「観光ガイド的には空白地帯。
この地の魅力を知ってほしい」
旅人宿 ゆきのおと
和田智巳さん | 神奈川県出身。「旅は旅に行こうと思った時からはじまっている」がモットーで、計画も旅の楽しみの一部。小学生の時から旅をして、油絵とマンガを描きはじめ、中学からは部活で卓球もはじめたが、高校になるとマンガ「麻雀飛翔伝哭きの竜」の影響で麻雀もするように。2001年宿開業。地元ではルアーで渓流釣りをしていたが、和寒町の川では入れ食いでえさ釣りに路線変更。運転も好きで、今は月に1回、1泊程度の車中泊の旅に出ている。都市伝説好き。 |
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社会人となり、ふとしたタイミングで宿の開業を思い立った時に候補地となったのが、宿のヘルパー時代に気に入っていた場所。その地域にあった廃校舎を利用して宿を開業することに。一般的なガイドブックではほとんど紹介されないエリアだからと、魅力的な場所を積極的に紹介している。近隣の景色のいい場所などをまとめた自作のガイドブックは、現在第12版を発売中。毎日夜に約1.5キロの「夜のお散歩」を実施。毎年2月28日は三浦綾子作「塩狩峠」のモデルとなった人物を悼むイベントを行っている。夕食を希望する人は早めに予約を。「凝ったものをお出しできます!」。
ヘルパー時代に目を付けた
北海道「らしくない」風景の土地へ
―「耳を澄ませば雪の音さえ聞こえるほど静か」ということで、「ゆきのおと」。和寒町の山間部、福原地区で元小学校の校舎を使って宿をされていますが、この地域は一般の旅行者にはあまりなじみのないエリアだと思います。どうしてここで宿を始めようと思ったんですか?
和田
宿の候補地は3か所考えていたんです。第1候補はここ福原。第2候補は幌加内町の政和地区で第3候補は音威子府(おといねっぷ)村でした。
―いずれもひなびた、いい感じの場所ですね。
和田
ひなびてるしマイナーな所。私、マイナーが好きなんで(笑)。
―でもマイナーな場所で宿をやるとお客さんの数もマイナーになってしまう心配があるのでは?
和田
観光地だといろいろなお客さんが来ると思いますけど、観光地じゃない所だとこういう旅人宿の過ごし方を知っている人がほとんど。なのでやりやすいです。
毎夕食に和寒町産をはじめとする道産のトマトジュースが。敷地内で採れるタラの芽、ラクヨウキノコ、近所の川で「竿を下ろして5秒で釣れる」ヤマメが並ぶことも。なんと、夏の間は同じメニューを出さないようにしているそう
―福原エリアのことはどうやって知ったんですか?
和田
学生時代に、ここから車で30分くらいの塩狩にあったユースホステルで働いていたんです。
―そうだったんですね! 塩狩を選んだのは何か理由があったんですか?
和田
当時は宿でヘルパーをやる人が多かったので、私もやってみようかなと思って。北海道地図を開いて目をつぶって適当に指をぽんと置いたら塩狩だったっていう…。
―えー(笑)。北海道に限定して決めたのはなぜなんですか?
和田
地元は相模原で、旅もあちこちに行ってましたけど、北海道は暑くないから。
―はは。
和田
ヘルパーをしていた宿は旅館も併設していて、そっちのスタッフもいたため、ほかの宿みたいに働きづめという感じではなかったんです。
―それはいいですね!
和田
さらに、昼休みには軽トラを借りられたので、このあたりをうろうろしていました。そうしたら結構いい風景があって。それをまとめて作ったのが「塩狩周辺ガイド」です。
―あれ、今も自作の周辺ガイドブックを販売していますよね?
和田
当時の物に情報を付け足したり変更したりして、今12版です。
―すごい!
和田
その時にこの福原エリアが気に入って目をつけていたんです。
―どういう所がいいと思ったんですか?
和田
素朴で、ほかの北海道のエリアにはない360度山に囲まれたミニ盆地の風景ですね。
―北海道と言えばドーンと開けている所が多いかもしれません。
和田
あと福原は昭和53年(1978年)にマイナス41.2度を記録したこともある場所なんです。
―じゃあ寒いということも和田さんにとってはプラスの要因だったんですね。
和田
そうですね。
―ヘルパーはどれくらいされていたんですか?
和田
夏と冬2回ずつくらいだったと思います。夜は自分で作った周辺の地図を使ってギャグを交えて説明したりして。それが大変ウケた。そういうのも宿をはじめるきっかけのひとつですね。
―じゃあ学生時代から宿をやりたいと思っていたんですか?
和田
いや、学生の頃はまず卒業するのが目標ですから。そんな先のことまでは考えていませんでした。
―じゃあ卒業後は…。
和田
普通に就職して働いていました。でもある時、コンピューター手相占いをやってみたら、「一番向いている仕事はサービス業」って出たんです。それでヘルパーの時のことを思い出して、そういえば結構おもしろかったなぁ、北海道で宿でもやるかなって思いはじめたんです。
―はは、占いを結構信じるタイプなんですね。
和田
そうですね(笑)。実は高校時代からマンガ家を目指していたんです。某誌で佳作を取ったこともあります。マンガの単行本の最後に「感想をお寄せください」ってありますよね。私も感想をもらえるようになりたいなと思っていたんですけど単行本を出して感想をもらうようなところまでは行かなかった。ただ大学で漫研に入るとコミティア(創作ジャンルの同人誌即売会)っていうイベントに参加するようになったんです。社会人になってからもそこで同人誌を作って売ったりしているうちに、ある時作品の感想をもらって。それで「あれ、夢かなったんじゃないかな」って。その少し前にコンピュータ占いの件があったんで、次は宿だなって。
―なるほど、いろんなタイミングが重なったんですね。こちらに来たのは何歳ぐらいの時なんですか?
和田さんの作品。宿で読むことができる
和田
29歳、1999年です。
―候補地は3か所あったようですが、福原に絞られたのはいつ頃なんですか
和田
とりあえず北海道に住もうと思った時に福原にアプロ―チしたら、教員住宅が借りられてあっさり来ることができたので(笑)。
―第1候補にあっさり(笑)!
和田
それでとりあえず福原に住んで、宿をするための空き家を見つけようと思っていたんです。私が来た当時、ここの小学校は休校という状態でしたから。
―廃校ではなく。
和田
1995年から休校でした。で住みはじめてしばらくしたら休校から廃校に変わったんです。それで宿として使いたいっていう計画書を役場に出したんですよね。ほかにも何人か計画書を出した人はいたみたいなんですけど、結局私が使えることになったんです。
―それはよかった。
和田
その前の下積みがありまして…ちょうどオウム真理教事件の後でよそから来た人は、オウム真理教信者じゃないかって言われるような感じ。だからなるべく自治会とかに顔を出して町議員の人たちと仲良くなったりして(笑)。
ー大事ですよね(笑)。
和田
2001年の春から改装をはじめて2001年の9月に開業しました。
―元校舎故に大変だったことってありますか?
和田
お風呂がなかったり、トイレが男女一緒だったり。あと、小便器なんかは子ども用だったことですね。
―あはは。
和田
町の人とも知り合いになっていたのでお風呂のユニットバスは町内の精肉店から譲ってもらって、ボイラーは当時の町長の実家からいただきました。
―地域の方と仲良くなっていると、そういう時に助けてもらえますよね。元々教室だったのはどこなんですか?
和田
談話室と女性用相部屋、食堂が元教室。男性用相部屋が元職員室です。
元職員室の男性用相部屋。冬、寝る時は全員に湯たんぽが配られるので、ぽかぽか
―いよいよ開業ですね。最初はどうやって宣伝したんですか?
和田
当時は今よりも旅行者が多くて、まだ口コミが効く時代でしたね。あと、開業してすぐに「とほネットワーク」に入りましたから。
―ユースでヘルパーをされていましたが、「とほ宿」にされたんですね。
和田
ユースは協会の幹部の方から、ユースをやるのはなかなか難しい、と聞いていましたから考えてなかったですね。それに当時旅行していた人たちにとって「とほ宿」は憧れというか、そういう存在だったんです。だからはじめて「とほネットワーク」の総会に出席して宿主の面々が集まってるのを見た時は、大感激しましたよ。あ、あの宿の人だ!って。
―ご自身もいまやその立場ですよ(笑)。
鉄道が醸す旅情に引かれ
小学生時代からひとり旅
―旅行はいつ頃からしていたんですか?
和田
小学校6年生くらいから。
―ひとりで?
和田
そうですね。時刻表を見て旅行計画を立てるのが好きだったんです。よく、「旅は気ままに。行った先で決める」っていう人もいるけど、私はそんなの信じられない。今日決めて今日の昼に出かけるんじゃもったいないって。そんなの旅の楽しさの半分を捨ててますよ(笑)。旅は時刻表で計画を立てる所からはじまってるので。そして明日の今頃は特急に乗ってあの辺にいるのか、とか想像するんです。
ー旅が倍楽しくなりますね。
和田
はじめてのひとり旅では上野から急行の妙高9号で直江津まで行ってそこから越後線に乗り換えて新潟から特急ときで戻ってきました(笑)。
―行き先として新潟を選んだのはなぜなんですか?
和田
寝台列車に乗りたかったから。妙高9号が寝台だったんです。今思えば旧型客車だったのかな。寝台が木でできてて、カーブにさしかかるとギシギシ鳴るのでうるさくて眠れなかったですね。でも旧型客車ですから走行中にデッキの扉を開けることができたんです。
―走行中に!?
和田
長野県に差し掛かるとそこから雪を見たり。
―わくわくしますね~。
和田
電車に乗っている時だけではなく、当時北の玄関口って言われていた上野駅に、前面を真っ白に雪化粧した列車が入ってくると「おーっ」て旅情をかきたてられましたね。
ー渋い小学生ですね…(笑)。和田さんは宿名もそうですけど、もしかして冬がお好きなんですか?
和田
そうですね。お金のことが関係なければ宿も冬のみ営業したいくらい…。冬は1年で1番寒いですけど、1番人が温かい季節ですから。
冬期の宿の入り口はこんな感じ。これでもまだ雪が少ない方だとか。道内屈指の寒さと雪の多さを体験できる
―おぉ。それは実際に旅人と触れ合う中で実感された感じですか?
和田
自分が旅行していてもそう思いましたね。特に冬は親切な人に出会うことが多かったです。
―そうだったんですね。…小学校6年生からそんな旅をされてたわけですね(笑)。
和田
私が思うに、鉄道好きな人は旅行に目覚めるのが早かったんだと思います。小学生とか中学生だと交通手段が鉄道しかないから鉄道に乗って行く。16歳で旅行に目覚めたらバイクに乗れるから、ライダーになるんじゃないですかね。18歳を超えていたら車も選択肢に入ってくるな。
―あ~なるほど。鉄道と言えば、宿にある油絵にも風景や鉄道が描かれていますよね。これはどなたの作品なんですか?
和田
私です。
―え、えー? すごいですね。いつの作品なんですか?
和田
中学時代ですね。
―これを中学生が…。旅先の風景ですか?
和田
これは八戸ですね。
一番手前の物が八戸での景色。ほかにも旅先の風景を表現した油絵が館内に数点飾られている
―写真を撮ってきて?
和田
そうですね。ひとつの絵を仕上げるのに、3、4か月くらい。その間ずっとその場所にいられませんから(笑)。油絵は、乾かさないでそのまま塗っていく方法もあれば、少し描いて乾くのを待ってから上塗りしていく描き方もある。私は乾いてから上塗りするタイプ。だから時間がかかるんですね。
―美術部だったんですか?
和田
中学の部活は卓球部です。小学生の頃に絵画教室に通っていたんです。昔はいくつも習い事に行くのがステイタスみたいな所ありましたから。そろばんやったり、水泳行ったり、書道習ったり。そういうのの一環ですね。だから最初は「行かされた」っていう感じです。でもだんだん楽しくなってきて。その教室をやめた後も自分で描くようになりました。
―マンガはいつ頃から描きはじめたんですか?
和田
小学生くらい。
―じゃあマンガと油絵を同時に描いていたんですね。すごいですね。
和田
そうですか?
―タッチが全然違うので…。
和田
筆とペンっていう道具の違いもありますからね。
―あ~なるほど。絵のテーマはほぼ鉄道ですか? 食堂に風景画のようなものもありましたが。
和田
ありました? …あぁシルエットになってるけど、実はディーゼルカーが描かれています。
―あ、本当だ! じゃあ絵のモチーフは基本的に鉄道だったんですか?
和田
風景の中に鉄道がある感じです。マンガもそうですね。絵の中に鉄道、物語の中に鉄道があるっていうのがいい。だから雑誌で言うと、「鉄道ファン」よりも「レールマガジン」の方が好きですね。
―へ、へ~…。
和田
はは、どっちも鉄道雑誌で「鉄道ファン」はどこどこ鉄道で新型車両ができたとかそういう内容。「レールマガジン」は巻頭に風景の中の鉄道の写真がある。旅情をかきたてる雑誌ですね。
―なるほど、「旅情」がキーワードなんですね。ずっと鉄道で旅をしていたんですか?
和田
大学時代は友達に誘われてバイクで旅をするようになりました。今でいう中型バイクの免許を取って。
―せっかく旅に出るなら鉄道を使いたいなとは思わなかったんですか?
和田
鉄道を使うとやっぱりお金がかかるので。お金がない時はバイクの方がいいですよね。でもツーリング中に休憩する場所はコンビニじゃなくて駅でした。
バイクで旅をしていた時代。夜は無人駅にお世話になることも多く、鉄道とは何かしら関係のある旅をしていた
―あはは。
和田
同じような人がいるんですよ。駅で休憩していると、ライダーなのに、「もうすぐイベント列車が来ますよ」、とか運行事情にやたら詳しい人とかいて。
―はは。宿の中にも鉄道グッズがありますよね。
和田
以前は「鉄分」濃いめの宿って言われてたけど、今は全然。私も最近は車ばっかりなんで、本当に疎くなっちゃいました。それに天塩弥生駅さんができたので。あれにはかなわない(笑)。
「ガイドブックの空白エリア」で
約30年前から魅力を探索
―宿では毎年2月28日にアイスキャンドルイベントを行っていますよね。三浦綾子さんの小説「塩狩峠」のモデルで、この日に列車事故で亡くなった長野政雄さんを偲んで行われるものですが、和田さんが宿を開業する前にはじめられたイベントだとお聞きしました。
和田
働いていた塩狩のユースで、冬の間はペアレントさんがアイスキャンドルを作って宿の前に飾っていたんです。それがだんだんヘルパーの仕事になって、ある年の2月28日、「そう言えば今日は長野政雄さんが殉職された日だからアイスキャンドルを碑の前に持って行って飾るかな」ってペアレントに言ったら、次からイベントとしてやろうって話になって。
―じゃあアイスキャンドルありきでスタートだったわけですね。作品のファンというよりは…(笑)。
和田
ええ(笑)。せっかくだから228個飾るかって。イベントは私がヘルパーを辞めた後もユースホステルがなくなるまで続いていました。で、私が同じ和寒町内で宿をはじめてから、また毎年碑の前でイベントをやるようになったんです。
イベントは長野氏が信仰していたキリスト教のプロテスタント方式で行い、和田さんが牧師役となって進行。皆で賛美歌を歌い、長野氏を偲ぶ
―そうだったんですね。ゆきのおとで「イベント」はアイスキャンドルイベントだけですけど、ほかにも毎日夜お散歩をしたり、外風呂があったり、冬はワカサギ釣りをしたり、名もなきイベントがたくさんある宿だなと私は思っています。
和田
繁忙期は難しいんですけど、少しお客さんの減る秋はいろいろできますね。だからその時期を狙って来る人もいます。
―そうでしょうね。夜のお散歩は1年を通じて毎晩行ってるんですよね。晴れると星空がすごくきれいで、夏はホタルも見られるとか。コースは毎回同じですか?
和田
コースはだいたい同じですね。1500mほど。健脚な方向けに2500mコースも用意していて、昨日1500m歩いたから今日は2500m歩こうかなっていうことはありますね。ここは、稚内方面への中継地的な感じで泊まるお客さんが多いんです。だから福原を歩いてほしいっていう意図で、開業してすぐにはじめました。ホタルや星を見るっていうのは後から。
―そうだったんですね。
和田
福原のミニ盆地の感じを少しでも知ってほしいんです。夜は旭川の街明かりで背後から照らされて、山はシルエットで見えるんです。霧がかかっているときは幻想的でいいですよ。
―和田さんはこのあたりできれいな風景を見つけると名前を付けるそうですね。
和田
一般的なガイドブックではここは白紙の地域ですから。行きたくなるような名前を付けようと思って。自分で作っている「塩狩周辺ガイド」に載せている所は自分で名前をつけました。
―例えば、どんな所なんですか?
和田
「ポルテの丘」や「川西スカイライン」、「第三送電線の丘」とか。ほか、士別の温根別ダム湖もおすすめです。秋になると水を抜くので、通常は湖底に沈んでいる元の町の橋とかが出てくるんですよね。
―湖底! それは見てみたい! この畑の中にポツンと建つ神社も写真映えしそう。
和田
そこ、うちでは「離れ神社」って呼んでます。写真映えする所もたくさんありますよ。
ーでも、塩狩周辺ガイドではイラストで紹介しているんですね。和田さんが絵を描くのが得意だからですか?
和田
写真を載せちゃうと、こちらに来なくてもどんな所かわかっちゃう。イラストだったらどんな所か実際に来てみないと分からないですからね。
和田さんが編集している「塩狩周辺ガイド」。現在第12版を発売中(500円)
―なるほど。最初にガイドブックを作ってから30年近く経つと思いますが、まだあるんですね、新しい所。
和田
そうですね。
―発掘する労力も大変だと思いますが…。
和田
だって私は好きでここにいますから。
―そうか、なんと言っても第1候補の所ですもんね。
2019.12.24