柳原白蓮
柳原白蓮
白蓮も大分の人ではない。一時、別府に住んでいた事があるから、この項に取り上げた。それ以上に大分に関りがある訳では無いが、何故か強い親近感を覚えてしまうのは何故だろうか。
常々思う事がある。白蓮が暮らした別府の「赤銅御殿」についてである。県会議員の首藤家が引き取り、旅館業に利用していた。その後の宅地開発ブームの頃、不動産業者に売却されて現状に至った。この頃は、「赤銅御殿」をはじめ多くの古建築物が壊されて、同様の顛末を辿(たど)った時期であったから、それらの成り行きを誰も疑う事は無かった。ただ一人カメラマンの藤田洋三氏は、それをカメラで残し出版までして、周りの別府好き同志或いは御役所にその事を訴えてきたが、誰もその「本当(真実)」に気付く事は無かった。
擦れてしまって読み取りが難しくなったが、当短冊帖の題僉に「やちく佐の花」とある。内に百枚の美しい短冊が納められている。しかも、一枚一枚の短冊の裏には、白蓮の推敲が鉛筆で遺っている。それらから、この短冊帖は一帖の稿本と見做す事もできる。
五摂家の一・近衛家は、都心に在りながら、庭に立木や野草が多く、まるで田舎の一軒家と云った風情であった。執事は思い入れが有ったのか、取り分け熱心に「白蓮短冊帖」を語った。