
2019年11月8日の参議院予算委員会で、田村智子議員(日本共産党)の質問に「ご飯論法」で応じる安倍総理(国会PVより)
2月11日の
TBS「news23」で、「
ご飯論法」が実際の国会審議映像と照らし合わせながら紹介された。
野党議員の質問に誠実に答えず、意図的に論点をずらして答え、あたかも誠実に答えたかのように装って不都合な事実を隠しておくのが「ご飯論法」だ。
11日の「news23」では、筆者が「桜を見る会」をめぐる国会答弁の「ご飯論法」ぶりをスタジオで解説した。
番組公式TwitterアカウントのTweetから11分あまりの特集の全体を確認できる。
「ご飯論法」は2018年の新語・流行語大賞のトップテンを受賞したが、言葉だけでは中身が連想できないことから、「かえって分かりにくい」という声があった。「news23」で紹介されたあとも、「屁理屈」と言えばいいだけ、といった見方がある。しかし、それが「屁理屈」であることが一見してわからない答弁を読み解くためにこそ、「ご飯論法」という言葉が必要なのだ。「ご飯論法」という言葉は、
答弁者が答えたくない「不都合な事実」に私たちが気づくことができるための、「手がかり」なのだ。「セクハラ」という言葉が生まれて初めて、「あ、これってセクハラだ」と気づけるのと同じだ。だから、一見してわかりにくくても、ぜひ「ご飯論法」とは何かを知っていただきたい。
実は、「ご飯論法」の「名手」は、
加藤勝信厚生労働大臣だ。現在、
新型コロナウイルスの広がりや対策の必要性について、的確な情報発信を行うことが期待されている大臣が、はぐらかしの名人であるということは、困った事態なのだが、感染拡大防止のためには、「不都合な事実」を隠さない誠実な情報発信が大事だ。それを求めていく上でも、「ご飯論法」をここで解説しておくことには、意味があると考える。
まず、改めて「ご飯論法」とは何かを確認しておきたい。「ご飯論法」とは、「働き方改革」の国会審議における加藤勝信厚生労働大臣の不誠実な答弁ぶりを筆者が2018年5月6日に下記のように「朝ごはん」をめぐるやりとりにたとえたものだ(なお、「ご飯論法」という名付けは筆者が行ったものではなく、
紙屋高雪氏が翌日の5月7日にツイッターで筆者の記事に言及しながら行ったものであり、筆者はいわば「発案者」である)。
Q「朝ごはんは食べなかったんですか?」
A「ご飯は食べませんでした(パンは食べましたが、それは黙っておきます)」

国会パブリックビューイングの街頭上映スライドより
このやりとりのポイントは次の4点だ。
(1) 質問に誠実に答えていない
(2) 聞かれたことから、あえて論点をずらして答えている
(3) 不都合な事実は隠したままにして、言及しない
(4) あたかも誠実に答えているかのように相手に思わせ、不都合な事実を隠していることに気づかせない
第1のポイントについて。もし誠実に答えるなら、「食べました」もしくは「パンを食べました」と答えるべきところだ。しかし、
パンを食べたことは、あくまで言いたくないために、このような不誠実な答え方になるわけだ。
第2のポイントについて。聞かれているのは「
朝ごはんを食べたか」なのに、あえて
「ご飯(白米)」を食べてたかどうかを聞かれているかのように、勝手に論点をずらして答えている。これもパンを食べたことを言いたくないためだ。
第3のポイントについて。
不都合な事実とは、この場合は、パンを食べたことだ。パンを食べたか食べていないかについては、ここでは一切言及していないことに注意していただきたい。
「何も食べておりません」と答えるなら虚偽答弁になってしまう。虚偽答弁を避けながら、パンを食べていたか否かについては一切言及せず、「実はパンを食べていたのではないか」との疑念も抱かせない答え方をしているわけだ。
第4のポイントについて。
「何も食べていなかった」かのように思わせることがポイントだ。もしこれが「記憶にありません」のような答え方だと、質問者に「何か食べていたはずだ」と疑念を抱かせてしまう。「何も食べていなかったんだな」と質問者に思わせることができれば、たくらみは成功したことになる。