石田三成の実像387 「三成と堺」11 「黄金の日日」最終回「堺炎上」2
写真は堺の高須神社の奥を撮ったもので、ここに三成が堺奉行時代に勧請した天白社も祀られています。高須神社は堺の鉄砲鍛冶である芝辻理右衛門が家康に命じられて1609年に大筒を作り、大坂の陣においては500の鉄砲を家康に納めました。それらの功により、芝辻家は高須の地を与えられ、家や鉄砲鍛冶の繁栄を願って稲荷明神を勧請し、高須神社を祀りました。
さて、大河ドラマ「黄金の日日」の最終回ですが、堺衆の移住によって、あれだけ貿易で繁栄を誇った自治都市堺の町は人っ子ひとりいなくなります。ルソン(納屋)助左衛門は家々をめぐりながら、この町に生きたさまざまな人々の姿を思い出します。その後、助左衛門は家康の手にかかる前に、自ら町に火をかけ、堺と決別します。むろん、これは事実ではなく、堺の町を炎上させたのは、大坂夏の陣の際に、豊臣方が行ったことです。
助左衛門が自ら町を燃やすことで、築き上げてきたものを葬る心意気は、商人というより多分に武士的な気がします。こういう演出は堺の栄枯盛衰を劇的に示す意味で効果的ではありますが、史実と違った描き方は批判も少なくないでしょう。さらにドラマでは堺の炎上を見ていた大坂城の淀殿が「堺は自害した。誇り高い潔い最期じゃ。滅びる時はこうありたいものじゃ」と言い、その言葉をそばで聞いていた家康はかすかにうなずくという場面を用意していました。家康は豊臣家もいずれはこうなる、自分がこうしてやると見越していたのかもしれませんし、淀殿も自分の運命を予想していたと云えます。
むろん、堺炎上はさきほども述べたように大坂の陣の時のことであり、こういう淀殿や家康の会話は現実にはありえないのことであり、「黄金の日日」全体が今年の「天地人」と同じように多分に創作的です。しかし、両者とも三成の姿が、細かい点でいろいろと問題は感じるものの、全体的に悪くなく描かれていました。
船で日本を脱出した助左衛門が見ている落日とともに、大河ドラマに出演してきた者たちの姿が次々と画面に映し出されるラストシーンは印象的でした。もっとも、助左衛門がその後どうなったかは何も語られず、字幕で鎖国に至るまでの主な出来事が紹介されるだけで、いささか物足りない気がしました。実際のところ彼がどうなったのかよく分からないだけに、触れようがなかったのかもしれませんし、逆にこういう含みをもたせた終わり方が余韻が残り、伝説上の人になったことをうかがわせて良いとも云えますが。
さて、大河ドラマ「黄金の日日」の最終回ですが、堺衆の移住によって、あれだけ貿易で繁栄を誇った自治都市堺の町は人っ子ひとりいなくなります。ルソン(納屋)助左衛門は家々をめぐりながら、この町に生きたさまざまな人々の姿を思い出します。その後、助左衛門は家康の手にかかる前に、自ら町に火をかけ、堺と決別します。むろん、これは事実ではなく、堺の町を炎上させたのは、大坂夏の陣の際に、豊臣方が行ったことです。
助左衛門が自ら町を燃やすことで、築き上げてきたものを葬る心意気は、商人というより多分に武士的な気がします。こういう演出は堺の栄枯盛衰を劇的に示す意味で効果的ではありますが、史実と違った描き方は批判も少なくないでしょう。さらにドラマでは堺の炎上を見ていた大坂城の淀殿が「堺は自害した。誇り高い潔い最期じゃ。滅びる時はこうありたいものじゃ」と言い、その言葉をそばで聞いていた家康はかすかにうなずくという場面を用意していました。家康は豊臣家もいずれはこうなる、自分がこうしてやると見越していたのかもしれませんし、淀殿も自分の運命を予想していたと云えます。
むろん、堺炎上はさきほども述べたように大坂の陣の時のことであり、こういう淀殿や家康の会話は現実にはありえないのことであり、「黄金の日日」全体が今年の「天地人」と同じように多分に創作的です。しかし、両者とも三成の姿が、細かい点でいろいろと問題は感じるものの、全体的に悪くなく描かれていました。
船で日本を脱出した助左衛門が見ている落日とともに、大河ドラマに出演してきた者たちの姿が次々と画面に映し出されるラストシーンは印象的でした。もっとも、助左衛門がその後どうなったかは何も語られず、字幕で鎖国に至るまでの主な出来事が紹介されるだけで、いささか物足りない気がしました。実際のところ彼がどうなったのかよく分からないだけに、触れようがなかったのかもしれませんし、逆にこういう含みをもたせた終わり方が余韻が残り、伝説上の人になったことをうかがわせて良いとも云えますが。
この記事へのコメント