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事故から35年。青葉区の母子3人が亡くなった横浜米軍機墜落事件って?

ココがキニナル!

港の見える丘公園に「愛の母子像」という像がある、「横浜米軍機墜落事件」について調べてください。(marさん、mimiaさんのキニナル)

はまれぽ調査結果!

幼児2名は全身熱傷、母・和枝さんは壮絶な4年間の末に他界。反安保・反自衛隊、米軍相手の日本初の判決など波紋が大きい事件だった。

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ライター:吉岡 まちこ

安保条約とパパママバイバイ。広がる政治・司法への波紋



墜落当日に行われた機体の残骸回収と翌日の日米合同検証は、アメリカ主導で行われた。
公務執行中の罪に対して、アメリカは第一次の裁判権を行使できるという“地位協定”(1960年の安保改正で条約化された、占領軍の特権の継続を認めた協定)のもと、これまで墜落事故では、日本の警察が原因と責任を捜査・追究することはなかった。

これに対し、“安保男”の異名をとる飛鳥田横浜市長(当時)の事故の責任解明への尽力は、目を見張るものがあったという。親子の悲劇と安保条約。政治的な団体も黙ってはいない。

事故から2年後の1979(昭和54)年、『パパママバイバイ』(早乙女勝元著・草の根出版会)の初版が刊行。
和枝さんの死から2年半後には、これを原作とした同名のアニメ映画が公開された。
 


早乙女勝元著『パパママバイバイ』は、2001(平成13)年に再刊された
 

廃版となり今や入手困難なアニメ『パパママバイバイ』
VHS(2点とも和枝福祉会の喫茶室)


アニメ映画は、12年前に東京都国立市の小学校で教材に使われ、物議をかもした。
原作に脚色を加え、子どもに反自衛隊感情を植え付ける意図が明白すぎるとされたのだ。

また、映画の中で長男が亡くなる時に言ったとされる “パパママバイバイ”というセリフも、エピソードとして一人歩きしているが、事実ではないようだ。実際には病室にいたのはおばあちゃんだけだった。早乙女氏の絵本でも子どもに言わせてはいない。


実はこの事件には、もう一人重いやけどを負った椎葉さんという女性がいた。日本にも裁判権があることを掲げ、米軍のパイロットを業務上過失致死罪で告訴している。結果は、日本政府がアメリカの特権を放棄させることはなく、不起訴。

しかし、民事訴訟で7年後、横浜地裁は「米国人にも民事裁判権が及ぶ」という画期的な判決を下した。“不幸な事故”では済まされない“事件”であると初めて認めたのだ。



和枝さんの実兄が語る、遺族の願い

今回、お父さんの勇さんに連絡を取ろうと生花店「青葉台ガーデン」に電話をしたところ、家業を継ぐ息子さん、つまり和枝さんの実兄・土志田隆さんから勇さんが数年前に亡くなったことを知らされた。
 


事件について語ってくださった土志田和枝さんのお兄さん・土志田隆さん


取材したのは初冬。隆さんが園長を務める青葉区しらとり台のハーブガーデン「和枝園」を訪ねた。
オスプレイの配備でマスコミが騒然となった頃で、隆さんのもとにも有名な早朝の某テレビ番組から取材依頼があったそうだ。
ただ、番組の意向と違ったためか、「訴訟を求めた椎葉さんだけが放送され、自分のコメントは取り上げられなかった」そうだ。

「和枝には、楽しかった、生きていて良かったと感じた日は一日もない4年4ヶ月でした。精神的に相当参っていた。やっと終わりにできたのかなと思います」「和枝の命をどう助けるかが家族の方向性であり、亡くなってからはただ心安らかに眠れと願った」と、政治には利用されない道を選んできたことを語る。
 


初夏にはブラックベリー摘みもできる「和枝園」は、
知的障害者施設の分場でもある


和枝さんの一家は告訴等せず示談を選んだ。国から支払われた賠償金で、父・勇さんは和枝福祉会を立ち上げた。
さらに “もう一度子どもたちを抱きしめたかった”と泣いた和枝さんを想い、母子像建立を思いつく。

交渉の結果、横浜市が用意したのは、港の見える丘公園のフランス山地区のひっそりとした木陰。ただし寄贈しても良いが、碑文は付けないのが条件だった。
 


事故から8年目に遺族から寄贈され、20年間は何の像かわからない状態だった
 

作者は山下公園の「赤い靴はいてた女の子」像を作った方


「訴訟を起こす団体ではないと判断されたのか」(隆さん談)、事故から29年目、ようやく碑文が取りつけられた。

 

像の横に説明が加えられた。たった7行だが長い道のりだった


子どもたちは生前、海を見たがっていたという。うっそうとした木で、海の景色も遮られがちの日が多かったが、撮影した日はちょうど枝払いされた後でベイブリッジがよく見渡せた。

 

「愛の母子像」の位置から、せめていつも海が見えていてほしい



取材を終えて



火災が発生してすぐに機体を安全な場所に操縦することなく放棄したのは、岩国海兵隊航空基地から一時的に厚木に派遣された20代海兵隊員だった。隆さんは「もし自衛隊のパイロットだったら田んぼに落としたのではないか。意識や責任感が違う気がする」と語る。

和枝さんはよく「なぜ私なのか」と言っていたという。厚木の地形に慣れていない不運もあったかもしれないが、逆を言えば、誰の身にも起こり得るということだ。「オスプレイをどうしても配備するなら安全性を確認してから。パイロットの技術が重要だ」と、戦闘機で身内を失った土志田隆さんは結んだ。
 


「カズエ」と名付けたバラの品種を作ってもらい、
勇さんは皮膚提供者へお礼に配った(港の見える丘公園にて撮影)



―終わり―
 

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  • 「連絡を受けた海上自衛隊の救難ヘリは無傷に近い二人のパイロットだけを助け、墜落現場に向かうことはついになかった。」と記事にありますが、自衛隊への出動要請はあったのに(何か理由があって)行かなかったのか、要請が(何か理由があって)無かったからいけなかったのかをハッキリ書いてほしいです。でないと、県や市などの要請がないと助けられない自衛隊を悪くいっているようにも思えてしまうのでぜひお願いしたいです。

  • 横浜のこの事故当時は報道が捻じ曲げられて伝えられたという時代、40年以上経った今も報道機関の姿勢は変わらないがネット環境で報道機関が伝えない事実を垣間見ることが出来る。一方で、伝えなくて良い心無い誹謗中傷や故意に捻じ曲げた情報まで聞こえてきてしまう。情報化社会、様々な情報に対して意見する事を否定するつもりはないが被害者に対する誹謗中傷は容認できない。佐賀で起きた自衛隊ヘリ墜落事故では軽症を負った女児の父が許せないと発言しただけで誹謗中傷されましたが、原因を作ったのは報道機関の報道である。被害者が許せないと言った事自体何も問題はないが、自宅全焼を目の当たりにした被害者の取り乱している姿を視聴者受けを狙って放映する前に伝えないといけない事は山ほどあるはずだ。横浜の米軍偵察機墜落事故から四十数年、報道機関は器材が立派になっただけでその中身は何ら変わりなく、全く成長していないと言える。

  • このアニメを小学校の時に戸塚公会堂で観ました。突然飛行機が堕ちてきて、病院で喉を切開だったかとても苦しみながら悲しい最後だったと、悲しい記憶が蘇りました。同じ歳の男の子が苦しみながら亡くなったこと、ある日突然飛行機が落ちてくるなんて、と映画が終わっても何も言えなかった事を覚えています。

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