つれづれに思いつくまま

 
 

萩尾望都先生の『一度きりの大泉の話』が出版されてから心がざわついて落ち着きません。

どうしてこんなことになってしまったのだろう?と、凄く残念な気持ちです。

何がいけなかったのか? 誰が悪いのか? いくら考えても答えが出ないのです。


人生に「誤解」はつきもの。そう理解していても口惜しい…


5年前に『少年の名はジルベール』を出版して以来、萩尾先生のところにドラマ化や対談のオファーが相次ぎ、ご迷惑をおかけしていたらしいことを『一度きりの大泉の話』を読んで

知り、驚きました。本当に残念に思います。ですが…誤解が多々あるようなのです。

それが原因で心が落ち着かないのかも?と思い、マネージャーとして知っていることだけを忠実に、せめてblogにでも書き綴ってみようと思い立ちました。


ドラマ化については『少年の名はジルベール』の出版以来、二度ほどオファーが来て、私達も断るのに苦労しました。TVやドラマ業界では作品のコントロールが出来ず、独り歩きして表現が変わってしまいそうなので絶対に無理!という認識でした。ましてや関係者が多数いらっしゃるので、とお断りしたはずなのですが「萩尾先生がOKなら良いです」とそんなにも短絡的に無責任な感じで伝わってしまっていたとは…もう驚くしかありません。残念です。


対談については特に、こちらから依頼を持ちかけたことなど、過去に一度もないはずです。

第一これまでに、当方への対談依頼は、各社どこからも一度も来たことがないのですから

お応えのしようがありません。それなのに「萩尾先生がOKなら…」と伝わっているとは!? 本当に信じられないほど【摩訶不思議】なことが起こるものです。


一番、不思議なのは、時々共通の知人からご不快な話が急に伝わっていくという文言です。

こちらは先生に対して悪意を持ったことなど唯の一度もありませんので、思い当たることは

まったく何もなく、どう考えても不思議な現象というしかありません。

いったいどこの誰が何のために、そんなことをやっているのか?解明できるものならしたい

くらいです。当方から何かを言ったり仕向けたことなど、一回たりともあり得ませんので。


そこには誰かの「悪意」なるものが存在するのだろうか? と考えてみました。


ですが、たぶんそういうことではなく、社会というものは通常そういう成り立ちであって

誰もがそれぞれに自分の立場で、より良い仕事を推し進めるために努力をしている結果なのだろうと思います。善かれと思う善意で、勝手に早計な行動を起こしてしまう人もいたかも知れませんが、それが人付き合いとしての社会なのだと、私は理解しているつもりです。

善意から起こす行動なのなら仕方ないと思うのです。それぞれの仕事に対する動きとして

それが善意か悪意か?ということは受け取る側の意識でも違ってくるのかも知れませんね。


それにしても、5年前に出版した『少年の名はジルベール』が、こんなにも萩尾先生に

ご迷惑をおかけしていたとは、全く思ってもみなかったことで、本当に驚きました。

この本の出版に際しては、竹宮もさすがに長い時間をかけて、逡巡していたのです。

あの2年間のことは、綺羅星の如く楽しかった反面、苦しい葛藤もあったからでしょう。

でも、もともとの出版の趣旨自体が全く違っていましたので考え直し何度も何度も繰り返し

熟慮した結果、書くべきは書き、言及すべきでないところは極力、控えて書いたようです。

が、それさえも「美化」などと捉えられてしまうとは…なんとも情けなく残念なことです。


1979年の秋から竹宮のマネージャーになった私は、当時のことを詳しくは知りません。

『一度きりの大泉の話』は私にとって、知らないことだらけの「履修本」のようでした。

いきおい読み進めました。文章の上手さに引き込まれ、50年前に姉がしてしまったことを

責める気持ちにすらなってしまったほどでした。その後ひどい頭痛がして読むのに疲れ果て

2時間ほど仮眠したのち、飛び起きました。 突然!ある言葉を思い出したのです。


「あなたがいつまでも描かないから…もう描かないのかと思った」


そのときの萩尾先生の、信じられないひと言を、竹宮は忘れていませんでした。

この言葉だけを私は姉から聞いて知っていました。そして「だって発表させてもらえず

ずっと悩んでいると知っていたはずなのに? 何故? 友達なのに何故!?」と驚いて!

続けざまに聞き返したことも覚えています。私が26歳の時のことです。


忘れることでしか立ち上がれなかったという竹宮は、ほかの記憶が曖昧です。

でも、この言葉を聞いて愕然とした当時の気分だけは鮮明に覚えているそうです。

確信を持っている言葉の響き。萩尾先生を「怖い」と感じたこと。

わぁ…もうダメだ、離れよう。それしかない!そう何度も思い詰めたそうです。

離れることでしか解決できないほど追い詰められた姉の心境はどうだっただろうか?


どんな言葉で伝えれば、傷つけずに別れられたのか? 私には想像すら出来ません。

あんなにしどろもどろな拙い気持ちの伝達しか出来なかったなんて!と呆れましたが

でも二人とも、当時は僅か23歳の若さだったのですから、仕方なかったのでしょう。


言葉とは使い方を間違えると恐ろしいことになる。

同じ意味の言葉でも全く違う伝わり方になってしまうことだってある。

人の心に深く突き刺さってしまうこともあるのです。

言葉を発するときには呉々も気をつけなければ!とつくづく考えさせられました。


50年も前のことが原因で、晩年になってから、こんな思いをすることになろうとは…。

心配のあまりに見ず知らずの読者の方から何度も温かいお便りをいただきました。

「今の状況は、まるでトランプ前大統領とQアノン信者のようで怖いです」と。

なんのことだろう?と調べてみましたら、アメリカのとある「陰謀論」のことだそうです。

読者の方もこんな風に影響されて心配したり悩んだりして心を痛めておられ、さまざまな

複雑な感情が、多くの人の心に黒く渦巻いているのだということに驚きました。


記録のように残しながら長い年月ずっと苦しんでこられた萩尾先生。片や忘れることでしか生きられなかったという竹宮。当時、二人の間に生じた軋轢は、当人同士にしか分からないクリエイターとしての複雑な感情のやり取りだったのだと思いました。苦しんで目の病気にまでなられたという萩尾先生。同じ頃、竹宮も自律神経失調症となってスランプに陥り、そして増山さんもまた同じように不安定になり、ずっと長く苦しんでおられたとのことです。三者三様に病気になってしまったほどに、あの別離は重く苦しかったのですね…。


覆水盆に返らず


私は個人的にはそうは思いません。人の心は変えられると信じていたい。

小学館の山本順也さんが退職されるとき「山の(本)に集まる会」を萩尾先生が企画してくださりお声掛けくださったので当時のことを詳しく知らない私は本当に期待しました。何か分からないこの不穏な空気がこれを機会に雪解けしてくれないものかと祈りの思いを込めて先生にお手紙をしたためたことを思い出しました。知らないこととはいえ、失礼しました。到底、無理なことだったのですよね。この度ご著書を履修させていただき、萩尾先生が当時受けられた傷からの恨みのような感情の深さを知るに至り、今はもうすっかり諦めました。


巷では賛否両論いろいろ書かれて騒がしいようですが、どうか出版されたことを後悔されることがありませんよう今後は心穏やかにお過ごしくださいますよう。


人の心が病んでゆく「誤解」とは、つくづく恐ろしい魔物です。


ひとつの誤解が疑心暗鬼を生み、さまざまな悪意が生まれてゆく。恐ろしいことです。

ご著書を読んで以来、1ヶ月間どうしたものかと取り憑かれたような状態になって眠れず

目覚めると考えていて落ち込むという、その繰り返し…このままではダメになってしまう。

やはり、知っていることだけでも書き残しておくべきだと思いせめてblogに綴りました。


さんざん悩んだのです。私は竹宮の身内ですから、どうしても身贔屓になってしまうかも?

でも、何も言わず発信さえしないでいると、あの本の通りなのかも?と誤解されたまま

月日が流れ、それが、そのまま少女マンガ史のひとつになってしまうかも知れません。

それだけは避けなければ、悲し過ぎると思いました。


私は1979年から、これまで42年間、ずっと竹宮の補佐をして生きてきました。

マネージャーとして、時には妹として、傍ですべての創作活動を見守ってきました。

それは今でもずっと続いていますので姉の性格はよく理解しているつもりです。

別離の当時その場にいたわけではありませんが、私は竹宮から聞いたことを信じています。


今回のことで心配してくださった皆様、本当にありがとうございましたm(_ _)m



2021.05.25                 マネージャー 大内田英子(わんマネ)

 

「誤解」という魔物

2021年5月25日火曜日