暗闇に包まれた王都スラム街の道端に、一人の少女が倒れていた。放浪者だろうか、体は薄く汚れており、頬や体は痩せ痩けている。
「こほっ、げほっ。お腹が、お腹が空いたよぉっ」
か細い声で少女は叫ぶが辺りに人の気配はせず、空虚な世界に声だけが掻き消える。
そんな場所に黒のフードを被った少年が現れ、少女に気が付いたのか懐からパンを取り出した。
「そこの君、大丈夫かい? ほら、少ないけどこれをあげるよ」
「! ぇ、あっ……ありがとう、ございます」
少女は躊躇しながらもパンを受け取り、噛み締めるように口を動かした。
「ぅぅっ〜! おいしいっ、美味しいよぉ……ゴックン。ありがとう、優しいお兄ちゃん!」
「気にしないでいいよ。それより、残りは食べないのかい?」
「の、残りは弟たちに……」
ぐうぅ〜〜!
鳴り止まぬ腹音に少女は顔を赤く染めて、腹を抑えた。
「それなら、これも持っていくといいよ、仲良くして食べなよ」
そう言って少年は懐から同じパンを二つ取り出し、少女に渡した。
「えっ、いいの……? わたし、何も持っていなんだよ?」
「気にしないでいいよ。弟たちが待ってるんだよね? 早く行ってあげなよ」
「うん! ありがとう優しいお兄ちゃん!!」
そう言って少女は路地裏に消えていった。
「道に迷ったから次いでに食べ歩きをしようと思ったけど、殆ど無くなっちゃたな。……アルファたち、何処まで行ったんだろう?」
少年は顔を捻り、頭を悩ましていた。
そこに一人の赤髪の女性が近付き、少年の耳元で囁いた。
「貴方、案外優しいのね」
「ひゃっ! だ、誰ですか……!?」
少年は如何にも今気付いたような反応で尻もちを着いた。
「落ち着いて、別に怪しい者ではないわ。説得力はあまりないのだけど……」
少年は怯えるように赤髪の女性を見つめた。
「き、君の名は……?」
「私は……メアリー、皆にそう呼ばれているわ。……貴方は?」
「ぼ、僕はシド・カゲノーです……」
「そう、シド君ね。一先ず、ほら」
メアリーはシドに手を伸ばし、立ち上がらせた。
「あ、ありがとうございます」
「気にしないで。それよりも、貴方はどうして、あの子たちにパンなんて恵んでたの?」
メアリーは興味深そうに瞳を細めた。
「それは、あの子たちが困っていたからとしか……」
「困っていたから、か。それじゃあ、貴方がこんな時間にまで、ここに居るのもあの子たちにパンを?」
「えっ? あ、はいそうです」
「ふふっ、そうなのね。貴方は相当なお人好しなのね」
メアリーは何処か嬉しそうに微笑んだ。
「そうね、貴方みたいな人がもっと居れば……」
メアリーは神妙な面持ちで夜空を見つめた。
月光が彼女の赤髪を美しく煌めかせる。
「メアリーさん? どうかしたんですか?」
「あっ、ごめんなさい。なんでもないのよ。それじゃあ、私はもう行くわ。ありがとう、少しでも可能性を見せてくれて」
そう言ってメアリーは暗闇へ消えようとする。
「待って下さい」
シドは最後の一つであるパンを投げた。
「それ、どうぞ。最後の一つですけど、貴方が食べた方がいい気がして」
「そうなの……うん、美味しい。ありがとう、また会えたら嬉しいわ」
そう言って今度こそメアリーは暗闇の中へと消えていった。
「あのパン、中身がすっからかんだったけど、大丈夫だったかな? あのパン屋、絶対にぼったくりだろう……」
パン屋への不満を告げ、少年も裏路地へと歩みを進めた。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
スラム地区にある建物を中心に幾人もの兵士が警邏を行っていた。その光景は異様で何らかの襲撃に備えているように見えた。
「ふぁ〜、かったりーな。なんで、手が空いた奴から見回りになるんだよ」
「そんな事言っても仕方がないだろう。ほら、口を動かさず仕事を続けろ」
「ちっ、そんな硬いことを言うなよな。別に今日ぐらい警備を固めたって、ここを訪れる奴なんて居ないんだしよ。……うん? おっ! こんな真夜中に中々良さそうな嬢ちゃんが居るじゃねぇか!」
男は周囲を確認して、隙を見て警邏から一時的に抜け出した。
「お〜い〜、そこのお嬢ちゃん! どうしたんだい、こんな真夜中に一人で! 今は危ない時間だぞ。仕方がないから、お兄さんが家まで警護をしてあげようか?」
座っていた少女が顔を見上げる。
みずみずしい緑の髪にそれより少し深い色の瞳をした派手な美少女だ。
「あら、お兄さん。お仕事ほっといて大丈夫なの?」
「そんなの嬢ちゃんが気にしないで良いさ。なんせ、建物の警護より嬢ちゃんの警護の方がよっぽど大事だからなっ!」
「あら、嬉しいことを言ってくれるじゃない。それならお願いするわ」
そう言って男は少女の後を着いていき、路地裏へと入る。
「おいおい、嬢ちゃん? こんな所が嬢ちゃんの帰り道じゃないのは分かってるぜ。俺を誘ってるのかよ?」
「そんなこと──」
男が少女を壁に押しやり、壁にドンと手を付ける。
「分かってるぜぇ? ここなら遠慮しなくても良いんだ」
男は少女の豊かな胸を眺めながら鼻を伸ばした。
「……そ……き……ど……な……い」
「うん? なんって言ってるんだよ?」
「その薄汚い体を退けろと言っているのよッ……!」
刹那、男の首が宙を舞い、血飛沫が路地裏に舞散った。
次の瞬間、少女の髪と瞳が透き通った湖のように戻り、黒いスライムボディスーツを身に纏った。
「あぁんもう最悪! この男から情報を聞き出そうと思ったのに! まさか、主様だけが見ていい、私の寵愛の胸を鼻を伸ばして見てくるなんて! もう本当に最悪! ライム! 後処理!」
少女の掛け声と共に、ライムと呼ばれた一匹のスライムが男の死骸と血痕を全て溶かし、跡形もなく消し去った。
命令を終えたライムは少女の肩に戻った。
“イプシロン、そちらの状況はどうかしら? ”
「きゃっ!」
アルファからの突然の“念話”にイプシロンは変な声を上げる。
“きゃっ? イプシロン……? 大丈夫? ”
“は、はい! こちらイプシロン、問題はありません!! ”
“そう? まあいいわ。全員配置に着いたわね。それじゃあ、合図と共に潜入をするわよ”
イプシロンは羞恥心で赤面するが、敬愛する主様に聞かれていないことに胸を撫で下ろした。
「そう言えば、主様はどうして、真反対の方角へ向かわれたのかしら?」
「キュュ?」
それにライムも追随するように唸る。
「そうだわ! きっと主様には別なお考えがあるのよ! きっとそうに違いないわ!」
「キュウ、キュウ!!」
「きっと私たちが理解できないような聡明な策が──」
その瞬間、目標である建物内から激しい衝撃音が辺りに轟いた。
「ッ……!? 目標から……一体、何が起きたの!?」
その瞬間、アルファからの“念話”がイプシロンに伝わる。
“問題発生! 我々ではない、何者かが目標に攻撃しているわ! イプシロン! 先行して出来る限りの情報を伝えなさい! 他の七陰は待機し、情報を得り次第、随時報告! ”
“りょ、了解! ”
イプシロンは念話を切り、緻密な魔力制御で気配を隠した。
「一体何が起きているのよ!? ライム! 任務の時間よ! 原因を突き止めるわよ!」
「キュウウウ!!」
イプシロンは突然の出来事に困惑しながらも、相棒のスライムと敵地へ乗り込んだ。
ライム
イプシロンが最初に生み出した魔物。性格は主に似ている。隠蔽や物理防御が得意。
君は誰が好きかな?
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アルファ
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ベータ
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デルタ
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ガンマ
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イプシロン
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イータ
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ゼータ