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日本は占領期に何をされたのか
70年前の連合国軍が、わが国の国会に乗り込んできたような光景だった。今年5月、野党がポツダム宣言を振りかざし、首相の歴史認識を問いただした場面である。彼らには先の大戦で敗れた日本人の気持ちが通じないのか。占領期の日本の現実を知れば、彼らの無知、妄言ぶりがよく分かる。
70年前の連合国軍が、わが国の国会に乗り込んできたような光景だった。今年5月、野党がポツダム宣言を振りかざし、首相の歴史認識を問いただした場面である。彼らには先の大戦で敗れた日本人の気持ちが通じないのか。占領期の日本の現実を知れば、彼らの無知、妄言ぶりがよく分かる。
小島新一のズバリ正論
70年前の連合国軍が甦ってわが国の国会に乗り込んできたかのような光景ではなかったか。今年5月から6月にかけての国会質疑で、野党の幹部がポツダム宣言を振りかざして安倍晋三首相の歴史認識を問う場面が相次いだことだ。5月20日の党首討論では、共産党の志位和夫委員長が「総理は、ポツダム宣言のこの認識をお認めにならないんですか」と安倍晋三首相に繰り返し迫った。6月1日の衆院平和安全特別委では、民主党の細野豪志政調会長が「日本が国策を誤り、その責任が戦争指導者にあったという、この基本的な認識は、ずっと日本が守ってきたところですね。(中略)総理はしっかりと、そうだということを前提にポツダム宣言を受け取られておられるか」と質したのである。
ポツダム宣言とは言うまでもなく、1945年(昭和20年)7月26日、米・英・中(中華民国)三カ国の元首名で出された、日本に対する降伏要求文書である。日本は同年8月15日にポツダム宣言の受諾を発表して実質的に終戦に至ったのだが、この間には広島と長崎に原爆が投下され、ソ連が日ソ中立条約に違反して満州や朝鮮半島に侵攻した。そこで無辜の人たちがみた地獄はここで繰り返すまでもない。すでに継戦能力を喪い、敗北必至だった日本の国民に対する、なぶり殺しと言うしかない仕打ちだった。
そんな中で日本に迫られたのが、ポツダム宣言の受諾である。そこで、ポツダム宣言を正義の御旗のように振りかざした先の2人に問いたい。「ポツダム宣言受諾、そして敗戦にあたっての当時の人たちの口惜しさを共有できないのですか」と。この際、ポツダム宣言の内容や、あの戦争にいたった日本の国策が誤りだったかどうかといった歴史認識の問題は脇に置いておく(日本の戦争は「世界征服のためだった」と規定した同宣言第6条を持ち出した志位委員長の質疑のおかしさは、阿比留瑠比・産経新聞政治部編集委員の「極言御免」を参照してほしい)。だが、戦争に負けて口惜しい思いをしなかった当時の日本人が果たしてどれだけいたのだろうか。そのことを考えると、この2人のポツダム宣言の持ち上げぶりが異様に思えるのだ。
志位氏は、日本の敗戦に「共産革命の好機到来だ」と喝采したであろう当時の日本共産党の由緒正しき後継者である。ポツダム宣言を神託のように扱うのは当然かもしれない。だが、細野氏はどうなのか。細野氏の名誉のために言っておけば、このときのやりとりではポツダム宣言の第6条の問題点にも確かに触れている。だが、連合国軍よろしくポツダム宣言自体を取り上げることに、躊躇はなかったのか。一時は日本国の大臣の重責まで担いながら、卑屈さを感じることもなかったのだろうか。なんの迷いもなかったとしたら、その感覚はまったく理解できない。
さらに、志位氏の質疑は、5月22日の朝日新聞「天声人語」が取り上げ、「ポツダム宣言は戦後秩序の一つだ」などとして志位氏を評価している。ポツダム宣言を持ち上げるのが細野氏一人の問題ではないことは確かなようだ。
なぜ細野氏や朝日新聞のように当時の「口惜しさ」を共有できない人たちがいるのか。今回のテーマ「日本は占領期に何をされたのか」では、そんなことにも思いを馳せていただけたら幸いだ。
追記:原爆をどうしても日本に投下したかったアメリカのトルーマン政権が、ポツダム宣言の案文から「『天皇』存置条項」を削除して当時の日本が受諾し難い内容にしていたことを、有馬哲夫・早稲田大学教授が明らかにしています。その一部は発売中の正論2015年10月号の有馬教授の論文「原爆投下を正当化するのか NHK歴史番組の病理2」で紹介されていますので、ご参照ください。(月刊『正論』編集長)
「国体」をつくりかえる
新たに発見された検閲規制
戦前の大家族を解体せよ
はめ込まれた義眼
文芸評論家の江藤淳氏は『閉ざされた言語空間』(文藝春秋)で、占領軍検閲によって戦後の日本人は自分の生きた目をえぐり取られて「占領軍の目」という義眼をはめ込まれたと指摘している。この義眼が戦後70年たった今もなお、日本のジャーナリズム、言論界、教育界を動かし、「慰安婦」と「南京虐殺」をめぐる対日非難の国際的包囲網の中で、日本国民と日本政府をおびえさせている。
戦後の朝日新聞の変節が、見事にそのことを示している。
終戦の日、1945(昭和20)年8月15日の朝日新聞は「玉砂利握りしめつつ宮殿を拝しただ涙」(一記者謹記)と題する記事で、天皇を「大君」「聖上」と表現し、「英霊よ許せ」「天皇陛下に申し訳ありません」と強調した。
翌日も「一記者謹記」として、皇居前広場の光景をこう伝えた。
「広場の柵をつかまえ泣き叫んでいる少女があった。日本人である。みんな日本人である。…大御心を奉戴し、苦難の生活に突進せんとする民草の声である。日本民族は敗れはしなかった」
朝日新聞の論調が一変したのは、米国の原爆投下は「国際法違反、戦争犯罪である」と批判した鳩山一郎氏(=後の首相)の談話(同年9月15日)と、米兵の犯罪を批判した解説記事(同17日)が、GHQ(連合国軍総司令部)の逆鱗に触れて、発行停止処分を受けたからである。
GHQはすぐ、「連合国や連合国軍への批判」「ナショナリズムの宣伝」など、30項目の禁止事項を厳格に列記した「プレス・コード」を通達し、露骨な言論統制を始めた。その背景には、日本人に戦争についての罪悪感を植えつけるための情報宣伝計画「ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム」(WGIP)があった。
朝日新聞社の出版局長が48(昭和23)年9月の社報で、部下に警告した次の文章には「自己検閲」という言葉が2回使われている。
「事後検閲は形式的に無検閲のように見えるが、実質的には自己検閲ということになったわけだ。自分の心に自分の呼び鈴をつけて、いつの世にも個人の自由に一定の限度のある事実を明記する必要があろう…各自の心に検閲制度を設けることを忘れるならば、人災は忽ちにして至るであろう。事後検閲は考えようによれば、自己検閲に他ならぬわけである」
WGIPによってはめ込まれた義眼が、戦後の日本人に深く浸透し、いまなお拘束し続けているのである。(明星大学教授・高橋史朗zakzak 2015.06.17)
「愛国心」排除
果敢に抵抗した日本政府
日米は同盟、未来志向で行こうぜ
ハ~イ! みなさん。今年の「テキサス親父ジャパンツアー2015」も無事に終わったぜ。日本を代表する識者の方々と語り合えたうえ、問題意識を同じくする友人と再開し、新しい友達もたくさんできた。本当にうれしく思う。みなさん、ありがとう。
最終の東京講演会(18日)では、保守論壇の重鎮である、上智大学の渡部昇一名誉教授と対談した。渡部先生の話で印象的だったのは、連合国軍総司令部(GHQ)のダグラス・マッカーサー最高司令官が、退任後の1951年5月3日、米上院軍事外交合同委員会で証言した内容だ。
俺も、マッカーサー証言については、少し聞いたことがあった。渡部先生の話を聞いて、もう一度、調べてみた。すると、マッカーサー元帥は同委員会で、先の大戦について「Their purpose, therefore, in going to war was largely dictated by security(=日本が戦争に突入したのは、主に自衛の必要に駆られてのことだった)」と証言していた。
マッカーサー元帥については、今回のジャパンツアーでも、日本人に戦争についての罪悪感を植えつけるための情報宣伝計画「ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム(WGIP)」を主導したことへの厳しい批判が、参加者から寄せられた。
WGIPについては、友人で弁護士のケント・ギルバート氏も『まだGHQの洗脳に縛られている日本人』(PHP研究所)という本を書いて、「戦後70年、日本人は洗脳に縛られている」「今こそ日本人としての『愛国心』と『誇り』を取り戻してほしい」と訴えている。俺も同感だ。
そんなWGIPを主導したマッカーサー元帥が、米国による経済封鎖を指摘しながら、日本と日本人の「戦争での悪意」を否定するような証言をしていたわけだ。日本人が自虐史観から目覚める助けになると思う。
今回のツアーでは、WGIPには怒りを感じる参加者が大半だったが、この証言については称賛する声も多かった。日本でのマッカーサー元帥についての評価は、大きく分けて2つあるといえる。
歴史的事象に対する調査や研究、議論を続けることは重要であり、知的刺激にもなる。俺も賛同したい。
ただ、それを特定のアジア諸国のように、政治や外交の駆け引き材料にすることは止めるべきだ。日米両国は素晴らしい同盟関係を壊さないようにしてほしい。世界の平和と安定のためにも、成熟した国家同士として、あくまで未来志向で行くべきだ。(「痛快!テキサス親父」ZAKZAK 2015.7.24)