プレイバック黄金の日日・(51)堺炎上 [終]
慶長5(1600)年10月。
泉州・堺の町は、徳川家康の軍勢によって包囲されます。
その2日前、京の六条河原では
関ヶ原合戦の責任を取って
石田三成、小西行長、安国寺恵瓊が処刑されました。
納屋助左衛門はそのことを知り、堺のキリシタン墓地で
ポロロン、ポロロンと西洋楽器を弾いて
死者の霊を慰めています。
「今度は堺の番でございますね……」
美緒は声を震わせながら助左衛門に尋ねます。
徳川勢に包囲されている今、徳川に味方しない限り
堺との戦になる可能性が非常に高いです。
かといって、今徳川に降伏すれば
堺の町は壊されずに済むでしょうが、
堺の自由は奪われてしまいます。
自由というものは、一度手放せば二度とは手に入りません。
かつて織田信長軍3,000の兵に堺が囲まれたとき
信長には未だ多くの敵が各地に点在し、
堺に支援してくれる多くの大名があったのです。
それが今や、他に頼るべき味方がなく
家康の天下となってしまったこの時代に
堺だけが孤立無援の戦をしなければならない。
そんな状況で、万に一つも勝ち目があるのか?
美緒の望みは、多少の誇りをなくしてでも
もうこれ以上誰にも死んでほしくないんです。
助左衛門にも、小太郎にも、そして宗薫にも。
高山右近が、徳川方の使者として堺に現れました。
助左衛門を伴ってこのまま大坂城に向かい
家康に会わせたいというのです。
大坂城に上った助左衛門は、家康に
以下の2点について突きつけられます。
・堺の港は閉じること
・納屋衆、会合衆の商人たちはそろって江戸へ移転すること
これが聞き入れられない時は、堺はすべて焼き払う。
家康お得意の、無理難題を吹っかけて
どちらに転んでも相手を負かせて主張を貫くというものです。
助左衛門は、自分ひとりでは返答いたしかねると
堺に戻って会合衆に諮ってみることにします。
どうせなくなる身ならば、徳川と存分に戦って消えようというのが
会合衆の大まかな見解であります。
そこで助左衛門は、意見を求められて全員の顔を見渡します。
「堺を、町ごとルソンに移しましょう」
堺とは何かを考えたとき、単なる土地だけの話ではなく
自分たち堺衆と、どこへでも行ける船と、
誰の指図も受けずに自由な商いが出来る場所であり、
これら3つが揃えば、それこそ『堺』であります。
助左衛門とともにルソンに渡るか、
東ノ口の門から出て大坂・江戸へ向かうか、
決めるのは各人の生き方次第──。
「行きましょう!」
「渡りましょう!」
会合衆の面々が続々と立ち上がります。
ただ一人、座したままの小太郎ですが
助左衛門は小太郎を見て、うんうんと頷きます。
海からは無数の船が連日出航し、
東ノ口からも、無数の人や荷車が出て行きます。
今井宗薫は徳川びいきなので江戸に向かうことにしていますが、
小太郎は、母の美緒がルソンに渡りやすいように
美緒の代わりに父に従って江戸に向かうと言い出します。
美緒が「ルソンにお行きなさい」と説得しても
気持ちは揺るがないようです。
美緒は、一生この子の母親でいようと心に決め
宗薫、小太郎とともに江戸に向かうことにしました。
長年、互いに思い続けたふたりの、別れの時です。
もう二度と会うこともないでしょう、と断った上で
助左衛門は、ずっと胸に秘め
絶対に言うまいと心に決めていた言葉を美緒に伝えます。
「今度生まれ変わってくる時には、
手前の女房になってくださいまし」
助左衛門は、最後の船に乗ってルソンに渡るつもりです。
徳川軍が攻め込んでくる前に
堺の始末をつけなければならないのです。
もぬけの殻になった堺の町。
“もう誰もいないか?”と声をかけながら
街中を組まなく探しまわります。
主をなくした柴犬までも連れて行くつもりです(笑)。
「我らは堺を捨てたのではない。持ち去ってゆくのだ!」
松明の火を矢に移し、助左衛門は屋敷に火をかけます。
碇を上げ、助左衛門が乗った最後の船が出港します。
慶長5(1600)年の秋、助左衛門が日本を去ります。
その日、一つの町もまた遠い歴史の彼方へ消えていきます。
戦国動乱の荒波、絢爛豪華な花を咲かせた幻の都、
大航海時代のしぶきを直に浴びて
幾多の冒険児たちを世界の海に誘った自由都市、堺。
その町が今、炎とともに闇の天空に吸い上げられていきます。
船は炎の港を離れ、人々は別れを告げます。
再び甦ることのない故郷の町に過ぎ去った黄金の日日──。
最後の船には、柴犬とともに孤児たちが多数乗り込んでいます。
その孤児の中で、
船の舵を取らせろと言い出す者がいて
助左衛門はたいそう面白がります。
少年の名を聞くと「助左」と言いました。
もしかしたら、この子の親が助左衛門にあやかって
そう名付けたのかもしれません。
ちなみにこの「少年助左」役の藤間照薫さんは
現在の「七代目市川染五郎」さん。
つまり、この時「助左衛門」を演じた「六代目市川染五郎」さん、
現在の「九代目松本幸四郎」さんのお子さまです。
つまり、ここは同シーンの親子共演というわけですね(^ ^)
1973年生まれですので、放映当時は5歳。
現在のお顔から見て、確かにその面影があります(^ ^)
かつて、『黄金の日日』第33回「海賊船」にて
「高砂甚兵衛」役の「八代目松本幸四郎」さんと
「六代目市川染五郎(九代目松本幸四郎)」さんも
同シーンの親子共演を果たしておられましたので、
同一作品での親子三代出演ということになります。
慶長5(1600)年10月 納屋助左衛門 日本を去る
慶長19(1614)年10月 大坂冬の陣
元和元(1615)年4月 大坂夏の陣、豊臣氏滅亡
寛永元(1624)年3月 ルソンとの交易断絶
寛永10(1633)年2月 鎖国令 発布
──完──
原作:城山 三郎
脚本:市川 森一
音楽:池辺 晋一郎
テーマ演奏:NHK交響楽団
指揮:尾高 忠明
演奏:東京コンサーツ
監修:桑田 忠親
語り手:梶原 四郎
殺陣:林 邦史朗
砲術指導:名和 弓雄
考証:磯目 篤郎
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[出演]
市川 染五郎 (助左衛門)
林 隆三 (今井宗薫)
江藤 潤 (小太郎)
小野寺 昭 (小西行長)
鹿賀 丈史 (高山右近)
二見 忠男 (弥次郎)
佐藤 博 (天王寺屋三郎)
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近藤 正臣 (石田三成)
李 礼仙 (お仙)
藤間 照薫 (少年助左)
大竹 修造 (大和屋)
堀 六平 (新屋)
依田 保仁 (水夫)
伊藤 浩一 (水夫)
佐野 房信 (水夫)
山田 光男 (水夫)
東 治幸 (水夫)
小田島 隆 (水夫)
若駒
鳳プロ
早川プロ
劇団いろは
児玉 清 (徳川家康)
神山 繁 (安国寺恵瓊)
藤村 志保 (淀君)
栗原 小巻 (美緒)
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制作:近藤 晋
美術:佐藤 武俊
技術:門 弘
効果:平塚 清
記録・編集:高室 晃三郎
演出:岡本 憙侑
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