エレキギター
ELECTRIC GUITER
〜至高の1本をお探しのあなたのために!
Message from Fender Custom Shop
シニアマスタービルダー
Todd Krause
エリック・クラプトン、ジェフ・ベック、スチュワート・ハム、ロスコー・ベックをはじめとするフェンダーアーティストのための楽器を製作し、なおかつメンテナンスもこなすトッドは、まさしく“スター御用達のビルダー”と呼ぶにふさわしい。
彼はこれまでにローリング・ストーンズのメインコンポーザー、キース・リチャーズ&ミック・ジャガーを筆頭にボブ・ディラン、LAメタルの雄ラットのウォーレン・デ・マルティーニ&ロビン・クロスビー、オジー・オズボーンのジェイク・E・リー、ピンク・フロイドのロジャー・ウォータース、キッスのジーン・シモンズ、そしてフー・ファイターズのベーシスト、ネイト・メンデルをはじめ数え切れないほどのプレイヤーの楽器を製作した経歴を持つ。
ギター製作に魅了させられ1981年にシャーベル/ジャクソン(現在はフェンダー・ミュージカルインスツルメンツの傘下である)でそのキャリアをスタートした彼は、多くの著名ミュージシャンの楽器を製作するという貴重な経験をコンスタントに積み重ねてきた。そして、ビルダーとしてさらに成長できる機会を求め1991年3月、フェンダーカスタムショップに加わったのである。そんな彼に今までについたあだ名は“one-off builder(一本物楽器専任ビルダー)”、“R&D model maker(研究開発用楽器製作職人)”、“woodworking machinist※(木工機械製作工)”。そしてマスタービルダーという称号を得るに至り、現在も第一線でギター製作を続けている。
エリック・クラプトンが演奏したことで知られる斬新なアートペイントが施されたストラトキャスターを手掛けた画家クラッシュとのコラボレイトによるカスタム・ストラトキャスターが2004年に発表され、完全限定で50本のみ製作された。最初に完成した7本が彼の来日に併せて日本に入荷している。
※フェンダー社に従事している職人の多くは、ギター製作及び調整用の工具を自分が使いやすいようにカスタマイズしている。
シニアマスタービルダー
Yuriy Shishkov
かつてソビエト連邦下にあったゴーメリという町で生まれ育ったユーリ・シスコフは、『ソビエトにいた時は良いギターは見たことがなかったね』と当時を振り返りこう語っている。なんと彼は自分で納得のいくギターを手に入れるために自宅の屋根裏部屋を改装し、友人と見様見真似でギター製作に必要な工具作りから始め、ついにはギターを完成させた。これが彼のギター職人としてのバックボーンとなる。
1990年、彼はギター職人として高みを目指すため故郷を離れることを決意。アメリカ・シカゴにあるギターメーカーでマスタールシアとしてジミー・ペイジ、ポール・スタンレー、ヌーノ・ベッテンコートといった世界的名手達と仕事をすることによって経験を重ね、また彼らから豊富な知識を得た。その手腕を買われて2000年、マスタービルダーとしてフェンダーに招聘されたのである。
現在でも楽器製作に必要な工具は自作で行い、なおかつワールドクラスのルシアとしての技術を持ち、さらには豪華で緻密なインレイワークをもこなすユーリは、最強のルネッサンスギター職人として特にヨーロッパで高く評価されている。
シニアマスタービルダー
Stephen Stern
カスタムショップで最も優れたアーチトップ職人であるステファンは、ジミー・ダキストとボブ・ベネデット、いわばアーチトップ職人界の二大巨匠に師事したという類稀な経歴を持つ。ジャクソン/シャーベルで職人としてのキャリアをスタートした彼は、1993年にカスタムショップに加わりダキスト氏に師事、氏が逝去した1995年まで共にダキストギターを製作してきた。1990年代後期には、彼の製作したアーチトップギターがアメリカの著名ギターコレクターであるスコット・チナリー氏により世界で最も優れたアーチトップ職人の一人として選ばれたという輝かしい実績を持っている。
2007年よりソリッドギターの製作現場に復帰、手始めに彼自身が所有している1950年代のストラトキャスターを復刻した。
マスタービルダー
Greg Fessler
グレッグ・フェスラーは1990年にカスタムショップの一員となったのだが、意外なことに彼のギター製作のキャリアはここからスタートしたのである。入社後まもなく当時のカスタムショップ総責任者であるジョン・ペイジの目に留まり、ロベン・フォード・シグネイチャーモデル(現在は生産完了となっている)の開発をアシストすることになった。そして、同モデルの専任ビルダーに任命され、最終的にはロベン・フォード専属ビルダーとなるまでの信頼を得るに至った。
演奏する人の側に立ち最高の木材を選び、常に最高のクラフトマンシップを楽器に注ぎこむことに労を厭わないフェスラーのギター製作に対する姿勢は、フェンダーアーティストは勿論のこと世界中の腕利きのプレイヤーからも一目置かれている。
マスタービルダー
John Cruz
元々ギターをカスタマイズすることが好きだったジョン・クルーズは、1987年にフェンダーに入社、しかしそこで彼に与えられた職務はギター製作ではなかった。長い下積み生活を経て、やがて彼のギター製作に対する高いモチベーションが認められるようになり、1993年にカスタムショップの一員となった。そして2003年、彼はついにマスタービルダーに昇格した。2004年に100本のみ製作されたトリビュート・シリーズの第1弾スティーヴィー・レイ・ヴォーン“Number One”ストラトキャスターは、なんと全数が彼によって製作されたのである。
クルーズは、ロリー・ギャラガーやマディ・ウォータースがかつてプレイした、ファンなら誰もが一度は目にしたことがあるだろうフェンダーギター復刻器の製作過程に深く携わっている。そしてその表現力の精巧さを見込まれた彼は、全てのレリック製品の初回生産分においてその工程を実演することによって、カスタムショップ製品全体の品質の維持、向上に大きく貢献している。
クルーズは、これまでにダグ・アルドリッチ(ディオ/ホワイトスネイク)、デイブ・アマト&ブルース・ホール(REOスピードワゴン)、ミック・マーズ(モトリー・クルー)、リッチー・サンボラ(ボン・ジョヴィ)、ボノ(U2)、ダフ・マッケイガン(ガンズ&ローゼズ)、ブラッド・ウィットフォード(エアロスミス)をはじめ、たくさんのミュージシャンのために製作をした経歴を持つ。
マスタービルダー
Dennis Galuszka
デニスが最初に作った楽器は、当時勤めていたキャビネットメーカーのオーナーと共に製作したアコースティックギターだった。しかもいきなりハイエンドクラスの楽器を作ってしまったのだが、ドラム奏者であり家具職人でもあった彼にとってその経験が転機となる。
ーもっと楽器を作りたいー そんな情熱は、彼が自発的にフェンダーの門をたたくほどに膨らんでいった。そして1999年、同じバンドでプレイしていたマスタービルダー、フレッド・スチュワート氏の薦めで念願であったカスタムショップの一員となったのである。家具職人時代に培ってきた木工技術のノウハウを活かし、スティーブ(ステファン)・スターンやグレッグ・フェスラーといった職人達の助手を勤めるなかで彼は瞬く間に頭角をあらわしていく。
デニスは、ストラトキャスターのトレモロアームをレコード針に見立ててピックガードに本物の45回転板レコードを加工して搭載したイマジネーション溢れるギターを製作するユニークな一面を持つ一方、日本限定モデルTAKANAKAストラトキャスター開発に関する一連のプロジェクトを監修しており高中氏からも高い評価を受けている。さらにアーティストシリーズ/エリック・ジョンソン・ストラトキャスターの開発時においては、プロトタイプのネックを製作しジョンソン氏本人をも唸らせたというエピソードを持つ。事実、彼が作ったネックが同モデルの仕様のベーシックとなっている。
ドラマーという立場からギターやベースを客観的に分析することが自然と身についているがために、デニスは国内外問わず多くのトップミュージシャンからの信頼を得ているといっても過言ではないだろう。
2006年11月、マスタービルダーとしては初のアジアツアーを敢行。韓国・ソウル市内で初のデモンストレーションを行った。また、クラブチッタ川崎にて開催されたTAKANAKAストラトキャスター記者発表会には製作者代表として参加した。
マスタービルダー
Jason Smith
フェンダー製品の研究開発において多大なる実績を残したダン・スミスを父に持ち、自身も13年間に渡ってフェンダーに従事しているヴェテランである。彼の人生はフェンダーと共に歩んできたといっても過言ではない。
ニューヨーク州ロチェスターに生まれカリフォルニアで育ったスミスは、フェンダーで働く父のもと5歳の時からエリック・クラプトン、イングヴェイ・マルムスティーン、ジェフ・ベック、ロベン・フォードといった幾多の名演に触れてきた。彼が最初に観たロックのビッグステージはラッシュ、若干6歳の時である。しかもそのショウの後、父に連れられバックステージまで行きゲディ・リーとの面会を果たしている。
“ロック”“フェンダー”・・・この二つのDNAを生まれながらにして持っている彼にとってフェンダーに携わることは、ごく自然な流れだった。1995年にはカスタムショップの一員となり、その後シニア・マスタービルダー、ジョン・イングリッシュに師事。そこで多くの経験、実績を重ねることとなる。スミスはプレイヤーが持つ繊細なニュアンスを理解しつつ一職人としての見解を示すことのできる数少ないベースプレイヤーでもある。これからは“マスタービルダー”として、これまで培ってきた経験を最大限に活かすこととなるだろう。
マスタービルダー
Paul Waller
ポール・ウォーラーが初めてギターを作ったのは14歳の時である。 南カリフォルニアで過ごした幼少時代に父と幾多の木工作業をこなした事が、ギター製作に必要なスキルを自然に身に着けていたのである。
ウォーラーは、アリゾナ州フェニックスにあるロベルト・ベン・スクール・オブ・ルシアリーでアコースティック・ギターの製作を専攻し、2000年春に卒業した。2003年、フェンダーに入社後すぐさまカスタムショップで頭角を現し、マーク・ケンドリック、トッド・クラウス、ユーリ・シスコフ、ステファン・スターンといったマスタービルダー達に従事する事で腕に磨きを掛けた。彼の主な作品としてグレッチ・テレ・ギターが挙げられる。このギターは、グレッチ6120に良く似たアーチトップ・テレキャスターで、ボディ・サイドのベント及びトップ及びバックは手作業によって行われた。
マスタービルダー、ポール・ウォーラーの歴史はこれから創られていく。
マスタービルダー
Dale Wilson
デイル・ウィルソンは2003年にフェンダー・スタッフに加わり、2005年にカスタムショップの一員となった。そして2011年、その手腕が認められマスタービルダーとなった。若かりし頃よりギター製作に情熱を注いできた生粋のカリフォルニア人である。
“気が付くと、いつもギターのことばかり考えていたよ”と、彼は語る。“自分はロックスターになろうとは思ったことはなくて、いつも究極のギターを作ることを夢見てた。僕にとってはプレイヤーがロックスターを目指すのと同一線上のことだったね”
ウィルソンは優れたウッドワーカーの血を引いているので、クラフトマンに必要とされる“カスタムショップ”に通じる熱意は、DNAの一部として備わっていたといえるだろう。彼は高校を出てまもなく小さなギターショップに就職し、そこでギターの修理やモディファイを行っていた。フェンダーに来る前はドブロ、リッケンバッカ―で、そしてカスタムショップ・マスタービルダーのもとで従事する前はギルド、グレッチ、ベネデッドと、あらゆる構造のギター製作に携わってきた事実は、彼のオリジナリティを示す充分な要素といっても過言ではない。
2011年1月にカリフォルニア州アナハイムで開催されたNAMMショウではマスタービルダー昇格前にもかかわらずカスタム・ギターを出展する機会にも恵まれた。ギターはマスタービルトではなくチームビルトとして出展されたのだが、ウィルソンが製作したと知ったバイヤー達は、買い付けたギターヘッド裏部に彼のサインを求めた。つまりチームビルトとして出展されたギターでありながらも、マスタービルトと同等の評価を下したのである。この出来事がフェンダーカスタムショップにとってマスタービルダーに相応しいと判断した理由の一つとしても挙げられる。
マスタービルダー タイムライン
John English
1970年にフェンダーの一員となったジョン・イングリッシュは、フレディ・タバレスやビル・カーソンといったフェンダーオリジナルメンバーと共に歴史を築きあげてきた数少ない人物である。
カスタムショップにおけるオリジナルビルダーとして現在も君臨しており、卓越した技術、ヴィンテージ楽器に長けた知識、そしてアートギターを製作する芸術センス、どれをとってもマスタービルダーと呼ばれるに相応しい存在である。エレクトリックギターには馴染みの少ない木材や金属を駆使して芸術的なカスタムギターを製作する技術をも併せ持つ彼は、なんと元米国大統領ジョージ・ブッシュのために楽器を製作した経歴を持つ。彼のイマジネーションは、アメリカとヨーロッパ異なる二大大陸の音楽、芸術、建築学、幾何学、色彩感覚の融合から生まれており、それが両大陸で生活してきたイングリッシュのバックボーンを構成しているに他ならない。
日本におけるカスタムショップアーティストの第一人者、春畑道哉のシグネイチャーストラトキャスターの開発における中心人物であり、高いポテンシャルを備えたリバース・ラージヘッドストックのギターを定着させた。また2005年の同プロジェクトにおいて、元々親交の深かったシルバーアクセサリのカリスマブランドのひとつビル・ウォールとのコラボレイションを果たし、芸術的エッセンスを加えた高品質のギターをつくりあげた。米国では、サーフギターの帝王ディック・デイルとのコラボレイションの結晶は、カスタムアーティストシリーズからDick dale Stratocaster として製品化されている。
1998年、2005年と二度の来日を果たしている。2005年の来日時には、春畑道哉、ビル・ウォール両氏との三者による対談が実現した。2007年6月28日逝去。
Christopher W.Fleming
エレキ・ギター、エレキ・ベースはもちろんのこと、マンドリン、スチール・ギター、アコースティック・ギター、アーチトップ・ギター等、幅広いジャンルの弦楽器製作の経歴を持ち、なおかつギター・プレイヤーとしてのノウハウも兼ね備えたクリス・フレミングが、マスター・ビルダーとしてフェンダー・カスタム・ショップにこのふたつの情熱を融合させる為に帰ってきた。
彼は長年に渡りオールド・ギターについての研究を重ねており、今日においてはヴィンテージ・ギターのスペックに関してはエキスパートの域に達している。12年以上に渡って弦楽器の製作、修理経験を重ねてきた彼は、フェンダー社において3年間カスタム・ギターの製作に携わっていた。
更に2000年にはフェンダー・カスタム・ショップでフレッド・スチュワート、アラン・ハミル、そしてジョン・イングリッシュといったマスター・ビルダー達のサポートを行ないながら、多くの技術を習得していった。その後2年間はフェンダー・コロナ工場内のギルド・プロジェクト・コーディネイターという立場にあって、現在におけるギルド・ブランドの確立に大きく貢献した。
伝統あるフェンダー社にあって、最も質の高い楽器を製作できることを誇りにしている彼のマスター・ビルダーとしての才能は。テレキャスター、ストラトキャスターを中心に遺憾なく発揮されることであろう、長年培ってきた”経験”を武器として。
Mark Kendrick
フェンダーを心底愛してやまないマーク・ケンドリックは、その温厚な人柄も含めてフェンダー内部での信望も厚い。彼は1950年代なかばに創設者レオ・フェンダーを手伝っていた伯父に続きケンドリック家二代に渡る“フェンダーマン”となったのだが、ビルダーになる前は料理人を志していたという。
1973年、かつてフェンダーの副社長を勤めていたフォレスト・ホワイトに誘われたのをきっかけにミュージックマンに入社。その後G&Lへ移り、1990年にフェンダーカスタムショップの一員となった。彼がビルダーとして活躍したその舞台は、奇遇にもレオ・フェンダーが興したメーカーばかりである。
カスタムショップではアーティスト専任ビルダーも歴任しただけに、キース・リチャーズ、スティング、ニッキー・シックス、ゲディ・リーをはじめギタリスト、ベーシストを問わず多くのミュージシャンのために楽器を製作してきた。なかでも1990年代のエリック・クラプトンのメインギターであった彼の愛車メルセデスベンツと同じダークブルー(実際のカラー表記はメルセデス・ブルー)のストラトキャスターや、同じくボディに金箔を満遍なく施したゴールドのストラトキャスターは、ファンならずとも一度は目にしたことのある方も多いことだろう。
2003年10月にはマスタービルダーとして初来日を果たし、パシフィコ横浜にて開催された楽器フェアではギタービルトのデモンストレーションを行い、好評を博した。彼の来日をきっかけに、以降日本、ヨーロッパを中心にさまざまなマスタービルダーをフィーチャーしたマスターツアーを敢行することとなる。