2月19日に岩田健太郎教授が動画を投稿し、ダイヤモンドプリンセスの内部を告発しました。
その動画の中で「厚労省で働いている某氏」と説明されたのが、高山義浩先生でした。
その後、高山義浩先生は自身のFacebookで意見を述べられました。
そんな高山義浩先生の経歴がヤバいと話題になっています。
高山義浩先生の経歴や学歴などのプロフィールや、結婚や子供について調べていきます!
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高山義浩の経歴がヤバい?学歴やプロフィール!
高山義浩wiki風プロフィール
高山義浩
(たかやまよしひろ)
生年月日:1970年
居住地:沖縄市中頭郡
出身地:福岡県
職業:沖縄県立中部病院 感染症内科・地域ケア科 副部長
趣味:沖縄本島の釣りと岸壁めぐり
高山義浩先生は現在、沖縄県立中部病院 感染症内科・地域ケア科の副部長を勤めていて沖縄で過ごしています。
Facebookの写真がとても若々しく、50歳には見えませんでした!
画像引用:高山義浩HP
高山義浩の学歴や経歴
1995年卒業:東京大学医学部保健学科
2002年卒業:山口大学医学部医学科
2012年〜:長崎大学国際保健学分野・熱帯医学研究所
高山義浩先生は1995年に東京大学医学部保健学科卒業後はフリーライターとして活動されました。
世界の貧困と紛争をテーマに取材をしていましたが、カンボジアで味わった「無力感」が医師になるきっかけになりました。
カンボジアの農村で社会調査をしていました。そこで多くの乳幼児が感染症で死亡していることはわかるのですが、その原因も、どうすれば助けられるのかも全くアセスメントできなかったのです。現場にいながら、自分には何も分からない。何もできない。その無力感が、医師を目指したきっかけでした。
引用:Doctor-ASE
学生時代に途上国を旅した際に、社会的弱者にエイズが蔓延していることに衝撃を受けたため、2002年に山口大学医学部を卒業後はHIV診療ができる医師を目指し、国立病院九州医療センターで臨床研修を受けられました。
その後も高山義浩先生はHIV診療にこだわっていましたが、ある村の診療所の所長の一言によって医師としての生き方を考えることになりました。
その村診療所の所長の言葉とは、
自分のやりたいことばかり言う医師は、地域医療には向かないよ。地域でどんな医師が求められているかに耳を傾けるべきじゃないか。
高山義浩先生は「自分のやりたいことを突き詰める道もあるけれど、地域のニーズに応じて自分をカスタマイズできる医師になりたい」と思い地域医療で知られた佐久総合病院総合診療科の専門研修医とて働きました。
その後も仕事を転々としながら厚生労働省での新型インフルエンザ対策や地域医療構想の策定支援、沖縄中部病院での地域ケア・在宅ケア推進など様々な活動をしていきました。
現在は沖縄県立中部病院感染症内科・地域ケア科の副部長だけでなく、長崎大学の大学院生として研究にも参加しています。
2002年4月国立病院九州医療センター、九州大学病院で初期臨床研修を受ける
2004年5月から2008年4月佐久総合病院総合診療科にて地域医療に就く
2004年人身売買被害者を含む無資格滞在外国人に対する医療支援
2008年4月から2010年3月厚生労働省健康局結核感染症課においてパンデミックに対応する医療提供体制の構築
2010年10月から2014年4月より沖縄県立中部病院にて感染症診療と院内感染対策また同院に地域ケア科を立ち上げ、退院患者のフォローアップ訪問や在宅緩和ケアを開始
2014年4月から2015年3月より厚生労働省医政局地域医療計画課で、高齢化を含めた日本の社会構造の変化に対応する地域医療構想の策定支援
2015年から現在までふたたび沖縄県立中部病院に戻り、急性期病院と地域包括ケアシステムの連携推進
2020年2月より厚生労働省の雑用係
画像引用:Facebook
高山義浩の結婚や子供は?
画像引用:Facebook
高山義浩先生のご家族や子供についての情報がありませんでした。
また分かり次第追記させていただきます。
高山義浩の経歴や学歴のプロフィール!家族や子供は?
高山義浩先生の経歴や学歴のプロフィールについてと、家族や子供について調べてみました。
高山義浩先生のコロナウイルスに対する意見が素晴らしいです。
残念ながら、日本人は、危機に直面したときほど、危機そのものを直視せず、誰かを批判することに熱中し、責任論に没頭してしまう傾向があると感じています。不安と疑念が交錯するときだからこそ、一致団結していかなければと思っています。
引用:高山義浩Facebook
高山義浩先生のご活躍をお祈りしております。