人と大切に人間関係を育てるための俺的心得です。
友人の定義は、人によって全然違う
どのような人を友人と考えているか?
これは人によって観点の組み合わせ大きく差があります。
☆人類愛観点
・人類みな友達
・友達などいない(いらない)
☆立場観点
・クラスや職場が同じであれば友達
・立場でなく信念や理想が同じであれば友達
☆共通趣向観点
・趣味嗜好などの共通点があるのが友達
・共通点がない人を友達として選びたい
☆頻度観点
・常に連絡を取り合うのが友達
・連絡しなくても通じ合っているのが友達
☆接触観点
・予定が合うのが友達
・年賀状のやりとりだけでも友達
☆議論観点
・言わなくても互いをわかるのが友達
・言いたいことを言い合えるのが友達
☆影響観点
・お互い何もせずとも違和感なくその場にいることができるのが友達
・お互い積極的に関わりあってこそ友達
☆干渉観点
・機微に踏み込まずそっとしておくのが友達
・空気を読まずズカズカ土足で踏み込めるのが友達
☆他人の評価観点
・わたしを引き立ててくれるのが友達
・わたしの存在によって引き立つのが友達
☆利用観点
・自分にとって都合よく利用できるのが友達
・お互い利用せず付き合えるのが友達
☆固定概念的観点(例示以外にもありますが)
・異性間で友情が存在するとかどうとか
☆文化的観点
・笑いのツボが合うとかどうとか
☆そもそも定義があるのか?
・「こういうのが友達!」という定義がある
・特に定義はなく感覚や成り行きで決まる
上記以外にも「友達とは何か?」という観点(必要条件や除外条件)は多数存在し、
各観点のYesを友人とするか?Noを友人とするか?あるいはその観点は特に重要視しない?
これらの組み合わせで、無限と言って差し支えないぐらいパターンで、
人によって友人の定義は異なります。
「あなたは友達です」と人に言う恐怖
先述の通り、あなたとその(いわゆる)友人では
「友達とは何か?」の定義や友人についての理想像が異なっていて、お互い別の考え方を持っています。
そこで、あなたがその(いわゆる)友人に対して
「あなたは友達です」と発言するとどうなるか?
この反応さえも人によって異なります。
あなたの発言を受けた相手である友人の視点で解釈すると、
反応は主に以下の2パターンに分かれます。
パターン①友人が誤解する
・この人(=あなた)は、僕のことを「友人である」と言ってくれた!
・この人(=あなた)は僕と同じ定義で僕自身のことを捉えて、そして僕を友人だと言った
・つまりこの人(=あなた)は、僕が思う友人の理想像に合致している
・ということは、僕がこの人(=あなた)にこんな要求をしても受け入れてくれるということだ
パターン②友人があなたの押し付けに応じる
・この人(=あなた)は、僕のことを「友人である」と言ってくれた
・ただし、この人(=あなた)の考えている友人についての理想像は僕の理想像とは違う
・この人(=あなた)は、自分自身の定義で僕自身のことを捉えて、友人像に合致するとみなした
・つまり、この人(=あなた)が思う友人像を、僕が演じる必要がある
そして起こる、人間関係の破綻
前述の
パターン①(こちらが思う友人像を相手が勝手に誤解する)
パターン②(こちらが思う友人像を相手が自分自身の人格に適用して演じようとする)
どちらにしても、お互いのどちらかに無理やストレスが発生して、
いずれ人間関係を維持できなくなってしまいます。
──
以上です。
上記まとめると、
自分の将来のメンタルのためにも、相手の将来のメンタルのためにも
「あなたは友達です」などと発表しない!
その方が、お互いラクに人間関係を育てやすい
こんな感じです。
また、友達の定義それ自体も、どうせ時とともに変化するので
やっぱり「あなたは友達です!」なんて、
余計なことを言わない方がお互いのメンタルにも人間関係にも有利です。
相手のことを真に思うのであれば、ヘタな言葉など使わず、
態度や行動をもって友人としての活動を行ってください。という提案でした。
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