まろかれ@furunomitama·2時間私の修行は十代半ばまでは武術が中心で身体を作ってから徐々に仙道や祝詞奏上や読経や真言念誦などを行っていた 二十歳前から古神道の修行を段階的に初め、二十代半ばで古神道系の教派神道の神職資格を取った その頃に徐々に神仙道へ導かれた 最初はなぜ神仙道なのだろうかと思ったが人それぞれの縁だ1660
まろかれ@furunomitama·1時間神仙道自体が神道と違いがあるわけではないので、神道の中の密教的なものとして理解するとわかりやすいだろうか 神仙道は決して宗教にはならないし、民衆に伝えていくようなものでもない 縁のある者が望むと望まざるも自然とそうなっていく感じでしかない これは得度するための仏縁と同じだと思う1231
まろかれ@furunomitama·1時間神仙道と言っても色んな考え方があり、どれが正解という事はできないが基本は仙侠ドラマでいう「修真」つまり生きながらに神となることを目指すこと 大それたことと思うかも知れないが、仏教も生きながら人が仏を目指す即身成仏もあるし、仏を目指さない仏教がないのと同じだろう 神仙は「かみ」と読む1224
まろかれ@furunomitama·1時間あえて言えば 普通の神道は神と人が親子あるいは先祖と子孫と考えるが 神仙道は神(神仙)と人が師弟になると考える だから生まれ持っての血縁やカルマなどを超越することになる これも仏教で出家得度すれば出自や家柄や職業や貴賤を超越するのと同じだ(実際は別として)1122
まろかれ@furunomitama返信先: @furunomitamaさん神仙道の弟子をなかなか取らないのも 弟子志望が百人来ても一人残るかどうか せいぜい千人に一人だと古来から伝わっている だから数回あっただけ、あるいは一度もあったこともないのに勝手に弟子になったつもりの人には、君は誰?という感じでしかない 十年黙って修行したら見込みがあるよねの世界午前9:33 · 2021年5月15日·Twitter Web App19 件のいいね
まろかれ@furunomitama·1時間返信先: @furunomitamaさん古来から 道を授けるべき人を得たならば必ず授けよう 授けるべきでない人にこれを伝えれば必ず災禍を受けることになる 伝えるべき人を得て伝えないのもまた災禍を受けることになる 私の伝える道の秘要を学びたい者は神仙の教えの書物を学びなさい 書物を学び尽くした者には必ず授けよう と伝わっている324
まろかれ@furunomitama·1時間自分が道を伝えられるべき器かどうか自問自答して あるいは自然と伝えられるべき流れが目の前に現れるかどうか もしくは人生をかけてそれを学ぼうと辛苦するならば そういう神ながらの心があれば、その人にふさわしい道は必ず開かれるはずだ それが何であれ その人にはそれが最上の道である18