皇女戦記   作:ナレーさんの中の人

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冬将軍
後退


統一歴1926年11月28日

帝都ベルン 帝国陸軍参謀本部

 

「――以上、『白の場合』は所定の行動を完了したことをご報告いたします」

「ご苦労だった、レルゲン中佐」

「ハッ」

 

『白の場合』。

それは北方ノルデンでの戦訓も踏まえ、連邦領内での冬季戦は危険に過ぎると言うことから策定された大規模後退計画。

 

【挿絵表示】

 

これにより、帝国軍は鉄道輸送圏内まで後退することで補給への不安を払拭することに成功。そして、この時期帝都を出発する列車には冬用装備が限界まで詰め込まれていたという。

 

「しかし、危ういところだったな」

「仕方あるまい。策定翌日の降雪など、誰が予想できるものか」

 

なにしろ、安全マージンを取って例年より早めの降雪を予想していたというのに、現実はさらに数週間前倒しである。誰が10月末に雪の心配をすることになると予想できただろうか。

実際、降雪の一報を受けた参謀本部の反応など――

 

「…おいおい冗談は止せ。昨日後退案を策定したばかりだぞ?」

「ああ、なるほど。ゼートゥーア閣下も人が悪い。抜き打ちでの事前演習とは」

「…すまんが、私は何もしておらんぞ」

 

そこからはもう天地をひっくり返したような騒ぎである。

この時、東部に展開していた帝国軍はざっと300万。開戦以来の動員、西方からの配置転換で膨れ上がったこれらを撤収させるというのは簡単なことではない。ましてや、連邦軍の追撃も予想されるのだ。

ゆえに、『白の場合』計画は入念な事前準備――特に、トラップや地雷による連邦軍の足止め――を行い、道路状態の悪いところは簡易舗装等も行ったうえで、一気に下がることとしていた。

 

 

だが、早すぎる降雪が、そのタイムスケジュールを粉砕した。

 

 

「…不味いな。物道の手配も全くできておらんぞ」

「地雷だけでも先に送れないか?時間は稼げると思うが」

「それしかないだろうな…。だが、それでも重砲の類は破壊するしか――」

 

「待て」

 

悲壮感に包まれる参謀連だったが、そこに鈴の音のような声が響く。

 

「…ふむ。これは…使えるな」

「殿下?」

 

声の主、ツェツィーリエ・フォン・プロイツフェルンは、手に持った書類に目を通しながら、()()()

 

 

「私にいい考えがある♪」

 

 

◇◇◇

 

同時刻 東部戦線

サラマンダー戦闘団

 

外を見やれば、穏やかな秋模様。

()()から広がる秋晴れの空を眺めながら、ターニャ・フォン・デグレチャフ大佐は黄昏(たそが)れていた。

 

そう、車窓である。

 

 

 

後退命令『白の場合』。

 

 

 

その命令が届けられた時、ターニャは地面を覆う雪と、それに半ば埋もれつつある「()」に頭を抱えていた。

なにせ、降り始めの雪ほど軍隊にとって厄介なものはない。

降り続く雪は、しかし、昼になると多くが解けて水となり、東部戦線においては容易く「泥濘」を生じさせた。

なまじ厳冬期のほうが、地面が凍結しているので車両にとってはやりやすいくらいなのである。…まぁ将兵からすれば、どちらも地獄なのだが。

 

ましてやサラマンダー戦闘団の場合、目の前の「()」の問題があった。

 

誰からともなく「回廊の戦い」と名付けられた一大追撃戦は、深夜に繰り広げられた。

夜間と言うことで戦果確認は困難だったが、やがて夜が明けるにつれ、ターニャたちは固まった。

 

「…おい、一応聞くが投降する兵に撃ったりはしてないだろうな?」

「大佐殿、我々とて戦時国際法は熟知しております」

「大佐殿から常々言われておりますからね。むしろ投降を呼びかけたくらいですよ」

「それならば良いが…。……いや、よくないな。これは後始末が大変だぞ…」

 

歴戦の古強者、ターニャから言わせればウォーモンガー揃いの第203航空魔導大隊ですら顔を顰める場景が、そこには広がっていた。

 

「ちなみに、捕虜はいるのか?」

「ざっと1個大隊ほどは。しかし、大半が重傷者です。()()は不可能かと」

「不味いな。我々には懲罰大隊*1も無いのだぞ」

 

さりとて、放置すれば伝染病や感染症の温床となることは必至。

ましてや203の場合、初の「損失」がジャガイモにあたった准尉というトラウマがある。

よって戦いの翌々日に降った雪に、ターニャ以外の人員がまず()()した――冷蔵庫と同じで腐らない――のも無理からぬことであった。

だが、幼女は知っている。

やがて連邦の大地は凍結し、爆薬でも掘れない鋼へと変貌することを。

これだけの「ヒトの山」を埋めるとなると、いったいどれほどの大きさの穴を掘らねばならないのか、想像すらつかないというのに!

 

 

そこへ届けられた後退命令は、まさに福音だった。

 

 

ウォーモンガー揃い――と思っているのはターニャだけである――の戦闘団員が喜んで道具をまとめ、来た道を迅速に引き返すさまは、いっそ清々しいほど。

昔の人も「カエサルの物はカエサルに」と言っているではないか。なれば連邦の()()も連邦に返すのが筋だろう。

そう言って、連れていくことが難しい捕虜を解放してしまうほど。

捕虜を無条件に解放するなど本来ならばありえないが、今回ばかりは事情が異なる。

 

――各部隊は迅速な後退を第一義とし、捕虜についても各部隊の判断で解放することを許可す――

 

この撤退は時間との勝負であることをよく分かっているからこその命令だ、とターニャは喜んだ。誰がこの一文を書いたのかは言うまでもあるまい、と。

かくて戦闘団は全員車上の人となり、西に向けて街道をひた走る。

途中、悪路に足を取られることが何度かあったが、そんな場合は魔導師が魔導刃で木を切り倒して対処した。

――こういう時、魔導師は便利だよなあ…

伐採、空輸、設置を全部一人で出来るその様に、戦闘団の将兵全員がそう思ったのは言うまでもあるまい。

 

懸念されていた連邦軍の追撃は何故かほとんど無く、他の管区でも不思議なほど散発的なものにとどまったと聞く。全くもって、不思議なこともあったものである。

首を傾げるターニャだったが、予定地点で合流を果たしたクデーリアン閣下からその理由を知ることとなる。

 

「…そ、それは(まこと)ですか?」

「ウム。私も半信半疑なのだが、追撃が殆どないのも事実」

 

 

 

曰く、『解放された捕虜で道路が塞がっていた』。

 

 

 

「これまでの戦いで、我が軍は相当数の捕虜を抱えていた。その半数程度が後送出来ず、前線近くに残っていたらしい」

「そ、それを全て解放したと…?」

「敵に塩を送るようなものだと言いたげだな?だが、そうでもないらしい」

「と、仰いますと?」

「そもそも後送出来なかったのは、その殆どが傷病兵だったからだ」

 

このとき、帝国軍の兵站状況は悲惨の一言に尽きた。

鉄道網はまるで前線に届いておらず、物資は鉄道駅に山積みされ、そこからトラックや馬車でどうにかこうにか届けられるような状況。

そんな状況にあって、自力で歩けぬような捕虜を後送する余裕などあるはずがない。

――弾薬を持ってきたトラックが帰るときに積ませればいいだろう?残念、友軍負傷者や破損兵器を後送するのに手いっぱいだったのだ。

 

そう言えば…、とターニャは思い出す。

 

ここまで下がる道中、街道の脇で、力なく木にもたれかかっている連邦兵を、戦闘団は幾度となく目撃している。わざわざ荷物を増やす必要もないので放置を徹底させたが、あれがそうだったのか、と。

だが、そこで新たな疑問が生じる。

 

――しかし、街道を埋め尽くすほどの数はいなかったハズだが…?

 

それでどうやって連邦軍の進撃を阻害したのか…?と首を傾げる彼女の脳裏に、ふと閃くものがあった。

 

「嗚呼…なるほど」

「大佐?」

 

その脳裏に浮かんだのは、およそ一年前のベルン宮殿。

 

――敢えて敵兵を殺さず、負傷した状態で放置する。

 

――すると、その兵士を助けるため、メディックを連れて敵部隊が出てくる。

 

――そこを一斉射撃だ。

 

――兵士を救出しようとすれば大損害。

 

――見捨てたら士気は駄々下がり。

 

――どっちに転んでも美味しい話だ。実に賢いやり方だとは思わんかね?

 

 

 

そういえば、見かけた連邦兵捕虜の近くには友軍兵士の姿もあった。

そのときは監視か何かかと気にも留めなかったが、よくよく考えると、あれは――

 

 

「――閣下、もしやその周りには地雷が仕掛けてあるのでは?」

「…それをどこで聞いた、大佐」

 

 

――やはりあの御仁、鬼だ!

 

 

◇◇◇

 

 

「戦争なのだ、手段は選ぶべきではない。――そうは思わんかね、諸君?」

 

 

ニッコリとほほ笑む少女に、綺羅星を重ねた将校たちが震えた。

たしかに、彼女の提示した案は効果覿面だった。

 

――連邦兵捕虜を街道のど真ん中に放置し、その周りに地雷を仕掛ける――

 

言うまでもないことだが、捕虜には一切の危害を加えていない。

公式には『連邦兵捕虜を解放したところ、()()、そこは地雷原だった』と、記録されることとなるだろう。何ら違法性は無いのである、と。

だが、だがである。

――教範にも記されていない、そのような悪辣な方法をなぜ即座に閃けるのだ!?

そのことが、皇女殿下に対する将校たちの畏怖の念をますます強くする。

 

「ま、あれでも自重した方だがね」

 

「!?」

「…こ、後学のために、自重されない場合をお聞かせ願えますか?」

「そうだな。まず首まで街道のど真ん中に埋める」

「は?」

「その上で目やら口やら鼻やら耳やらに蜂蜜をたっぷりと塗り込む」

「…はぁ、それが何か?」

「鈍い奴め。今は冬場だから効果は薄いかもしれんが……()()()()()()()()()()だろうな。――身動きが取れない哀れな敵兵の穴という穴に」

「ッ!?」

「そりゃもう生き地獄だろうね。見てるこっちまで気分が悪くなること請け合いさ」

 

――それを嬉々として語るのは何処のどなたでしょうか…?

 

「まあ蜂蜜が勿体ないし、冬場は効果があるのか微妙だったから止めたけど…。あ、先日イルドアから仕入れた蜂蜜酒があるんだが、要るかい?」

「…ぐ、軍務がありますのでまたの機会に…」

「ふぅん、残念。…さて二つ目。

――可哀そうにも解放を前に病死した連邦兵の下に地雷を仕掛ける」

「…おぉ…」

「あるいは遠隔式の爆薬を括り付けておく」

「……」

「すると助け起こした衛生兵ごと友軍の前でボンッ!…ちと手間がかかりすぎるか」

 

――それ以前の問題があるように思うのですが…、いや、気にされないのでしょうね。

 

「それからあとは――」

「で、殿下!それ以上は我々参謀連が考えますから!」

「どうか、それ以上はおやめください!」

「ふむ?なんだいなんだい、()()()()()面白いっていうのに」

 

――…分かってはいたけれど、それを面白いという時点でこの方『姫様』じゃねえ!?

 

「諸君はもうちょっと歴史を勉強するべきだな。どっちも東洋で使われたことのある由緒正しい方法だぞ?」

「由緒…?」

「正しい…?」

「他には『竹のノコギリ』とか『金の延べ棒』の話もあるんだが…聞くかね?」

「い、いえ、もう十分お聞かせいただいております!」

 

彼らは密かに決意する。

この戦争、さっさと終わらせて殿下には真人間に戻って頂かねば!と。

 

「さて、折角の小康状態だ。来年の計画を立てねばなるまい。両次長の存念をお聞かせ願おうか?」

「ハッ」

 

 

 

――もうとっくに手遅れであることを、彼らはこの後散々に思い知らされるのであるが。

 

 

 

◇◇◇

 

同時期

連邦首都モスコー 陸軍総司令部

 

 

「帝国にしてやられました」

「事実は認めねばなるまい。思えば連中は大規模後退の経験豊富なのだ」

「ライン戦線ですな。しかし、これほど下がるとは予想外です」

「同感だよ、同志」

 

連邦西部戦線の視察から戻った部下の報告を聞きながら、デューコフは溜息をこぼした。

『夏に失ったものは、冬に取り返せ!』

それが、降雪の知らせを受け取った彼が発した最初の命令。

かの皇帝ボナパルト相手にも勝利をもたらしたその戦略は、しかし、今回は完全な空振りに終わった。

 

まさか帝国が300キロも後退するなど、司令部の誰も予想していなかった。

帝国ご自慢の鉄道輸送もフル活用したのだろうが、それにしてもまあ、あの道路状況でよくやったものだ、とデューコフが呆れたほどである。

おかげで遥々シルドベリアから輸送してきたスキー部隊もコサック部隊も、帝国軍を捕捉できずに終わった。…そして、さらに深刻な問題がある…。

 

「兵たちの士気はどうであった?」

「最底辺の一言に尽きるでしょう」

「…やはり、そうなるか」

 

 

――解放捕虜を使ってのブービートラップ――

 

 

その知らせを受けたとき、いったい何のことなのか、デューコフは咄嗟にはわからなかったほどである。理解した時、デューコフと彼の幕僚たちはこう思った。

「敵にも同志内務人民委員がいるようだ」と。…無論、表立っては言わないが。

 

だが、『ソレ』を面前で見た連邦軍兵士たちにかかる心理的ストレスは恐ろしいものがあった。

 

まず、解放された捕虜は帝国軍から与えられた「帝国軍の」服を着ていた。

このため、帝国側が捕虜を解放したと悟るまでの間に、()()()()()が多発。結果、「前方に帝国軍の服を着たヤツがいるが、本当に帝国兵か確認する必要がある」こととなり、余計な手間が増えた。

「帝国には出来る奴がいるようだ」

この時はまだ、そう言って笑い飛ばす余裕が兵士達にもあった。

 

だが、その後「倒れている同胞を助けようと駆け出した途端、地雷を踏んだ」だの、「助け起こそうとしたらその下に地雷があった」だのという悪辣極まりない罠が続発するに至り、連邦軍兵士は怯え始める。

――友軍を、同胞を助けない訳にはいかない。

――けれど、その周りに罠があるのではないか?

かくして、連邦軍の追撃速度は極度に低下し、比例するように兵士たちの士気も下がっていった……。

 

 

「…同志諸君、追撃は続行可能と思うかね?」

「厳しいかと思われます、同志将軍。斥候の偵察によれば、帝国軍は後退を完了し、防御陣地を構築しているとのこと」

「現在の兵力でこれを攻めるとなると、こちらの損害が甚大となることが避けられません」

「…しかし、クレムリンの命令は『断固追撃せよ』でありますぞ?」

「今ならばまだ、防御陣地も未完成なのでは?少なくとも、複郭陣地にはなっていないでしょう」

「正気とは思えん。士気の低さ、重砲搬送の遅延。どれをとっても兵士をすり潰す未来しか見えんぞ!」

「じゃあどうしろというのだ!」

「両名とも、そこまでだ」

 

そう言って、同志デューコフは立ち上がる。

 

「やむを得ん。同志書記長に状況を説明してくる」

「…ハッ」

「万一の場合は、同志参謀長の指示に従うように」

「ハッ」

 

項垂れる参謀連だが、付き従うものは副官のほかは皆無。

しかし、それも仕方のないことだ、とデューコフは苦笑した。…まさか、戦時において上への報告が一番危険な仕事になると、一体だれが想像しえただろうか!

 

…いや、実のところ同志書記長は話の分かる方なのだ。書記長は。

問題はただ一つ。

 

「…あの変態(ロリヤ)をどうやって宥めすかすか、だな」

「ハ…?今、何かおっしゃいましたか?」

「気にするな。独り言だ」

 

――つい先日会ったときも、天使が帰ってしまうとうわ言のようにつぶやいていたアレをどうにかせねばなるまい…。

不可能ではないが、それにかかる精神的徒労感を想像するだに憂鬱な気分とならざるを得ない、同志デューコフ将軍であった。

 

*1
軽度の軍令違反者で構成される部隊のこと




東部戦線異状なし

デ「…うん、そうだな」
ツ「何故顔を逸らす?」
デ「胸に手を当てて考えてろ」

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