油買うもよし、売るもよし。楽しく老いるためのオイル日記
知らなかった
テーマ:よもやま話
2015年10月26日 08時53分
昨日のブログ「鳥取藩主絶家」に対して、ハマじいさんから「鳥取城の歴史を遡ると『秀吉』さんとも因縁がありますね」というコメントをいただきました。
恥ずかしながら、その時ピンと来なかったのですが、鳥取城と秀吉の関係について調べてびっくりしてしまいました。秀吉の中国攻めについてはもちろん知っていましたが、高松城の水攻め、三木城の兵糧攻めと並んで、鳥取城の兵糧攻めが秀吉の三大城攻めだったとは。
「鳥取の飢え殺し(かつえごろし)」というサイトを見ると、
「飢餓に苦しみ助けを請う人々は鉄砲で撃ち倒され、その死体の人肉が陣中で奪い合いになるという地獄絵図が繰り広げられ」、開城後も「空腹の余り勢いに任せて配給の米を喰らった兵士が次々と胃痙攣で死亡した」という悲惨な記録も残っているそうです。
こうした個々の城攻めについて学校の歴史の時間に深く学ぶことはあまり無く、小説で読んだりドラマで知ったりすることが多いのですが、大河ドラマでもこの場面が出て来た記憶はありません。
それもそのはず、「あまりにも凄惨な戦いゆえに、戦国時代や豊臣秀吉を扱ったドラマでも、この戦については割愛されるかナレーションのみで流される事が多い」と上記サイトには書かれていました。
大河ドラマ「軍師官兵衛」で、官兵衛が有岡城に幽閉される場面ですら、痛々しく直視できなかったくらいですから、鳥取城攻めの様子などはとても放映することなどできないでしょう。
「NHK大河ドラマ『黄金の日々』は、飢餓地獄の有り様を、放映できるギリギリの部分まで映像化した数少ない作品である」とも書かれていました。実は黄金の日々は私が最も好きだった大河ドラマなのですが、残念ながら記憶にありません。
昨年、鳥取城のゆるキャラ候補として「かつ江さん」が登場し物議をかもしたこともあったようですね。目をつぶってしまうと知られないまま過ごされてしまう歴史が色々あることを実感いたします。
400年以上も前のこととは言いながら、秀吉ゆかりの地の者として、鳥取の方々には後ろめたさを感じてしまいますが、じげぶろに参加させていただくなか、先代鳥取藩池田家当主の「過去にこだわらず未来に尽くすんだよ」という言葉を有り難くしみじみ頂いているところです。
恥ずかしながら、その時ピンと来なかったのですが、鳥取城と秀吉の関係について調べてびっくりしてしまいました。秀吉の中国攻めについてはもちろん知っていましたが、高松城の水攻め、三木城の兵糧攻めと並んで、鳥取城の兵糧攻めが秀吉の三大城攻めだったとは。
「鳥取の飢え殺し(かつえごろし)」というサイトを見ると、
「飢餓に苦しみ助けを請う人々は鉄砲で撃ち倒され、その死体の人肉が陣中で奪い合いになるという地獄絵図が繰り広げられ」、開城後も「空腹の余り勢いに任せて配給の米を喰らった兵士が次々と胃痙攣で死亡した」という悲惨な記録も残っているそうです。
こうした個々の城攻めについて学校の歴史の時間に深く学ぶことはあまり無く、小説で読んだりドラマで知ったりすることが多いのですが、大河ドラマでもこの場面が出て来た記憶はありません。
それもそのはず、「あまりにも凄惨な戦いゆえに、戦国時代や豊臣秀吉を扱ったドラマでも、この戦については割愛されるかナレーションのみで流される事が多い」と上記サイトには書かれていました。
大河ドラマ「軍師官兵衛」で、官兵衛が有岡城に幽閉される場面ですら、痛々しく直視できなかったくらいですから、鳥取城攻めの様子などはとても放映することなどできないでしょう。
「NHK大河ドラマ『黄金の日々』は、飢餓地獄の有り様を、放映できるギリギリの部分まで映像化した数少ない作品である」とも書かれていました。実は黄金の日々は私が最も好きだった大河ドラマなのですが、残念ながら記憶にありません。
昨年、鳥取城のゆるキャラ候補として「かつ江さん」が登場し物議をかもしたこともあったようですね。目をつぶってしまうと知られないまま過ごされてしまう歴史が色々あることを実感いたします。
400年以上も前のこととは言いながら、秀吉ゆかりの地の者として、鳥取の方々には後ろめたさを感じてしまいますが、じげぶろに参加させていただくなか、先代鳥取藩池田家当主の「過去にこだわらず未来に尽くすんだよ」という言葉を有り難くしみじみ頂いているところです。