皇女戦記   作:ナレーさんの中の人

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プロローグだけできたので投稿しておきます。


合州国
教書演説


統一歴1927年1月6日

合州国議会議事堂

 

上院議長、下院議長、第68回連邦議会の皆さん。

私は、合州国の歴史で前例のない時期に際してお話している。

「前例のない」という言葉を使うのは、合州国の安全保障が今ほど外部からの重大な脅威にさらされたことは、これまでなかったからである。

 

海のかなた、旧大陸で進行しつつある事態を、この場にいる皆さんで知らない方はないだろう。そして大半の議員諸兄はこう思っておられるに違いない、「それは対岸の火事である」と。

それに対し、連邦軍最高司令官、即ち国家の安全を司る合州国大統領として、真に残念なお知らせを私はせねばならない。

 

 

――この火事は対岸では済まないだろう、と。

 

 

思い出していただきたい。

4年前、北欧の寒村で「衝突」が発生したと聞いたとき、ここに居られる皆さんの中で、その紛争が全欧州を呑み込む日が来ると予想した方が居られただろうか?

 

思い出していただきたい。

私たちの祖先が乗ってきた、ちっぽけな帆船のことを。

そして連合王国は、軍艦が木造の帆船だった時代に、この地を植民地としていたことを。

彼らに出来たことを、鋼鉄の戦艦、ジュラルミンの航空機を持つ今の軍隊に出来ぬ道理があるだろうか?

 

――なにより、思い出していただきたい。

この4年の間に、不運にも欧州で戦渦に巻き込まれた、無辜の合州国市民がいることを。

真冬の北大西洋に投げ出された子供たちはどれほど心細く、どれほど苦しかっただろうか。そのことを思うとき、子供を持つ親として、私の胸は張り裂けそうになる。

 

 

 

――そう、もはやこの戦争は対岸の火事ではない。それは我々の眼前に迫る業火であり、今までにない合州国安全保障上の重大な脅威である。

 

 

なるほど、国としての我々は、慈愛深い国民であることを誇りにしても良いだろう。しかし我々には、慈愛深い心を持つ余裕はない。

 

国内問題についての我が国の政策が、我々の門戸の内にいるすべての人々の権利と尊厳に対する適切な敬意に基づいているのと全く同じように、国際問題に関する我が国の政策は、大小を問わず全ての国の権利と尊厳に対する適切な敬意に基づいている。

 

 

そして道義的な正義は、最後には勝たなくてはならないし、必ず勝つだろう。

 

 

我々が確実なものとすることを追求している将来の日々に、我々は人類の普遍的な4つの自由を土台とした世界が生まれることを期待している。

 

第1は、世界のあらゆる場所での言論と表現の自由である。

 

第2は、世界のあらゆる場所での個人がそれぞれの方法で神を礼拝する自由である。

 

第3は、欠乏からの自由である。それは世界的な観点で言えば、あらゆる国に、その住民のための健全で平和時の生活を保証するような経済的合意を意味する。

 

第4は、世界のいかなる場所でも、恐怖からの自由である。それは世界的な観点で言えば、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

これは、千年先の幻想ではない。我々の時代と、この世代のうちに実現可能な形の、世界の明確な基盤である。

 

そうした種類の世界は、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、いわゆる()()()()()()()()()()のまさに対極にある。

 

そのような新体制に対して、我々はもっと偉大な概念で対抗する。それは道義をわきまえた秩序である。優れた社会は、世界支配の企てにも、海外での革命にも、等しく恐れることなく対峙することができる。

 

合州国の歴史が始まったその時から、我々は変化を推し進めてきた。永続的な平和革命に携わってきた。それは着実に進む革命であり、状況の変化に静かに適合してきた。

我々が追求する世界秩序は、自由で()()()な諸国が、友好的な文明的社会の中で力を合わせる協力関係なのである。

 

合州国はその運命を、何百万人もの自由な男女の手と頭と心に託してきた。そして、()()()()()()で「自由」に信頼を託してきた。自由とは、あらゆる場所で人権が至上であることを意味する。

それは言うまでもなく、君主が人々を支配し、搾取するような旧時代の秩序とは対極に位置するものであり、その様な旧秩序が全欧州を支配する事態は、我々にとって「自由」の喪失を、「人権」の敗北を意味する。

ゆえに我々は、そうした人権、自由を獲得し、維持し、なにより死守せんと苦闘する人々に支援の手を差し伸べる。我々の強みは我々の目的の一致である。その崇高な概念には、勝利以外の終わりはあり得ないのである。

 

 

 

 

 

 

 

――統一歴1927年1月、欧州の大半が前進を続ける帝国軍の犠牲になった頃、テッド・ローズベルトは合州国大統領として前例の無い3期目の任期に入ったばかりだった。

当時、連合王国は帝国軍を抑えることがますます困難になっていた。

そもそもローズベルトは帝国を、合州国の国家安全保障に対する重大な脅威だと考えていた。その原因については()()()()()()()()な点も多く、更なる同時代資料の発見、分析に期待したい。

ともかく、それゆえにこの年の1月6日、毎年恒例の一般教書演説の中でローズベルトは物資援助の継続と合州国軍需産業での増産を通じ、連合王国を支援することを誓った。

上記はその抜粋である。

そして連合王国への支援は合州国民だけでなく『万人の権利である普遍的な自由』を守るものなのだ、と彼は説明していた。

 

――ちなみに、今日(こんにち)では周知の事実となっているルーシー連邦の独裁体制、強制収容所の存在について、連邦政府は当時も今も否定し続けており、この当時の合州国市民で知るものは多くなかった。

また、当時合州国に多く滞在していたルーシー連邦共産党関係者――彼らを送り込んだのは、モスコーにある共産党内務人民委員会である可能性が高い――による全国各地でのロビー活動の影響も無視するべきではない。

結果として、ルーシー連邦への支援については「連合王国の同盟国を支援することにより、ひいては連合王国への支援となる」と説明、答弁されている。

 

演説の中でローズベルトは、世界の民主主義を断固として擁護すること、合州国が「()()()()()たちの恐喝にひるむ」ことはない、と述べた。

 

この点に関し、今日(こんにち)では帝国の政治体制は憲法上「君主制」でありながら、その運用、実態は「議会制」「象徴としての皇帝」であったことが分かっている。

しかし、当時の合州国一般市民が帝国に持っていたイメージは「皇帝の統べたる軍事独裁国家」であり、この教書演説はそのイメージが前提となっていることに留意する必要がある。

 

そして最後に、合州国が確保し、すべての個人に広めたいと願う「人類の普遍的な4つの自由」を雄弁に語り、それと対極にある「帝国」への対決姿勢を鮮明にして演説を締めくくった。

これは彼の大戦への態度を明確にした最初の宣言と見なされており、半年後の「最後通牒」へとつながる、合州国参戦への第一歩であったと考えられている。

 

 

 

――君主が人々を支配し、搾取するような旧時代の秩序(中略)その様な旧秩序が全欧州を支配する事態は、我々にとって「自由」の喪失を、「人権」の敗北を意味する。

 

 

――崇高な概念には、勝利以外の終わりはあり得ないのである。

 

 

――統一歴1990年頃のウェンリー教授未発表論文より




■参考URL:アメリカンセンターJAPAN(https://americancenterjapan.com/
「米国の歴史と民主主義の基本文書大統領演説」

要するに、ルーズベルト大統領の1941年年頭の教書演説とほぼ同じ。

…と、言うより「ルーズベルトはんの41年年頭教書あたりベースに使えるんじゃないかな~」⇒検索⇒「…やべえ、思った以上にそのまま使えるじゃん」⇒戦慄←イマココ

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