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- マルコムX Malcolm X (Part 2) -
<ネイション・オブ・イスラム>
ネイション・オブ・イスラム(NOI)は、1930年代にデトロイトで設立された宗教組織です。開祖でもある指導者イライジャ・モハメドによると、黒人と白人の関係は以下のようになります。
「地球上に初めて現れた人間は黒人である。彼らはアラーの神を讃える偉大な文明社会を築いたがその過程で神によって追放された科学者がいた。彼が自分を追い出した黒人に対する復讐のために遺伝子操作によって作りだしたのが白人である。
その後、白人は復讐のために黒人の社会を破壊し、奴隷として支配する社会を作り上げた。しかし、この支配も今や終わりが近づいている。我々がそのことに気づくことで、再び黒人の理想社会を甦らせることができるのだ」ということなのだそうです。(やれやれ・・・)
だからこそ、彼らはこう主張します。
「白人と黒人は別々に生きて行くべきである」
この主張は実に分かりやすく、なんとあの人種差別団体KKK(クー・クラックス・クラン)と、分離社会実現に向けた協力関係が結ばれるという嘘のような本当のような話もあったくらいです。(すべての人種差別は同じだということです)
NOIは典型的なカルト宗教だと言えますが、そんな宗教を受け入れる時代背景があったのも事実でした。当時着実に増えつつあった黒人中産階級をはじめ、社会の底辺に生きる人々や犯罪者たち、そしてモハメド・アリのようなスポーツ・エリートたちにまで、NOIが受け入れられたのには、それなりの理由があったのです。それは、NOI独特の宗教思想にあったようです。
NOIでは、多くの宗教とは異なり、それぞれの個人が社会的、経済的成功を追求することが、良しとされていました。すなわち、神の目を気にすることなく人は自らの成功のために必要なことをしても良いということなのです。これは、人種の壁に対し、言いようのない不満と怒りを抱えていた上昇志向の黒人たちにとって、実に好都合な考えでした。
実際、NOIは1960年の時点でアメリカ最大規模の黒人企業でもありました。酪農、出版、金融、食料品販売、医療雑貨店経営などから得た利益でキャディラックやリンカーンを乗り回す企業家、それがNOIの指導者イライジャ・モハメッドのもうひとつの顔だったのです。NOIは、社会を改革するのではなく、それぞれが生き残るために自由に闘うことを認めていたわけです。(後は、しっかりと寄付さえすれば良いというわけです)
<イライジャとの出会い>
1952年、マルコムはシカゴのNOIの寺院で初めてイライジャ・モハメドに会いました。小柄で見た目もパッとしない中年男にも関わらず、モハメドがしゃべり出すと聴衆はじっと聞き入らずにはいられませんでした。彼はマルコム同様リーダーとして不可欠なカリスマ性を持ち合わせていたようです。そのため、マルコムもすぐにモハメドの魅力の虜になり、NOIに入信、その後自らの名をマルコムXと改めました。
「Xは、永遠に知り得ない真のアフリカの姓を象徴している。私にとってXという姓は、青い目の悪魔が私の父祖におしつけた姓、白人の奴隷所有者の姓である『リトル』にとってかわる姓なのだ」
1953年、彼はNOIの布教に専念するため、仕事をやめ、ボストンで牧師として活動し始めます。その後、彼はその頭の良さとカリスマ的なスピーチの魅力によりめきめきと頭角を現し、ニューヨークやフィラデルフィアでも牧師に任命され、全米各地で演説を行うようになりました。
「平等とか正義とかいったものは、誰かに与えられるものではない。もし、きみたちが人間なら、自分で奪い取るべきである。それがとれないというのなら、きみたちはこれを手にするに値しない人間なのだ」
マルコムの演説の見事さは今や伝説的ですが、それは単に熱く怒りをぶつけるだけのものではありませんでした。それは「クールさ」の中に「ホットな」怒りを隠し持つと同時に、黒人文化独特のリズム感にあふれたパフォーマンスでもありました。もちろん、これは若い頃彼が憧れていた多くの黒人アーティストやパフォーマーたちから受け継いだものであり、その後彼からモハメド・アリをはじめとする多くの黒人たちに受け継がれることにもなります。
「彼ほど人間の心を支配する言葉の力を知っていた人はいませんでした・・・」
オシー・デイビス(俳優)
<NOIのリーダーとして>
彼がNOIのリーダー的存在となるにつれ、その発言は注目を集めるようになり、その内容もしだいに過激さを増すようになりました。
「なぜ白人があんなにあなたがたを憎むのかわかるだろうか?それは黒人の顔を見るたびに、白人は自分自身の罪と真っ向から向き合うことができないのだ!」
1959年、マルコムの行動範囲はいよいよアメリカ大陸を飛び出し、エジプト、サウジアラビアなどの中東諸国やガーナなどアフリカ諸国を訪問します。この際、彼は当時第三世界のリーダー的存在だったエジプトの大統領ナセルとも会っており、翌年にはキューバのフィデル・カストロとも会談を行いました。彼はしだいに共産主義諸国との共闘をも口にするようになり、アメリカ政府はいよいよ彼を危険人物としてマークするようになります。
<黒人大衆への影響力>
こうして、彼はNOIの存在を世界中に広める役割を果たしました。しかし、彼はそんなスポークスマン的な仕事だけでなく、もっと重要な役割をも果たしています。それは、社会の底辺に位置し、犯罪と麻薬におぼれる多くの黒人たちに忘れかけていた誇りを取り戻させたことです。彼の力強い演説を聞いて、多くの犯罪者や麻薬常習者が、そこから抜けだし新たな人生を歩み始めることになったのです。
「多くの黒人の麻薬常習者は、この白人のアメリカにおいて、黒人であるということを嫌悪して、そういう自分自身を麻痺させるためにクスリを使っている。だが実際には、麻薬をやっている黒人は『黒人はクズだ』と白人が証明するのを、いたずらに手助けしているのだ」
<過激すぎた男>
マルコムが有名になり、その発言が過激になるにつれ、しだいにNOIに対する政府や社会、マスコミからの圧力は強まるようになります。そのため、彼をスポークスマンとするNOI自体がその批判の矢面に立たされるようになり、しだいに彼を排除しようという動きが教団内部から高まり始めます。
ちょうどその頃、イライジャ・モハメドが姦通により、自分の秘書たち3人に子供を生ませていたことを知ったマルコムは、かつては『恐れ』をもって従っていた指導者を表立って批判するようになります。
さらに1963年、マルコムは当時いよいよ世界チャンピオンに挑もうとしていたカシアス・クレイ(後のモハメド・アリという名は、イライジャが特別に与えた名前です)の世話役を務めていることが明らかになります。当時全米の人気を集めていたヒーローが、マルコムに操られているということで、マルコムはいっそうの批判を浴びることになります。
そのうえ彼は、もう一人の国民的ヒーローであるマーチン・ルーサー・キング牧師をも批判するようになり、穏健派の公民権運動支持者たちからも批判されるようになりました。
「何世代にもわたって、いわゆる『教育のあるニグロ』は、白人の考え方をオウム返しにすることで黒人の同胞を『指導』してきた。しかし、それは必然的に白人の利益になっていたるのだ」
1963年8月に行われたあの有名なワシントン大行進の際も、彼はその行動を否定し、参加を拒否しています。
「怒れる革命家たちが、怒りをぶつけるべき相手と腕を組んで陽気な足どりで、『勝利を我らに』と唱和している。そんな馬鹿げた話がどこにある?」
「ワシントン大行進は問題解決を意図したものではない。それは爆発を縮小させるためのものだった」
実際、このワシントン大行進において、キング牧師ら黒人側とアメリカ政府の間には取引が行われており、アメリカ政府に対する演説での非難は最小限に抑えられていたことが後に明らかになっています。彼の発言は確かに真実を突いていました。
12月22日ケネディー大統領が暗殺されると、マルコムはそれを当然の罰であると言い放ちました。ベトナムやアフリカでの戦争や陰謀工作の責任者はすべて大統領であり、彼はローストチキンを作る準備をしていた家に帰ってきたにわとりのようなもので同情の余地などない、と発言したのです。この発言に対する非難の嵐により、ついにNOI幹部はマルコムを謹慎処分にせざるを得なくなります。
<脱退、そして新たな道へ>
1964年、マルコムはついに自らNOIを脱退します。4月には、メッカへの巡礼の旅に出かけました。その後彼は中東やアフリカ諸国を再び訪問するうちに、しだいに自らの考え方を改めて行きます。
「その朝、はじめて私は『白人』というものを再評価し始めた。『白人』という言葉は、肌の色を指すのではなく、それが意味するのは『態度』や『行動』だということに気づき始めたのだ。・・・」
「これまでアメリカ黒人の誰ひとりとして自分たちの問題をアフリカ問題と同じ範疇にいれようと努力した者はいなかったし、またいれたこともない。さらに問題を国際化したこともない。そうして意味で、私が当地を訪れたことは、まさに歴史的な事件だった」
こうして、帰国した彼は宗教色を排した政治団体「アフロ・アメリカ統一機構」を設立。さらにキング牧師らをはじめとする公民権運動を指導者たちに謝罪し今後の協力を約束しました。
「この国を救うのには真に深い友情Brotherhoodしかないということを学ぶのに、私はたいへんな回り道をした」
<キング牧師の決断>
この頃、それまで黒人の解放にのみ力を注いでいたキング牧師もまた新しい道へと進もうとしていました。1967年、彼はそれまでの立場を改め、ヴェトナム反戦をあえて訴えるようになったのです。
「人種差別は、単にアメリカだけの現象ではない・・・どこの国をながめても、我々は有色人種の汗と苦難の上に、白人たちが帝国を築いているのをみる」
マーティン・ルーサー・キング牧師
彼は黒人解放運動を世界各地で行われている人種差別との闘いのひとつとしてとらえ直すことで新たな視点をもつようになったのです。これはアメリカという白人国家に対する本格的な挑戦でもあり、危険な賭けでもありました。この翌年キング牧師が暗殺されてしまったのは、彼のこうした方針転換によるものだったのかもしれません。そして、この時になってやっと、キング牧師とマルコムの考え方は多くの点で一致を見るに至っていたのでした。
「私がめざす組織・・・白人と黒人の真の深い友情が存在しうる社会を作ることを最終目標にした黒人だけの組織・・・を作るうえで大きな問題は、かつての私のイメージ、いわゆる「ブラック・ムスリム」のイメージが障害になっているということだった。私は徐々に自分のイメージを変えようとした。そして、その変化を人々に、特に黒人たちに、新しい眼でみてもらいたいと思った。
だからといって、私の今までの怒りが薄れたわけではない。ただ、聖なる土地でみた真の深い友情が、怒りは人の視野を狭くするという認識に私を導いてくれたのだ」
<早すぎた死>
1965年、マルコムが帰国するとその翌日彼の自宅が爆破されました。幸い、この時彼は無事でしたが、彼の命はもう失われたも同然でした。結局、それから1週間後の2月21日、マルコムはハーレムのオーデュポン・ボール・ルームでの講演中に銃によって暗殺されてしまいます。
彼を殺した犯人として3人の黒人が逮捕され、3人とも有罪となり終身刑を言い渡されています。しかし、彼らがなぜマルコムを暗殺したのか?誰かに依頼されたのか?その事実はまったく明らかにされないまま事件の調査はうち切られたました。1980年には、再捜査をFBIに要請する運動が起きましたが、結局新事実はないとして却下されました。
「彼はポン引きの罪人・・・学究的な僧侶・・・情熱的な賢者・・・そして殉教者であった・・・マルコムXはアメリカにとって危険であるために殺された・・・マルコムの遺産は彼の生涯であった」
リロイ・ジョーンズ(詩人)
<人の子、マルコムX>
マルコムXが最後にたどり着いた思想、それは生前ギリギリまで歩み寄ることのなかったキング牧師のそれに近いものでした。(キング牧師の考え方もまたマルコムの考えに近づいていたのですが・・・)マルコムの大衆的な人気の高さは、彼がその短い人生において苦しみ、悩み、学び、悔い改める中で築き上げた人間的歴史の魅力によるものだったのかもしれません。それはキング牧師のもつ天性の「神のごとき尊さ」とはまた別のものものでした。その意味では、キング牧師を「天上の神」のごとき存在とするなら、マルコムXは神が地上に与えた「人の子、イエス」だったと言えるのかもしれません。
だからこそ彼は、アメリカという国の近代史を「黒人大衆の側から見る」というもうひとつの視点を与えてくれる重要な存在となりえたのです。マルコムXを理解することなしに、キング牧師の偉大さを深く理解することは、本当は不可能なのかもしれません。
アメリカが失った二人の偉大な指導者の損失の大きさは、未だ理解されていないと言えるでしょう。それは、アメリカという国の体質がその頃とほとんど変わっていないことからも明らかです。二人の死が本当に報われるのはいつのことでしょうか?
<締めのお言葉>
「もし、私たちが1965年に・・・より強く・・・より知性に満ちていたならば・・・私たちが理解し尊敬していたブラザー・マルコムは今日も私たちのそばにいるだろう」
オラペツェ・ゴシツィル(南アフリカの詩人)
「マルコムXは常に変化と成長の途上にある人間だった・・・人々が自由に尊厳を持って歩く世界という彼の夢の実現は・・・彼の暗殺によって・・・わずかの間は遅らされることになった・・・暗殺はその夢の提唱者を殺したが夢を殺すことはできなかった・・・その夢は彼がわれわれに残したものであった」
ジョン・ヘンリック・クラーク「マルコムX-人間と彼の思想」より
<追記:映画「マルコムX」について>
映画「マルコムX」は、マルコムの人生における変遷の歴史を実に分かりやすく描いています。第1部とも言える部分は、まるでミュージカル仕立てのように描かれたマルコムの青春と放蕩の物語。第2部は、クールで過激なブラック・パワー界のカリスマへと変身したマルコムのの闘争の物語。そして、最後の第3部が自らの過ちを悔い改め、人種や宗教を越えた新たな運動を模索するも道半ばで暗殺されてしまったマルコムの殉教物語。
今までは、第2部までのマルコムXしか知られていなかっただけに、第3部を描くことでマルコムが到達した人間像を世に知らせることができた監督のスパイク・リーの目的は十分果たされたと言えるでしょう。ただし、あまりに三つのパートのトーンが異なるため三本の映画を見ているような気になってしまうという難点もあります。(だからこそ、凄い人物なのでしょうが・・・)
音楽良し(エラ・フィッツジェラルド、ビリー・ホリデイ、ライオネル・ハンプトン、ルイ・ジョーダン、アレサ・フランクリンからアレステッド・デヴェロプメントまで実に多彩。マルコムの変遷を感じさせるような黒人音楽の変遷を詰め込んでいます)サントラ盤もお薦めです。
当時の社会情勢は実に勉強になります。
そして、映像の持つパワーはスパイク・リーの頂点とも言えるでしょう。(これと「ドゥー・ザ・ライトシング」あたりが、若き日の彼の最高傑作ではないでしょうか?)
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