トップページ > 津嶋神社縁起
瀬戸内海に浮かぶ、こどもの守り神
風光明媚な四国香川県多度津町の海岸寺から詫間町の松崎にかけての海岸線。
津嶋神社は、このひときわ美しい瀬戸内海の海上に浮かぶ小島に祀られています。
江戸時代から子供の健康と成長の守り神として信仰が厚く、日本全国から家族連れの参拝者が多く訪れます。
特に毎年8月4、5日の夏季例大祭の参拝者は、のべ10万人を超えます。
津嶋神社のある島は、沖合い250mに浮かぶ周囲132mの小島で、ウバメガシが島の岩にしっかりと根をおろし、生い茂り、島の周囲は季節風や波に洗われ奇岩が連なっています。
そんな小島に、素盞鳴命(すさのおのみこと)を祀る本殿、幣殿、拝殿、神饌殿、社務所、守札授与所がありますが、この島へ渡れるのは年に一度、前述した夏季例大祭の時だけです。
牛馬守護の神、そして全国でも珍しい小児守護の神
こどもの神である津嶋神社は、全国的にも珍しいとされています。
文禄年間の6月から8月にかけて、この浦に女のうたう声が聞こえ、その声を村の人は怪しみたずねてみました。何も見当たりませんでしたが、巫女に託して「我は海中に住む神。名は津嶋神という。今よりこの島に祭るべし。祠など造る必要は無い。何よりまず、木を植えるべし。それが我神体なり。さすれば、村の子供、牛馬を病から守るなり。」というご神託がありました。 里の人たちは早速、鳥居をたてて島に祭り、以降旧暦の6月24、25日の両日に祭りごとを営みました。これが、現在の夏季大祭の始まりとされています。(昭和45年に、こどもの夏休みにあわせて旧暦から今の8月4日、5日に改められました)
津嶋神社は別名「牛頭天王(ごずてんのう)」とも呼ばれています。
ある年、牛馬の病気が大流行して、大見村でも200頭以上の牛馬が死んでしまいましたが、この里では一頭の牛馬も病気になりませんでした。
牛馬の疫病を封じたこれより、家族と一緒に牛を連れて多くの参拝者がおとずれるようになり、無病息災を祈願した津嶋神社の赤いのぼりが農家の牛小屋の出入り口に祭られるようになりました。
近年は農作業の機械化に伴い牛の飼育農家も減り、赤いのぼりを立てた風景はすっかり姿を消してしまいましたが、のぼりを模ったお守りは、今も地元の人々をはじめ多くの参拝者から信仰を集めています。
二代目安藤広重の浮世絵にも描かれた津嶋神社
宝永3年(1706年)に本殿を造営した津嶋神社ですが、浮世絵師二代目安藤広重は、緑樹に覆われ穏やかな瀬戸内海に映るこの島のさまに感動して、景勝「津嶋さん」を幕末に描き、全国的に「津嶋さん」が一躍有名になりました。
こどもの守り神として全国的な信仰をあつめる
大正時代になると「こどもの守り神」として、地元の住民を中心とした厚い信仰を集めるようになり、その厚い信仰は徐々に日本全国へと広がっていきました。
大正4年には、四国の鉄道で初めて「津島ノ宮」臨時駅が認可され、夏季大祭の期間中だけ開設されるようになり、現在も続いています。
大正14年に守札授興所を新築し、昭和8年には当時の大見村村長倉田彌治郎氏を発起人として、海岸から島までの渡り橋(津島橋)が架けられました。
その後自然災害の被害などもあり、現在の渡り橋は4代目の渡り橋になります。
ちなみに、橋が架かるまでは島へは船で参拝するのが通常でした。
昭和27年、「津島神社」から「津嶋神社」に改名し、昭和43年には「新さぬき百景」に選定、平成4年に大規模な本殿・弊殿・拝殿の修復工事を行い、平成15年には「四国のみずべ88ヶ所」にも選定されました。
時代の変化に伴い、島一帯の海岸線で参拝する家族連れがのんびりと海水浴を楽しむ姿こそ少なくなりましたが、津嶋神社の夏季大祭の賑わいは夜店や花火大会も加わり、全国各地から参拝するこども達の嬉々とした声と共に年々盛大になってきています。
トピックス
2012年9月29日 津嶋神社が舞台のNHKラジオドラマ「海を渡る日」が放送されました。