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「なぜ『引き出し屋』に頼んだの」ひきこもり支援で入り込む業者 壊れた親子関係

2020年12月16日 09:44

■奪われた自由

 少しずつ、考える力が失われていくように感じた。「自由を奪われてただ生きる、『飼い殺し』状態だった」。当時19歳だったサトルさん(21)=仮名=は、沖縄本島の実家から突然連れて行かれた神奈川県内の全寮制施設の生活を振り返る。

 施設は、畑や山に囲まれたのどかな場所にあった。毎日、午前7時15分までに食堂へ集まり、スタッフが見守る中で寮の周りを散歩する。その後は「自習」時間。午後はランニングなどをして過ごした。消灯は午後10時ごろ。スタッフが夜中、見回りに来た。テレビのない5~6畳ほどの部屋で基本的に2人1室で寝起きし、掃除も料理も自分たちで行う。「刑務所にいるようだった」と話す。

 スマートフォンや運転免許証、現金の入った財布も、実家を連れ出される時に預けたまま。施設の玄関は開いているが、小型カメラが設置されていた。

 「小遣い」は月に3千円。週1度、スタッフ同行で買い物に行き、おやつや本などの代金を支払うときだけ現金を渡された。支払った後も手元に1円も残らないよう、お釣りやレシートを厳重に管理された。

 寮生の中には数年、滞在している人もいた。先の見えない日々に、「いつかは」と考えていた大学受験はさらに遠のいたように感じた。「家を連れ出される前に、死んじゃえば良かった」。何度もそう思った。

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 「何が食べたいとか、どこに行きたいとか、当たり前の自由がなかった」。故郷沖縄から遠く離れた、誰一人知り合いのいない施設の中で、20歳の誕生日を迎えた。

 「このままだと自分は、駄目になる」。サトルさんは「脱走」の計画を練り始めた。施設から逃げ出そうとして見つかり、連れ戻された寮生の姿を見たことがあった。絶対に失敗はできない、と思った。

サトルさんが当時、書いた「台本」。「沖縄からはるばるやってきて身寄りもお金もない」などと書いている

 だが沖縄に帰りたくても、飛行機代どころか、施設から離れるためのバス代も電車賃さえもない。施設から出た後は、近くの森にしばらく隠れて過ごすつもりで、わずかな「小遣い」で非常食を買いためた。寮の本棚で施設周辺の地図を見つけ、見ず知らずの土地の地理を頭にたたき込んだ。ちゃんと助けを求められるよう、自身が置かれた状況を第三者に説明するときの「台本」も準備した。

 入寮2カ月目の2019年10月11日。小型カメラの映像をスタッフが見ていないことを祈り、全速力で施設の入り口を駆け抜けた。着の身着のまま、誕生日に親が送ってくれた「ちんすこう」と、わずかな食べ物、ペットボトル2本を携えて。

 自分の身分を証明できるものは何一つ、なかった。

>>業者の反論

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