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- マルコムX Malcolm X (Part 1) -

<キング牧師とマルコムX>
 1960年代、激動のアメリカを語るとき、忘れてならない公民権運動。その中でもマーティン・ルーサー・キング牧師こそ最も偉大な人物であると考える人は多いでしょう。ガンジーの非暴力、不服従の運動に大きな影響を受けたキング牧師による公民権運動はアメリカ国内だけでなく世界中の民主化運動における規範となりました。
 しかし、キング牧師の成し遂げた数々の功績とその思想の影響は確かに大きいものの、その結果として黒人の地位向上が狙いどおり実現したかというと、現実はそう甘くありませんでした。60年代の激しい闘いにより、すべての黒人に参政権が与えられ、法のもとの平等が実現したものの、経済面での格差は逆に広がることになってしまいました。この影響で犯罪が増加し、公民権を剥奪されることで参政権を失う黒人が大量に発生、運動の意味が失われてしまったのです。
 自由競争の名前のもとでは、持てる者はさらに富を増やし、持たざる者はより貧しくなって行く。これがアメリカ型民主主義が生み出す当然の結果だったのです。だからこそ、アメリカにおける黒人暴動はけっしてなくならず、1992年に起きたロス暴動では、かつて60年代に起きたどの暴動よりも多く、死傷者を出すことになってしまいました。(死者58名)
 キング牧師と同じ時代に生き、現在の状況を予測し、それでもなお黒人はアメリカの一部として堪え忍び続けなければならないのか?と問いかけ、キング牧師とは別の視点から闘いを行っていた人物がいます。彼がもし暗殺されなければ、アメリカの黒人社会はまた違ったものになっていたかもしれません。それが、カリスマ的なスピーチで黒人大衆の人気を集めた伝説的ヒーロー、マルコムXです。

<マルコムの父>
 マルコムXこと、マルコム・リトルは1925年5月19日ネブラスカ州のオマハに生まれました。彼の父親アール・リトルは牧師であると同時にUNIA(世界黒人向上協会)の熱心な活動家でした。そのため、彼の家族は常に白人たち、特にKKK(クー・クラックス・クラン)に目をつけられることになりました。脅迫されたり、襲われることになった彼らは何度も引っ越しをしなければならなくなり、ミシガン州ランシングではついに家に放火されてしまいます。この火事で家族はすべての財産を失ってしまいました。それどころか、1931年1月、アール・リトルは何者かによって惨殺されてしまったのです。なんと彼の父親の兄弟7人のうち5人までもが、何者かによって殺されています。(ただし、彼の父親を殺したのはKKKとは別の組織だったという説が有力のようです)

<マーカス・ガーヴェイとUNIA>
 UNIAは、ジャマイカ生まれの黒人マーカス・ガーヴェイによって設立された団体で、黒人の市民権獲得、生活の向上を目的として活動していました。UNIAの特徴的な考え方は、単にアメリカ国内で市民権を獲得するだけでなく、最終的には「アフリカへ帰る」ことを目標にしていたことです。同じ様な組織として、黒人指導者W.E.B.デュボイスによって設立された団体、NAACP(全国黒人生活向上協会)もありますが、こちらは白人の博愛主義者らもその中心メンバーになっており、黒人による黒人のための組織ではなかったため、その活動に自ずと限界がありました。
 ちなみに、このマーカス・ガーヴェイの有名な予言「アフリカ大陸最初の独立国の王こそ、黒人たちにとっての救世主となるだろう」から、ジャマイカ独特の宗教「ラスタファリニズム」が生まれました。そして、この思想をレゲエのリズムに乗せて全世界に広めたのが、ボブ・マーリーだったわけです。

<貧困との闘い>
 彼の父親が暗殺された当時、アメリカは大恐慌の真っ最中でした。そのため、父親のいない彼の家族は、飢え死にギリギリの貧困生活を余儀なくされます。母親のルイーズ・リトルはそんな状況の中、なんとか仕事を見つけてきて8人の子供たちを育てようとしました。彼女がほとんど白人に近い肌の色だったことは、この時多少は役立ちました。(しかし、アメリカでは黒人の血が一滴でも混じっていると黒人とみなされ差別を受けるので、いつまでも役には立ちませんでした)
 母親の白い肌は、実は名前もわからない白人の男によって彼女の母親が強姦されたためにさずかったものでした。そのため、マルコムもまたその白い肌を受け継ぎ、そのことが彼の心に大きな影響を与えることになります。
 家族の貧困との闘いは、長く辛いものでした。しだいに母親は精神不安定になり、ついには精神の糸がぷっつりと切れてしまいました。
「1934年の暮れだったと思うが、私たちは自分たちが違った人間になっていくのを感じた。ある種の堕落が私たち家族を襲い、誇りを蝕み始めたのだ。たぶん、それが貧しいということなのだろう。・・・」
マルコムX

 1937年、彼女は州立病院に入院することになり、子供たちはちりぢりに見知らぬ家にあずけられることになりました。マルコムはミシガン州メーソンの少年感化院に入れられ、そこの管理人である白人のスエーリン一家にかわいがられます。そのおかげで彼は白人の通うジュニア・ハイスクールにただ一人黒人として入学することになりました。
 彼はそこで白人が学んでいる学問を黒人でありながら学ぶことになります。そして、それは黒人がいかに学ぶべき文化や歴史を持たないかを思い知るきっかけにもなりました。
「この地上でニグロと呼ばれている黒人だけが、自分の歴史についての知識をなにも持っていない。この地上でニグロと呼ばれている黒人だけが、自分がどこからやってきたのか知らない。ニグロというのは、このアメリカにいる黒人のことだ。白人はアフリカ人をニグロとは呼ばない」

 成績優秀な彼はクラス代表にも選ばれ、恵まれた学校生活を送ることができましたが、教師や家族にかわいがられた彼が幸せだったかのかというと、けっしてそうではなかったようです。
「私が言いたいのは、私にも彼らの言葉が理解できるということ、私はペットではなく人間なのだということを、彼らが考えてみようともしなかったということなのだ」

 残念ながら、彼のつかの間の夢はすぐに破れてしまいます。学年でトップ・クラスの成績を収めながら、彼は弁護士になる夢を担任にあきらめさせられてしまったのです。黒人であるがために背負わなければならない差別の重みと深い失望感を胸に、彼は姉の住むボストンへと旅立ちました。
「白人は我々が人間であるという誇りを持っているかぎり、我々を非人間的に扱うことはできないということを知っていた。だから白人は、我々の手から剥奪する制度を発明しなければならなかったのだ」

<ボストンにて、第二の人生>
 黒人であることに対する彼の無力感は、大都会ボストンの街の喧噪の中、まったく新しい方向へと彼を向かわせることになります。
「ボストンへ行ったこと以上に、私の人生を根本からゆるがし、大きな影響を与えた出来事はなかった。もしあの時ボストンにいかなかったら、私は白人世界の価値観に洗脳された、黒いキリスト教徒のままで終わっていたことだろう」

 彼は友人の紹介で靴磨きの仕事を始めます。しかし、靴磨きの仕事といっても、実際には酒やマリファナを売ったり、売春婦を斡旋するなど、裏の仕事に手を出すのが常識でした。元々頭の良い彼はダンス・ホールで、デューク・エリントン、カウント・ベイシー、ミルト・ジャクソンなど大物たちの靴を磨きながら、しだいにそんな裏世界での生き方を学んで行きました。
 そして、黒人としての象徴ともいえる縮れた髪の毛をストレートにするパーマ「コンク」に熱中。それまでできなかったダンスも憶え、白人女性との交際も始めます。それは自分が黒人であることを否定し、少しでも白人に近ずくことを目指す悲しい挑戦でした。
「自分の髪を白人のようにするために、文字どおり肉を焼き、苦痛に耐えた。それは私が堕落に向かって踏み出した最初の大きな一歩だった」

<巨大なるバビロン、ニューヨークへ>
 1942年、彼は街のワルにとっての憧れの地、ニューヨークへと旅立ちます。当時まさに黄金時代を迎えようとしていた黒人文化の中心地ハーレム、その街のナイト・クラブ「スモールズ・パラダイス」で、彼はボーイとして働き始めました。頭が良く、ルックスも良い彼は、すぐに街の大物ハスラーたちにかわいがられるようになり、彼らからあらゆる犯罪についてのノウハウを学ぶことになりました。
 1943年、彼に徴兵令状が届きます。しかし、彼は麻薬のやりすぎによる精神異常を装い、まんまと兵役を免れました。その後、彼はハーレムでポン引きになり、白人上流階級のサディストや同性愛者らを相手に稼ぎ始めます。
「ハーレムは、白人の罪の巣窟であり、快楽の隠れ家だった。彼らはタブーを破って黒人の世界にこっそりはいりこんでくる。そして、白人の世界にいるときにかぶっている仮面 - 清潔で、とりすまして、もったいぶった仮面をかなぐりすてた」

<転落、そして逮捕>
 1944年、彼は売春斡旋の罪で逮捕されます。そのため、その後彼はナイト・クラブに出入りできなくなり、ミュージシャン相手にマリファナなどを売る仕事へと転向を余儀なくされます。おかげで彼のポケットには一気に札束があふれるようになりますが、すぐに警察にマークされるようになってしまいます。結局、彼は売人を続けることができなくなり、しかたなく付き合っていた白人女性や仲間たちと強盗に押し入り始めます。しかし、初心者の彼らはすぐに足がついてしまい、警察に逮捕されます。初犯ではなかった彼は10年の刑を宣告され、州立チャールズタウン刑務所に収監されることになりました。

<刑務所にて>
 1947年、彼は刑務所でビンビーという人物と出会います。彼はマルコムに通信教育を受け、図書館で勉強するよう強く勧めました。
「私は完全に彼に魅了された。ビンビーは、言葉でもって、囚人たちの深い尊敬を集めていた。言葉でだ。彼は言葉の持つ力を私に気づかせてくれた最初の人だった」

 この出会いこそ、カリスマ的な演説者マルコムX誕生のきっかけであり、その後彼の影響を受けることになる数々の活動家、アーティスト、そしてモハメド・アリのような人物が現れる原点となったのです。
 こうして、彼は再び学ぶ喜びを思い出し、本を片時も手放さない生活が始まります。辞書で言葉を学ぶことから始まった彼の勉強は、言語学、神学、哲学から奴隷制の歴史などへと広がって行きました。彼はまったく新しい人生へと踏み出そうとしていたのです。そして、ちょうどこの頃、彼の弟のレジナルドがネイション・オブ・イスラムに改宗。初めて彼はネイション・オブ・イスラムの指導者、イライジャ・モハメドの教えに出会うことになりました。

<中締めのお言葉>
「黒人は、白人に抑圧され、剥奪され、自分の人生に対してさえ投げやりになってしまった。その上、まともな仕事にもつけない。黒人の犯罪者は白人社会の罪の象徴なのだ」
マルコムX

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