アスリートの発言に関し私なら「東京五輪の開催可否には何があっても触れない」と書きましたが、これについていくつかのご意見反論をもらっています。私自身は普段選手は大いに発言するべきだと言っていますのでこれと矛盾するではないかというご指摘はおっしゃる通りです。その上でご説明します。
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返信先: さん
まず私の軸は「アスリートを悪者にしない。味方になる」と「社会の分断を埋める」ことに決めました。その軸に沿って判断しています。メディアに近いところにいると今東京五輪開催可否論は数字が取れます。視聴率とPVが取れるということです。一旦ターゲットが定まると次に構図が作られます。
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賛成側と反対側を立てて戦わせるわけです。体裁としては両論併記ですが、これは喧嘩になればなるほど数字が伸びます。取材受けてきた身からすると、私個人の言葉が欲しいものと、すでにある役割がありその役割を演じる人が欲しい場合と二つあります。今賛否論は後者から発言者が選ばれている印象です。
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メディア側に悪意があるわけではなく、これは単純に視聴者が何を面白がるかに影響されています。端的にいえば構図が決まるまでは発言は勝負の枠組みに影響を与えますが、構図が決まってからはどちらが勝つかの加担にしかならないところがあります。
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特に試合前のアスリートは精神的に不安定で、鬱傾向にあるというデータもあります。ですから余計な要素を抱えないというのも一つの戦略だと思います。自分の競技ですから。でも、その上でアスリートが声を上げることは勇気がいることですから尊敬し、また応援します。
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