ロケットに憧れた少年とその夢の行方
2020年2月現在は海洋事業グループでEPCマネジメントチームに所属しています。
古いLNG船を改造して、FSRU(※1)という洋上設備基地っていうものを売り込むための仕事を営業と一緒にやっています。これはエネルギーの輸送のみならず、そのバリューチェーンにおいて上流から下流までNYKのビジネス領域を広げることを狙いとしています。そして、そこの技術的な支援をしているのが、今の僕のポジションですね。
中学生のときにロケットつくりたいなって思っていたことが、今の仕事に至るきっかけでした。
アポロ13っていう映画を見たときに、宇宙飛行士のトム・ハンクスよりも管制室みたいなところにいるエド・ハリスがかっこいいと思ったんです。エンジニアとか技師みたいなものに憧れました。
自分の人生を考えたときに、ロケットをつくるっていう夢をかなえるために、重工メーカーに就職したいと考え、そのために高等専門学校に行って、その分野を研ぎ澄ましていこうと思ったんです。
高専卒業してすぐに就職っていう選択肢もありましたが、確実にロケットをつくれる重工メーカーで働くために、専門性を保持できる大学へ進学しました。
しかし、航空宇宙は日本においてもやっぱり花形でした。いざ就職活動に乗り出すと倍率が高く、それどころか就職活動していた年に募集していないという現実に突き当たったんです。
でも、自分のやりたいことは変わらず、重工メーカーでものづくりをしたいという想いがすごくあって。その中で目に見えて大きい製品が良いな、と。最終的に風車か船かと二択になり、大きさで船を選んだんです。
そうして、造船所で働くことになりました。その中で、自分が設計した図面が現場の人の手によって線、面、そして空間になっていくことを実感できる職場環境で、ものづくりへのやりがいや、その一方で、ミスしたときの厳しさをものすごく感じることができました。
しかし、自分がいた事業所がつぶれてしまったんです。なんの前触れもなく。そこからは、会社の指示に基づく配置転換などが実施され、生活や職場環境も一変しました。そのとき、会社は会社の都合だけで物事を動かす場面があることを感じましたし、会社に依存するのではなく、自分の夢を描くためにも、自分のために働かなくてはと思いましたね。
(※1)FSRU……Floating Storage and Regasification System、浮体式貯蔵再ガス化設備の略称。液化天然ガスを沖合で受け入れ、液体の天然ガスを気体に戻してパイプラインなどで消費地へ送る浮体式設備。
描き続けた夢と変わり続けた仕事への価値観
造船所では電気関連の設計を行い、自分の設計が実現する喜びがあります。しかし、仕事としては、設計の変更も発注者(船主)の要望通りにしていくものでした。
それに対して、船主業は短時間で限られた材料から大きい決断を下すという、采配が大きい仕事であることに興味を引かれました。
そんなことを思い始めていたとき、配置転換になった部署で、資源探査船の調査のためにノルウェーに出張することになったんです。
その出張先のノルウェーの人たちは15、6時には子どものお迎えがあるからといって帰ってしまいます。それでも、残業をする自分よりも多くのことを決断しているし、守備範囲も広いんです。
当時夜遅くまで働くことが美徳だと思われていた国で働いていた自分にはものすごく強烈なインパクトでした。もう、なんじゃこりゃーって感じで。
その経験からも上流に行きたい、そしてノルウェーでのインパクトもあり外国で働きたいという想いが強くなりました。それからは、日本郵船を含む海運会社への転職を考えましたね。しかし、船の設計業務の経験だけでは、自分に付加価値が出せないと思っていました。そこで、海運業界で当時流行っていたオフショアに興味を持ち、携われる企業へ転職したんです。
転職後すぐにシンガポールに駐在にいったんですが、プロジェクト途中からの参加で、ジョブディスクリプション(作業分担表)がすでに決まっていたこともあり、現地法人では自分の仕事が用意されていなかったんです。
結果的には、自分から上司に売り込んで仕事をもらったんですが、仕事って当たり前にあるんじゃなくて、誰かの仕事を奪う覚悟でやらなきゃいけないし、それぐらい責任や価値があることだと感じました。
また、そこでやる気を出してもりもり働いていた矢先に、上司に「残業と休日出勤をするな」と言われて。残業をしてしまうと、会社側は、いち個人に負荷が掛かるようでは、その上司がチームをマネージできていない、要は上司の能力がない、という判断をしてしまう、と教わりました。何十時間も働くことが会社にとって価値があるのではなく、定時の間で価値や結果を残すことが大事だと上司に教わりましたね。
郵船で働いて感じているところ
その後ご縁があり、郵船に転職しました。そこでやりたかった仕事はふたつ。
ひとつ目は、the 船主業。船の仕様書やスペックをどうやってつくって、それをもとに造船所の人とどう打ち合わせていくのかということ。まさに造船所勤務時代にやりたかった仕事で、これは最初の部署でできました。
今はふたつ目にやりたかったことである海洋系の事業で、ここでは、船を改造して付加価値を付けることを事業としています。この改造工事の部分は、前職までの造船所やオフショア企業で得た経験がまさに生かせる職場で、そこで腕を振るっています。
これまでの会社では、自分の周りには技術屋しかいませんでした。ですが、郵船では営業や船員の人たちと一緒になって仕事ができるし、いろんな価値観を持つ人たちと、ひとつの仕様とかを決めながら打ち合わせできて、ものすごくおもしろいです。これまでの、ものづくりだけを考える目線でなく、商売があって、安全運航があって、そこに、じゃあどういった船だったら良いのかっていう意見があって。
いろいろな領域を、営業、船乗り、技術とカバーし合っていて、そういう意味で高め合えればいいなと思っています。
また、最近キャリアを重ねてきて、人のために働き、人の生活に寄与したいっていう想いが強くなってきています。郵船でやれる仕事は国の事業や人の生活に与えられる影響がものすごく大きいんです。
それってめちゃくちゃ幸せなことなんじゃないかなって思っています。
入社後の最初の配属先がLNGグループで、ちょうど、北米シェールガス(LNG)を日本に輸入するためのLNG船設計のタイミングだったんですね。この船は東日本大震災の影響を受け、その後急激に変化した日本のエネルギー事情を支えるための船になりました。
また、現在の海洋事業グループでは、その国の発電事業を支えるための、LNGガスを供給する設備の設計をしていました。
郵船ではこういった、その国のエネルギー事情を支える仕事ができ、それは、自分のアウトプットが人の生活に直結しているということで。そこにものすごくやりがいを感じています。
自分の可能性に責任を負えるのは、自分だけ
自分の可能性に自分で責任を持ち、会社に対し個人としてフェアに付き合いたいという想いは変わりません。そのための準備や努力はいつもしています。
具体的には、会社からも常に必要とされる人材であり続けることと、その一方で、僕自身もこの会社を“選んで”ここにいる、だから、ベストパフォーマンスを提供することを、心がけています。現状には満足せずに、常に飢えていると言った方が良いのかもしれません。
あと、最近意識しているのは社外の人と会う機会を無理にでもつくるようにしていることです。この会社にまだない、新しいポジションを体現していくというか、少しずつトライしていきたくて、勉強しないといけないかなって思っているところです。
たまに若手と飲んだときに、会社の愚痴とか不満とかを聞くことがもちろんあります。それはあっていいと思うのですが、一方で自分がやりたいこととか希望を全部かなえてくれる会社はどこかと聞くと、わかりませんって返ってくることもあるんです。
会社に不満があって、改善を試みてもかなわないのだったら、やりたいことを取った方がいい。でなければこの会社でしっかり頑張ることに全力を注いだ方がもっといい──とは常に思っています。
入社しておしまいじゃあもったいない。自分の可能性って自分でしか責任取れないから。だからこそ成長を追い求め続けたいですし、挑戦し続けたいですね。