帰る資格を手に入れることができました。
日本を発ってから1年半が経っていました。
ハン
渡米して初めて論文を投稿したころ、私の手元に一枚のデータがありました。
そのデータはいかにもエキセントリックで、例えて言うならば如何にもネイチャーが好みそうなデータでした。
ひと口にトップジャーナル、といってもネイチャーとセル、サイエンスでは好む論文が違います。
例えばサイエンスは投稿された論文が重要な発見である、という場合には喜んで掲載します。しかしネイチャーにとっては論文が学問的に重要かどうか、ということは比較的どうでも良いことなのです。なぜならサイエンスは米国の学会誌なので雑誌が面白くなくても読者は(半ば強制的に)雑誌を購入してくれます。
それに対してネイチャーは商業誌なので掲載する論文が面白くなくては誰も買って読んでくれません。
例えば「火星探査機が火星に到着して調査をしたところ 99%の可能性で生物は存在しなかった」という論文をサイエンスは好みます。しかし同じ内容の論文をネイチャーで発表しようとすると「火星を調査したところ、なんと1%の可能性で生物が存在していた。」と書かなければならないのです。
その時私が持っていたデータは如何にも後者の、ネイチャーの読者の好奇心をかきたてるようなそんなデータでした。
早速論文の作成にとりかかりましたが、トップジャーナル向けの論文であるだけにボスに相談することはできません。かといって相棒のJDに相談して尻込みをされても困ります。そこで私は同じ研究室のハンという男に相談してみることにしました。
なぜハンに相談したのか?それは当時私が留学していたユルビッチ研究室のなかで唯一ハンだけがネイチャーに論文を発表したことのある研究者だったからです。
ハンはMAPキナーゼ p38 の研究者として当時破竹の勢いでした。トップジャーナルに次々と論文を発表し、グラントも獲得して複数の中国人研究者を雇用しており、ユルビッチ研究所の中で半ば独立した存在でした。この男なら私の研究データの真価がわかるに違いありません。
ユルビッチ研究室のエース、ハン(Han Jiahuai)
ハン(Han Jiahuai)は世界で初めて 3 番目の MAP キナーゼ p38 のクローニングに成功して当時その分野の権威となりつつあった。
紅衛兵だったという噂があったため「造反有理」と紙に書いてみせたら昼飯を口から吹き出していたので本当なのかもしれない。
当時はもう少し髪があった。
そこで「このデータどう思う?」とデータを1枚だけ見せてみました。
論文の全てを見せるにはあまりに危険な相手です。あえて一切の説明を省きデータのみを見せました。するとハンの顔は一瞬でこわばり、激怒した彼は立ち上がって言いました。
「このようなデータは決して良い雑誌には受理されない!こんなデータは我々だって持っている。ましてネイチャーは絶対に・・・。」
ここまで言ってハンは急に黙ってしまいました。
そう、私はこのデータをネイチャーに投稿するなんてひと言も言っていないからです。
その時ハンにみせたデータ。
子宮がん細胞の細胞周期を現したデータで癌細胞中に大量の不活性型BMKI(BMK1(AEF))を産生させると癌細胞の分裂が停止する。何も説明しなかったがハンはひと目みて何を語るデータか見抜いた。
誤解のないように説明します。
ハンは紳士です。科学者としても家庭人としても中国人の同僚を束ねる立派な男でした。私はそれまで彼が大きな声をだしたり動揺したり慌てたりするところを見たことがありません。
そのハンが、私のデータをみて、顔を真っ赤にして目を血走らせて「ネイチャーは受理しない。」と言い切るのです。
私はこの時自信をもって論文をネイチャーに投稿することに決めました。
ありがとうハン。僕は今でも君のことがとっても大好きだ。