【注意】新型爆弾はルールシュタール/クラマーX-1(Ruhrstahl/Kramer X-1)、通称フリッツXそのものではありません。
統一歴1914年春
連合王国首都ロンディニウム郊外 ボーチアルテ飛行場
――これは、戦争なんて誰も想像していなかった、平和な時代のお話。
「…まだ始まらんのかね?」
その日、後の連合王国首相、ウィストン・チャーブルは暇を持て余していた。
当時の彼の役職は海軍大臣。そんな彼が、畑違いも良いところの『陸軍航空隊実験部』のデモンストレーションに付き合わされている理由はただ一つ。
「まぁまぁそう仰らず。小父様もティーなど如何?」
「無論、頂くとも」
彼の隣に腰かけて、どこから調達したのか紅茶を優雅に楽しむ『客人』のせいに他ならない。
「…しかし困ったな。この後の予定が狂ってしまう」
「それは仕方ありませんね。こうも風が強くては」
クスクスと笑う客人だが、しかし、彼女が今日のこの実験の見学を熱望したからこそ、その案内人としてチャーブルが選ばれたのだ。
繰り返しになるが、ここは戦争など影も形もない、麗らかな春の日差し(及び一部光化学スモッグ)に包まれたロンディニウム。
十年後には信じられないことだが、当時の人々の目には『飛行機』は兵器ではなく、「魔導師でなくとも空を飛べる、全人類の夢」として映っていた。
ゆえに、この日連合王国陸軍飛行機実験部――飛行機という未知の分野を押し付けられた可哀そうな部署とみられていた――が開いた『とある実験』には、在ロンディニウムの著名人、外交官が招待されていた。
――その中に、『見せてはいけない人』が紛れ込んでいたことを、神ならざる連合王国人が知る由もなかったのである……。
「かれこれ30分になる…。ここまで来て中止だったら目も当てられん」
「全くですね」
ともあれ、時折強く吹き付ける南風のせいで開始が遅れ、そのせいでこの飛行場のルール『火気厳禁――シガレットも含む――』に責め苛まれているチャーブル海軍大臣の顔は渋い。
揮発性、引火性の高い航空燃料を取り扱うところゆえ致し方ないのはわかる。
だが、同じ理由で紅茶も冷めているというのは頂けない。…陸猿共め、連合王国人の魂すら雲の上に忘れてきたか?
「それほどの意味があるのかな、この実験に」
「それはもう。個人的には世界史に残る大実験だと思いますよ」
「ほーぅ?」
俄かには信じがたいと首を傾げるチャーブルだったが――
「あっ!始まるようですよ、小父様」
「ん?どれどれ――」
翌日のロンディニウム・タイムズの3面。
そこに掲載された記事の持つ意味を、当時のチャーブルは知る由もない…。
「陸軍航空隊の快挙!世界初、航空機の無線操縦飛行に成功!」
◇◇◇
発:陸軍第13軍司令部
宛:空軍第617特殊中隊
直近の気象データを送信す。『試験』に最適と思慮するものなり。
なお実施の際は、当日0600までに通達されたし。
発:空軍第617特殊中隊
宛:陸軍第13軍司令部
情報提供を謝す。
『試験』に最適という意見について、全面的に同意す。
よって明日1000より『試験』を開始す。留意されたし。
◇◇◇
統一歴1927年7月20日
クリーミャ半島上空 12,000フィート
軍用機とは思えぬ快適な座り心地の椅子に腰かけながら、『大佐』は首を傾げた。
「いったい何が始まるのです?」
その問いかけに対し、案内役のレルゲン大佐は答えた。
「さて?小官はただ『客人を息抜きにご招待せよ』と命じられただけですので」
「…なるほど」
頷きながらも唇の端がピクリと痙攣するのを隠し切れないあたり、『息抜き』というのは適切な表現だったのだろうな、とレルゲン大佐は苦笑する。
『
その肩書を引っ提げて東部戦線に足を踏み入れた『大佐』…カランドロ大佐と愉快な僚友たちだったが、彼らを待ち受ける視線はとても厳しいものがあった。
…まぁ、
いまや大多数の帝国軍人にとってイルドア王国は『同盟国とは名ばかりの蝙蝠野郎』。
あのはた迷惑な『春先の大演習』のことがあり、まだそれからさほど日も経たぬ内にやってきた観戦武官である。
「どの面下げてきやがった」
「諜報活動か」
「流石情熱の国ですな、恋多き方々でいらっしゃる」
――というのが帝国軍将兵の偽らざる本音であり、面と向かって言わずとも彼らから向けられる有形無形の『熱烈な歓迎』は、陽気なイルドア人を以てしても少々辟易していたところだった。
一例を、一行の誰かの手記に見てみよう。
『帝国は我々に戦時仕様パスタとやらを提供した。
それはパスタを小麦粉とジャガイモ粉で作った、神への冒涜であった。
我々イルドア人が、生まれて初めてパスタを残したという時点で、味はお察しいただきたい』
ゆえにレルゲン大佐の提案に、彼らはすぐに首を縦に振った。
しかも誘われたのがセバスチャン・ト・ホリ攻略戦の上空からの視察、しかも用意されたのが大型輸送機「TB-1」――呆れたことに帝国の連中、旧式化した
なんでも、戦域が従来の予想を遥かに上回る広さとなり、視察や司令部、特殊機材を『丸ごと』帝都と前線でやり取りするのに、SB-1の広さとペイロードが防弾装備の充実という点でも最適だったそうで。
いやまぁ、分からんでもないが…。
――いくら高級幕僚を乗せることを想定したとはいえ、暗号機含む通信設備に小型キッチン、冷暖房完備…。しかも座席はクッションの利いた革張りのと来ている。
…なに?全席リクライニング機能付き?……おお、確かに動くぞ。
「我が軍の最新輸送機にはご満足いただけましたかな?」
「…いやはや、前線と言うことを忘れそうですな。帝国軍の将官ともなると、このような上質なサービスを受けられるのですか」
「はっはっ、流石にそこまでは。今回は同盟国からの客人と言うことでクルーが張り切ったようで。小官にとっても得難い経験ですよ」
「それはそれは…」
レルゲン大佐の言うとおり、この機体は『特別仕様』。軍司令部を詰め込んで戦域管制を行う特殊機、その実験機であった。
それを、カランドロ大佐一行のために遥々帝都から持ってきた――まぁ、空軍とSB-1の感覚で言えば「ドライブ」程度なのだが――理由は言うまでもなく「示威行為」。
そうでなければ、いまや帝都でも絶滅危惧種となった本物のコーヒーを、更に帝都の一流シェフの
「――さて、雑談はここまでといたしましょう。…実はお見せしたいものがありまして」
「ほぅ?それは?」
「あちらを」
カランドロの問いかけにレルゲンは窓の外を指し示す。
その先を飛んでいるのは――
「あれは…SB-1ですかな?貴国ご自慢の」
そう言いつつも、カランドロは違和感を抱いた。
資料で見たSB-1は鉛筆のような胴体と大型の主翼を持つ、実に流麗な機体だ。
しかし、あの機体は何かが違う。
それなりに距離があるので断言はできないが、どうも
SB-1では胴体の中ほどから出ていた主翼が、胴体の
そこまで視認したところで、カランドロの顔が強張る。何故ならば――
「あれは新型爆撃機『SB-2』となります。…厳密には増加試作機ですが」
「!」
4発の大型爆撃機を次々と生み出すその航空技術力に、カランドロらは瞠目した。なにしろイルドアでは、未だSB-1クラスの機体を実用化する目途も立っていないのだから。
もっとも、それは彼らの責ではない。
この時代、長距離爆撃機の分野は1914年頃から基礎研究を行っていた帝国と、その広大な国土ゆえに長距離機の開発が盛んだった合州国が頭一つ…いや二つほど飛びぬけているというだけの話なのだから…。
「それはそれは…、貴国の航空技術は素晴らしいものがありますな」
ともあれ、カランドロとしてはそう返すほかない。
…まぁ、実のところこの『SB-2』、元はSB-1と同時期に開発がスタートしていた
しかし比較的順調だったSB-1とうって変わり、その開発は困難を極めた。
なにしろSB-1と同時期に、同等のエンジンで同等以上の航続距離を、しかも水陸両用機で求められたのだ。順調に行く方がおかしい。
この問題に解決の目途が立ったのは去年の夏。
そう、帝国空軍の新型変態エンジン、
このバケモノエンジンを4つ積むことで、ようやく要求性能――当初のそれでも厳しかったのに、戦訓から防弾性能、防御火器の増備が求められていた――を達成する見込みがついたのだ。
――そしてそこまで来て、帝国空軍は気付いてしまった。
「…これ、普通に陸上機として良いのでは?」
うっそだろお前!?
――と仰るだろうし、全くもってそのとおりなのだが、まぁ話を聞いていただきたい。
そもそも、XSF-1の構想が持ち上がったのは統一歴1915年ごろの話である。
当時はまだ航空産業の黎明期にあたり、4発の大型機を運用できる飛行場などほとんど存在しなかった。太平洋に広がる帝国海外領、南洋諸島に至っては小型機の飛行場すら数カ所しかなかった時代である。
だからこそ、同時期にスタートしたSB-1のいわば「保険」という意味合いもあって、バルテック海より運用できる大型飛行艇開発プロジェクトはスタートした。
何しろ戦前のことである。
その時点でSB-1を運用できると想定された飛行場は、帝国内にたった2カ所しかなかった(!)。
空軍予算は
なにより、XSF-1が想定していたのは太平洋に広がる帝国海外領、南洋諸島。
飛行艇が要求されること、そして広大な太平洋に点在する帝国領の島々での運用のため、桁違いの航続距離が必要となるのは当然だった。
しかし、いまや状況は一変した。
空軍は格段に増強され、SB-1を運用する巨大飛行場が各所に造成されている。
なにより、南洋諸島との連絡は途絶(一応、人間だけならば中立国経由で行くことは出来たが)している。
そして太平洋での運用を想定した桁違いの航続距離は、欧州全土をすっぽり射程に収められることを意味していた。
「…水密構造を廃止したら、余裕のある新型重爆撃機になるんじゃないか、これ?」
なまじSB-1の出来が良かったが故の見落としだった。
仮に同機に重大な欠陥でもあったなら、早々に後継機が求められ、XSF-1に白羽の矢が立っていたことだろう。
しかし、良くも悪くもSB-1は完成度が高く、しかもエンジンを強化すれば大体の問題を解決できるポテンシャルを秘めていた。結果、今の今まで「モノにならない飛行艇」の開発がずるずる続いてしまったのだ。
かくして、新型爆撃機『SB-2』の開発は半ば偶発的にスタートした。
…いや、スタートというほどのこともなかったかもしれない。
なにしろ、元々水陸両用飛行艇である。やったことといえば、馬鹿でかい主翼の補助フロートの廃止と、胴体爆弾倉の追加程度。
しかも後者は一度廃止――水密構造との両立が出来ずに断念――したのを復活させたにすぎない。もっと言えば、倉庫にしまい込んでいた修正前の図面を引っ張り出しただけである。
かくして、『SB-2』の図面はわずか1週間で完成。
「…重爆の設計って、こんなに簡単なものだったか?」
「落ち着け、今回は例外中の例外だ」
関係者が錯乱する程度に早かった。
しかも、フロートやら水密構造やらが無くなった分重量が浮き、足回りを強化しても余裕が生じた結果――
「偵察時の航続距離が8,500キロ?」
「爆弾を4トン搭載した状態でも4,500キロ?」
「距離を忍べば7トンまで積めます、だと…?」
当時空軍内部で検討されていた『SB-1改良計画』を凌ぐ数値があっさり出たことに、関係者は卒倒した。
が、すぐに気を取り直して試作機の製造を開始。同時に既存のSB-1製造ラインからの切り替えが可能か、各社に検討を指示したのであった。
――余談だがこのとき、「飛行艇時代」の図面の一部を紛失する騒ぎがあった。
その図面は戦後、
ともあれ、本日の主題はそこではない。
絶句するカランドロ達にレルゲンは続ける。
「カランドロ大佐、あなた方は運が良い」
「…と、仰いますと?」
思わず唾を飲み込んで問いかける客人に、帝国人は良い笑顔で告げる。
「帝国が手掛ける『新時代の要塞攻略戦』を、御覧に入れましょう」
◇◇◇
同時刻 セバスチャン・ト・ホリ防衛陣地群
第35番装甲砲台
装甲扉の外に広がっていた光景に、砲台指揮官グレゴリー准将は呻いた。
「これは…、酷いな…」
明け方からの帝国軍の空襲。
もはや昼夜を分かたぬ定期便――防ぐべき連邦空軍は、この一か月以上に渡る防空戦で壊滅状態に陥っていた――だが、今朝のそれは一味違った。
『なに?地上部隊との交信が途絶?』
『ハッ!高射砲中隊、観測中隊とも通信が切れました。応答がありません』
通信室からのその知らせに、嫌な予感を覚えたのが30分ほど前のこと。
そして帝国軍機が去り、地上に出てきたグレゴリーらの目の前に広がる景色は一変していた。
…彼の記憶違いでなければ、ほんの数時間前までここには蛸壺状の陣地に納められた30門以上の高射砲と射撃指揮装置がずらりと並んでいた。
それが、どうだ。
今やここは荒涼とした砂漠。
偽装ネットを剥ぎ取られた2基の砲塔が寂しげに佇んでいるのを除いて、周囲にあったものは根こそぎ吹き飛ばされてしまっていた。
…厳密にはスクラップにされたというべきか。
まるで解けた飴細工のような惨状を呈す高射砲には、ところどころ
「…地上要員は発見できたか?」
「『だったモノ』ならば至る所に…同志砲台長」
衛生班長の報告に、グレゴリーはしばし瞑目した。
「……捜索を続けろ。万が一と言うこともある」
「ハッ」
そして残された砲塔も、外観は無傷のように見えるが――
「砲の損傷は?」
「砲身自体は無傷です。しかし外部観測用の潜望鏡、ベンチレーターが完全にお釈迦です。地上観測班も壊滅した現状、命中率は絶望的かと」
「…残っている手透き要員をかき集めろ。修理班と観測班を再編する」
「ハッ…。しかし、そうなると地下要員が不足しかねませんが?」
「目隠しで撃つ二丁拳銃より、一丁の狙撃銃の方が当たるだろう。…最悪、半数を地上に回す」
「…承知しました。コーネフ少尉!コーネフ少尉はおらんか!」
部下を呼びに走り出す副司令を視界の隅で見送りながら、彼はため息をこぼす。
「…ケルチで使われたという『白黒爆弾』でしょうか?」
「おそらく、そうだろう」
『白黒爆弾』
それは、帝国空軍の特殊空中炸裂榴弾「Ei3000」に連邦軍将兵が付けたあだ名。
この爆弾が「爆弾の空中での挙動を観測しやすくするため」、白と黒のツートンカラーで塗装されていたことに因んでいる。
徹頭徹尾、帝国軍はこのクリーミャ半島を新兵器のテスト会場と定めたらしかった。
――そして、この後も。
「しかし、問題はありますまい」
「…何故そう思うのかね、同志政治将校殿」
「砲台そのものが無傷だからですよ、同志」
グレゴリーは溜息を懸命にこらえた。
そんなものを漏らせば何が起こるか知れたものではなかったからだ。…それにしても――
「同志政治将校、帝国とてそれは分かるだろう。なにせ偽装ネットも無くなったのだからな。この砲台が健在であることは容易に確認できる」
「…ふむ、それで?」
「こと戦争において、連中は妥協というものをしない」
敵を評価するその姿勢に、思わず政治将校が声をあげようとしたがグレゴリーはそれを手で制す。――何故ならば。
「これで終わりではあるまい」
「…根拠がおありで?」
「我々は高射砲と偽装ネットを失った。つまり丸裸だ…それが意味するところの分からぬ同志政治将校殿ではあるまい?」
「ッ!」
この程度の自明の理に息を呑む政治将校殿に、グレゴリーは心中で嘆息した。
政治的忠誠心だけで評価されるとは聞いていたが、ここまでとは…、と。
「再度の空襲があるものと想定する。高射砲と対空偽装を再設置する必要があるな。…同志工作長!」
「ハッ!」
「煙幕発生装置を最優先で直してくれ。このままではいい的だ」
「ただちに!」
「ああ、それと副司令」
「ハッ、なんでしょうか」
「人を集めて、ここまでの道路上に落ちている瓦礫を脇によけろ」
「ハッ!…しかし、何のために?」
「ウチの高射砲はあのザマだ。司令部に掛け合って、野戦高射砲を派遣してもらう」
「!――なるほど。承知いたしました」
「諸君、復旧を急げ!帝国は待ってはくれんぞ!!」
「「「「ハッ!」」」」
この時点で、空襲終了からわずか十数分。
その短い時間で矢継ぎ早に指示を出すグレゴリー准将は、間違いなく有能な男だったろう。
しかし、彼の命運は――
「…うん?帝国軍機か?」
「見たところ一機です。攻撃後の偵察でしょう」
「クソッ、高射砲さえあったなら…」
「…復旧を急がねばならんな。司令部を呼び出せ」
「ハッ!」
――その、たった
●航空機の無線操縦飛行
元ネタは西暦世界の1917年、イギリス陸軍航空隊実験部門のアーチボルド・ロウによる、航空機無線操縦飛行。
実は「無線遠隔操縦」のアイディアはかなり古く、なんとかのニコラ・テスラが1898年7月1日には特許を取得しています。
≪重要≫
ただし、新型爆弾はルールシュタール/クラマーX-1(Ruhrstahl/Kramer X-1)、通称フリッツXそのものではありません。ご注意を!
●ジャガイモ粉入りパスタ
同盟国の友人らをもてなすために、陸軍戦務局(つまりゼートゥーア閣下)が用意しました(ニッコリ
意訳:ゆっくりしていってね!(CV大塚芳忠
●XSF-1
二式飛行艇と同じ環境での運用を想定した結果、実によく似た設計になった機体。
なぜか設計開始段階で大まかなラフスケッチが提示されていたというミステリーを除けば、至極当然の性能である(すっとぼけ)。
なお、空冷12気筒の時代に造ろうとしていた模様(
●SB-2
棚ぼた式新型爆撃機。
見た目は二式飛行艇とB-24を足して2で割り、ドイツ風味に仕上げたもの。ちなみに今回登場したのは試作第5号機。少し離れたところに6号機も飛んでいる。
ちなみに二式譲りの縦長胴体ゆえ爆弾倉がとても広く、イロイロ積める(意味深)。