麒麟・川島明、大喜利で人生切り拓く リモート収録で問われる芸人の力量「より言葉が大事になる」
「麒麟です」。この文字を見ただけで、あの低音ボイスが頭に響くという人も少なくないだろう。お笑いコンビ・麒麟の川島明(41)は、持ち前の美声を生かして、本業の芸人としての活動に加えてナレーション、朝ドラ出演など、マルチな分野で活躍しているが、その根底にあるのは“大喜利”だ。芸人を志すきっかけから、新型コロナウイルスの影響でリモート収録が増えてきた現在にいたるまで、大喜利力をフルに使って、独自の地位を作り上げている川島に、電話で取材を行った。
■松本人志『一人ごっつ』が決めた芸人への道 インスタでの“タグ大喜利”誕生秘話
川島が大喜利に興味を持ったきっかけとなったのは、1996年にダウンタウンの松本人志が始めた大喜利を主体とした深夜番組『一人ごっつ』(フジテレビ)。フリップを使ってお題に対する回答を行う「お題」、ひとつの言葉を様々な名称へと進化させていく「出世させよう」、写真を見て即座に回答する「写真で一言」など、数々の実験的なコーナーを行い、これまで『笑点』のイメージで一般的だった大喜利を、笑いのスポーツ化を促す新たなジャンルへと開拓していった。
当時、芸人になるか否かを悩みながら生活を送っていた川島は、高校卒業後、半年間アルバイトをしていた。「1日8時間ネジを締めるだけの仕事でした(笑)。その時、朝に録画していた『一人ごっつ』の大喜利の問題だけを見て仕事に行って、仕事中はずっと大喜利の答えを考える。それから家に帰って、松本さんの答えを確認して、こういう答えもあるんだって分析するという、大喜利の修行をしていましたね。周りのみんなが受験勉強とかをやっている中、僕は何もやってこなかったので、かっこよく言えば、芸人になるための自分なりの就職活動でした」。
鍛錬を重ねた川島は大阪NSCに入り、1999年に田村裕とお笑いコンビ・麒麟を結成。2001年の『M-1グランプリ』第1回大会では、ノーマークの中から決勝に進み、憧れだった松本から「僕は今まで(7番目)で一番よかったですね」と絶賛されて大きく注目を集め、売れっ子芸人へと駆け上がった。その後、漫才師としての立ち位置を確立させながら、川島は根っこの部分である“大喜利”でも才能を開花させていく。
2015年の『フットンダ』での王者を皮切りに、翌16年の『IPPONグランプリ』でも優勝。そんな中、自身のインスタグラムで「#(ハッシュタグ)」を使った大喜利を始める。きっかけは、寝室のエアコンを掃除した際のことだった。「カビが泡の力で落ちていく様子を見届けている僕の写真とともに『#ポケモンの対戦画面か』とタグをつけたところ、今までにないくらい『イイね』がついたんです。写真で一言でもなく、ツッコミでもない、この1枚の写真を表現するのにハッシュタグってすごく便利なのかもしれないなと感じました。これまでの写真でもお笑いができるんじゃないかなと思ったんです」。
■あえて情報をまっさらにして臨むタグ大喜利 即興とは違った醍醐味「バッティングセンターにいる感覚」
お笑いコンビ・千鳥のノブが、打ち上げで幸せそうに笑う写真をアップした時、こうした思いが確信へと変わった。差し歯が抜けたノブの写真に「#ドキュメントの最後のカット」などのタグをつけて投稿すると、イイねの数が1万を超えた。以降は、アンガールズの田中卓志、ブラックマヨネーズの小杉竜一、野性爆弾のくっきー!など、さまざまな芸人の“タグ大喜利”を制作したところ、さらに話題となり、今月25日には『麒麟川島のタグ大喜利』(宝島社)としてムック化されることになった。
タグ大喜利には1人につき10個ほどのタグがつけられており、川島なりの視点が光る文言がさく裂しているが、あることを自分に課しているという。「出ていただいた方はみんな尊敬しているし、ネタも人間性も大好きな人たちばかりなんですけど、そういった情報を一旦全部取っ払って、まったく知らない人だと仮定して、空っぽのところから当てはめていきます。みなさん、やっぱりキャラクターがしっかりあって『この人と言えば、こうだよね』というイメージが固まっていて、そうなるとタグが偏ってしまうんです。だから、海外の人が初めて見たくらい、頭の中の情報をまっさらにして臨んでいます」。
ラインナップにもこだわっているようで「野球じゃないですけど、それぞれ考えた後にポジションを並べ替えていくんですが、やはりつかみとして最初は一番気をつけています」と説明。「新幹線移動や、ちょっとロケバスで1時間くらい移動するというような、合間の時間に考えています。疲れがたまって寝ている芸人も多い中、作業しているのはけっこうかっこええなという思いもあったりして(笑)。合間の時間も頭の回転をさせている方がいいかなと思って、あえてそういう状況でやっています。写真も、真正面とななめのそれぞれ目線ありと目線外しの4パターンを撮っていて、そこから選んでいくのですが、みなさん味のあるええ顔をしています」と制作の裏側を明かした。
タグ大喜利をやっていく中で、いろんな発見もあった。「バイきんぐの小峠英二さんは、普段着もかっこいいんですけど、それによってキャラクターがついちゃうので、あえてインナーだけになっているところを見計らって、楽屋に突撃しました(笑)。あとは、コントをやっている人は意外にやりにくかったりもします。例えば、ここにロバートの秋山竜次くんが入っていないのですが、秋山くんはクリエイターズファイルなどで、自分で自分にタグをつけるようなことをやっているから、余地がないなと感じて。そういったところもありながら、いろんな方に出ていただいております」。
タグ大喜利では、テレビなどでの大喜利とは違った力量が求められる。「野球に例えると、普段の番組などはお客さんがいて、ピッチャーがいて、僕が打った球を誰かがキャッチしたり、ファインプレーにしてくれたりするという、ホンマにチームで作っていく感じです。けど、これは無人のマシーンが投げる球を僕がただひたすら打っているという、バッティングセンターにいる感覚に近いです。あとは、タグ大喜利に関しては、みなさんが朝、夜どっちに読むかもわからないので、そういったところにも気を配って、1から10まで完成させていくようにしています」。
■リモート収録の意外な弊害と手応え 取材時に感じた芸人思いな一面
現在は、新型コロナウイルス感染拡大防止の観点から、芸人にとっても劇場の出番、テレビの収録などに影響が出ている。「ホンマに毎週漫才とか出たり、お客さんの前に出られていたっていうのはありがたいことやったなと感じています」とかみしめるように語った上で、意外な影響を吐露した。「テレビの収録では、家に機材が送られてきて、みんなで収録をやるというのが多くて、画面が10分割くらいされていまして。MCの方がいて、ゲストの方がいて、僕もいてっていう感じなんですけど、知らん間にひじをついてしまっていることがあって(苦笑)。現場にいる緊張感が出せない時があるのは、どうにかしないといけないと思っています」。
スタッフの反応も気になるようで「ディレクターさんとかも、分割した画面に映っているんですけど、僕のコメントに笑っていないと『あれ?』ってなったりして(笑)。これがちょっとやりにくいな」と冗談交じりにポツリ。ただ、こうした状況だからこそ“大喜利”が生きてくる。「芸人はいろんな場面に対応できると思うので、これも新しいお題だなと捉えています。大きいジェスチャーもできないし、走り回っても追いかけてくれるカメラマンさんがいないですから、それこそ顔と声だけで勝負していかないといけないので、より言葉が大事になってくるかなという気持ちです」。
自宅から笑いを発信するため、YouTubeやインスタライブなどに進出する芸人も増えてきたが、川島はこの状況も好意的に受け止めている。「これまではYouTube対テレビみたいな構図になっていましたけど、そこは共存に近づいたんじゃないかなと。これまでは、芸人の中でも『YouTuberになりたいって、舞台を裏切ったな』という雰囲気も少しあったりしたんですけど、例えば、かまいたちがやっているYouTubeが好きで舞台に行こうっていう流れも起きると思いますし。今のうちに個人のチャンネルでファンを増やしていくっていうのも大事なことですよね。最初は収録がなくなったりして、めちゃくちゃ焦りましたけど、けっこうピンチはチャンスと変えている方も多いですね」。
先月からは、藤井隆が主宰する音楽レーベル『SLENDERIE RECORD』のYouTubeチャンネルで、川島がテナーサックスにイチから挑戦する映像「tenor ch」が順次公開されている。川島は「40歳になって、レベル1から何かをやることはないかと考えていたら、藤井さんから『サックスやってみーひん?』って言われて(笑)。僕は、藤井さんのことは吉本のパワースポットやとホンマに思っていて、この人に流された方がいいと思ってやっています(笑)」と経緯を説明。「もちろん、ライブでお披露目する機会もあればと思っていますが、こういうご時世ですので、今は修行の時間をたっぷりとって、大喜利で疲れたらサックスを吹くということにしたいと思います」と笑わせた。
今回のタグ大喜利では、必ず最後に対象となる芸人に最大級の賛辞を送る一文を添えているが、この日の取材でも例を挙げる際に「ロバートの秋山くんは…」「かまいたちが…」などのように、具体名を出して話すなど、芸人思いな面もひしひしと感じた。声、頭脳、人柄、どれを取っても一流な川島が紡ぎ出すタグ大喜利は、川島なりの『一人ごっつ』だ。
■川島明(かわしま・あきら)1999年に、田村裕とお笑いコンビ・麒麟を結成。漫才日本一を決める『M-1グランプリ』の決勝に5回出場し、2004年から06年の3大会連続で3位を獲得。ピンでは、その持ち前の低音ボイスと大喜利のセンスを発揮し、2015年の『フットンダ王』を皮切りに、翌16年の『IPPONグランプリ』でも優勝を果たしている。
■松本人志『一人ごっつ』が決めた芸人への道 インスタでの“タグ大喜利”誕生秘話
川島が大喜利に興味を持ったきっかけとなったのは、1996年にダウンタウンの松本人志が始めた大喜利を主体とした深夜番組『一人ごっつ』(フジテレビ)。フリップを使ってお題に対する回答を行う「お題」、ひとつの言葉を様々な名称へと進化させていく「出世させよう」、写真を見て即座に回答する「写真で一言」など、数々の実験的なコーナーを行い、これまで『笑点』のイメージで一般的だった大喜利を、笑いのスポーツ化を促す新たなジャンルへと開拓していった。
当時、芸人になるか否かを悩みながら生活を送っていた川島は、高校卒業後、半年間アルバイトをしていた。「1日8時間ネジを締めるだけの仕事でした(笑)。その時、朝に録画していた『一人ごっつ』の大喜利の問題だけを見て仕事に行って、仕事中はずっと大喜利の答えを考える。それから家に帰って、松本さんの答えを確認して、こういう答えもあるんだって分析するという、大喜利の修行をしていましたね。周りのみんなが受験勉強とかをやっている中、僕は何もやってこなかったので、かっこよく言えば、芸人になるための自分なりの就職活動でした」。
鍛錬を重ねた川島は大阪NSCに入り、1999年に田村裕とお笑いコンビ・麒麟を結成。2001年の『M-1グランプリ』第1回大会では、ノーマークの中から決勝に進み、憧れだった松本から「僕は今まで(7番目)で一番よかったですね」と絶賛されて大きく注目を集め、売れっ子芸人へと駆け上がった。その後、漫才師としての立ち位置を確立させながら、川島は根っこの部分である“大喜利”でも才能を開花させていく。
2015年の『フットンダ』での王者を皮切りに、翌16年の『IPPONグランプリ』でも優勝。そんな中、自身のインスタグラムで「#(ハッシュタグ)」を使った大喜利を始める。きっかけは、寝室のエアコンを掃除した際のことだった。「カビが泡の力で落ちていく様子を見届けている僕の写真とともに『#ポケモンの対戦画面か』とタグをつけたところ、今までにないくらい『イイね』がついたんです。写真で一言でもなく、ツッコミでもない、この1枚の写真を表現するのにハッシュタグってすごく便利なのかもしれないなと感じました。これまでの写真でもお笑いができるんじゃないかなと思ったんです」。
■あえて情報をまっさらにして臨むタグ大喜利 即興とは違った醍醐味「バッティングセンターにいる感覚」
お笑いコンビ・千鳥のノブが、打ち上げで幸せそうに笑う写真をアップした時、こうした思いが確信へと変わった。差し歯が抜けたノブの写真に「#ドキュメントの最後のカット」などのタグをつけて投稿すると、イイねの数が1万を超えた。以降は、アンガールズの田中卓志、ブラックマヨネーズの小杉竜一、野性爆弾のくっきー!など、さまざまな芸人の“タグ大喜利”を制作したところ、さらに話題となり、今月25日には『麒麟川島のタグ大喜利』(宝島社)としてムック化されることになった。
タグ大喜利には1人につき10個ほどのタグがつけられており、川島なりの視点が光る文言がさく裂しているが、あることを自分に課しているという。「出ていただいた方はみんな尊敬しているし、ネタも人間性も大好きな人たちばかりなんですけど、そういった情報を一旦全部取っ払って、まったく知らない人だと仮定して、空っぽのところから当てはめていきます。みなさん、やっぱりキャラクターがしっかりあって『この人と言えば、こうだよね』というイメージが固まっていて、そうなるとタグが偏ってしまうんです。だから、海外の人が初めて見たくらい、頭の中の情報をまっさらにして臨んでいます」。
ラインナップにもこだわっているようで「野球じゃないですけど、それぞれ考えた後にポジションを並べ替えていくんですが、やはりつかみとして最初は一番気をつけています」と説明。「新幹線移動や、ちょっとロケバスで1時間くらい移動するというような、合間の時間に考えています。疲れがたまって寝ている芸人も多い中、作業しているのはけっこうかっこええなという思いもあったりして(笑)。合間の時間も頭の回転をさせている方がいいかなと思って、あえてそういう状況でやっています。写真も、真正面とななめのそれぞれ目線ありと目線外しの4パターンを撮っていて、そこから選んでいくのですが、みなさん味のあるええ顔をしています」と制作の裏側を明かした。
タグ大喜利をやっていく中で、いろんな発見もあった。「バイきんぐの小峠英二さんは、普段着もかっこいいんですけど、それによってキャラクターがついちゃうので、あえてインナーだけになっているところを見計らって、楽屋に突撃しました(笑)。あとは、コントをやっている人は意外にやりにくかったりもします。例えば、ここにロバートの秋山竜次くんが入っていないのですが、秋山くんはクリエイターズファイルなどで、自分で自分にタグをつけるようなことをやっているから、余地がないなと感じて。そういったところもありながら、いろんな方に出ていただいております」。
タグ大喜利では、テレビなどでの大喜利とは違った力量が求められる。「野球に例えると、普段の番組などはお客さんがいて、ピッチャーがいて、僕が打った球を誰かがキャッチしたり、ファインプレーにしてくれたりするという、ホンマにチームで作っていく感じです。けど、これは無人のマシーンが投げる球を僕がただひたすら打っているという、バッティングセンターにいる感覚に近いです。あとは、タグ大喜利に関しては、みなさんが朝、夜どっちに読むかもわからないので、そういったところにも気を配って、1から10まで完成させていくようにしています」。
■リモート収録の意外な弊害と手応え 取材時に感じた芸人思いな一面
現在は、新型コロナウイルス感染拡大防止の観点から、芸人にとっても劇場の出番、テレビの収録などに影響が出ている。「ホンマに毎週漫才とか出たり、お客さんの前に出られていたっていうのはありがたいことやったなと感じています」とかみしめるように語った上で、意外な影響を吐露した。「テレビの収録では、家に機材が送られてきて、みんなで収録をやるというのが多くて、画面が10分割くらいされていまして。MCの方がいて、ゲストの方がいて、僕もいてっていう感じなんですけど、知らん間にひじをついてしまっていることがあって(苦笑)。現場にいる緊張感が出せない時があるのは、どうにかしないといけないと思っています」。
スタッフの反応も気になるようで「ディレクターさんとかも、分割した画面に映っているんですけど、僕のコメントに笑っていないと『あれ?』ってなったりして(笑)。これがちょっとやりにくいな」と冗談交じりにポツリ。ただ、こうした状況だからこそ“大喜利”が生きてくる。「芸人はいろんな場面に対応できると思うので、これも新しいお題だなと捉えています。大きいジェスチャーもできないし、走り回っても追いかけてくれるカメラマンさんがいないですから、それこそ顔と声だけで勝負していかないといけないので、より言葉が大事になってくるかなという気持ちです」。
自宅から笑いを発信するため、YouTubeやインスタライブなどに進出する芸人も増えてきたが、川島はこの状況も好意的に受け止めている。「これまではYouTube対テレビみたいな構図になっていましたけど、そこは共存に近づいたんじゃないかなと。これまでは、芸人の中でも『YouTuberになりたいって、舞台を裏切ったな』という雰囲気も少しあったりしたんですけど、例えば、かまいたちがやっているYouTubeが好きで舞台に行こうっていう流れも起きると思いますし。今のうちに個人のチャンネルでファンを増やしていくっていうのも大事なことですよね。最初は収録がなくなったりして、めちゃくちゃ焦りましたけど、けっこうピンチはチャンスと変えている方も多いですね」。
先月からは、藤井隆が主宰する音楽レーベル『SLENDERIE RECORD』のYouTubeチャンネルで、川島がテナーサックスにイチから挑戦する映像「tenor ch」が順次公開されている。川島は「40歳になって、レベル1から何かをやることはないかと考えていたら、藤井さんから『サックスやってみーひん?』って言われて(笑)。僕は、藤井さんのことは吉本のパワースポットやとホンマに思っていて、この人に流された方がいいと思ってやっています(笑)」と経緯を説明。「もちろん、ライブでお披露目する機会もあればと思っていますが、こういうご時世ですので、今は修行の時間をたっぷりとって、大喜利で疲れたらサックスを吹くということにしたいと思います」と笑わせた。
今回のタグ大喜利では、必ず最後に対象となる芸人に最大級の賛辞を送る一文を添えているが、この日の取材でも例を挙げる際に「ロバートの秋山くんは…」「かまいたちが…」などのように、具体名を出して話すなど、芸人思いな面もひしひしと感じた。声、頭脳、人柄、どれを取っても一流な川島が紡ぎ出すタグ大喜利は、川島なりの『一人ごっつ』だ。
■川島明(かわしま・あきら)1999年に、田村裕とお笑いコンビ・麒麟を結成。漫才日本一を決める『M-1グランプリ』の決勝に5回出場し、2004年から06年の3大会連続で3位を獲得。ピンでは、その持ち前の低音ボイスと大喜利のセンスを発揮し、2015年の『フットンダ王』を皮切りに、翌16年の『IPPONグランプリ』でも優勝を果たしている。