目次
前回までで基本的な和音の連結についてはさらいました。本来はこのあとメジャーセブンス、マイナーセブンスコードの連結だとか、マイナーキーにおける細かい連結だとかを扱うわけですが、そういったディテール部分は、「古典派理論体験ツアー」であるこの章では省略します。
「古典派っぽい楽曲を作れるようになる」というこの章の目的を果たすためにより重要なのが、転調に関する技法です。IV章ではポップスにおける転調技法を学びましたが、あれは非常にポップスに特化した説明で、クラシックでの転調スタイルというのはまた違います。間違っても「ラスサビで半音上げ転調して盛り上げる」なんてことはないわけですからね。
ですので、簡素ではありますが、ポップスと異なる部分に焦点をあて、「クラシックらしい優雅な転調」というものが出来るようにかいつまんでいこうと思います。
#1 属七和音を用いた転調
古典派理論において転調の原動力となる1つめのコードが、属七和音、つまりドミナントセブンスコードです。この点に関しては、VI章で紹介しているジャズ理論と通じるところがあります。
属七和音は、各調に固有な存在です。例えばCの三和音は、Cメジャーキーだけでなく、FやGのキーでもダイアトニックコードの一員であって、Cメジャーキーだけの占有物ではない。それに対してG7は、Cメジャーキー以外のどこにも所属していません。G7が帰るべき場所は、(Cマイナーという“鏡の世界”を除けば)Cメジャーしかないのです。ドミナントセブンスコードは、進むべき道を示してくれるコンパスであると言えます。
特にクラシックでは、I7を用いて下属調へ、II7を用いて属調へという、二次ドミナントを用いた調号±1の転調がたびたび用いられます。
転回形を用いた転調
だからといって、ただ単にC→C7→Fと進んでいくのはちょっと芸がない。
そこで活用されるのが、やはり転回形です。転回形を用いて、ベースラインを順次進行に抑えたまま転調をすると、それだけでグッとクラシックらしい優雅なモーションになります。
前回やったばかりの「第三転回形」を活用することで、流麗な転調が行えます!
そしてC7はもうひとつ、“闇の世界”であるFマイナーキーへの門でもありますから、どちらへ解決するかは完全に任意で選択可能です。
いかにもクラシック、という感じがしますよね。転回形の使い方にあんなにこだわったのは、こういう転調を美しく行うためという目的もあったということです。
同じことは、属調への転調でも可能です。
転回の仕方は三転だけに限らないでしょう。いずれにせよ、転回形を使いこなすことで、バスを順次進行したまま実に様々な表情を演出することができるというのがポイントです。
実例
- ベートーベン ピアノソナタ第8番 “悲愴” Op.13 第1楽章
- 音声プレーヤー
こちらは「悲愴」の第1楽章の再現部からの抜粋。めちゃ高速ですが、バスが順次でズンズン下行していっていること、転調が発生していることはなんとなく分かるかと思います。
ちょっと長すぎるので、楽譜は冒頭だけ。でもここだけでも面白くって、はじまりこそCマイナーですが、そのあとすぐD♭音を突っ込んで、アッという間にFマイナーキーへ転調してしまうんですね。これは「属九和音・三転・根音省略」です。ひとつひとつの技法は簡単なものですが、3つ組み合わせることで面白い和音に仕上がっています。「シンプルな発想のコンビネーションで面白いものを作る」。この点に関しても、実はジャズ系理論と通じるものがあります。
#2 減七和音を用いた転調
もうひとつクラシック風転調のカギを握るのが減七和音、すなわちディミニッシュセブンスコードです。
減七和音は第一義的には、「短調の属九和音の根音省略」であるとされます。Cマイナーキーでいうなら、「G-B(♮)-D-F-A♭」と9thまで積んで、ルートを抜けばdim7が出来上がると。長調においても、これを「同主調借用」で導入できます。
その由来ゆえ、原則的な進行先は半音上のマイナーコード、もしくはメジャーコードです。Bdim7なら、ターゲットはCmかCということ。
そして、「すべての音が短3度の均等な感覚で並んでいる」という特性から、どれだけ転回してもコードの姿がdim7のまま変わらないという極めて重要な特質を持っています。ただし上譜のように、異名同音の綴り方は異なりますが。この特質は本当に重要で、というのも、先述のとおりクラシック風転調のカギが転回にあるからです。
減七でトライトーン転調
例えばこのCマイナーキーの固有dim7である「シ-レ-ファ-ラ♭」を「三転」にして、ファをバスに置いたとします。1 これをそのままCマイナーキーのdim7と見てもよいですが、異名同音の見方を変えればF♯マイナーキーのdim7とも言えるわけです。
どちらとみなすかで、ターゲットとなる進行先が変わります。
このようにして、CマイナーキーからF♯マイナーキーという、遠く離れたトライトーン転調を自然に行うことができます。このような異名同音を利用した転調は、そのまんまエンハーモニック転調Enharmonic Modulationと呼ばれます。この転調の魅力は、フラットをシャープ、シャープをフラットに読み替えるため、ガラッと調号の異なるキーへと移動できるところです。
異名同音をタイする
エンハーモニック転調のさなかでは、音を伸ばしている間に異名同音がすり替わるという面白い形も当然あり得ます。
楽譜ではこうやって、「A♭とG♯をタイで繋ぐ」という奇妙な姿になります。結果としては短3度下転調なので珍しくもないですが、プロセスにこそ転調の美学があると思います。
今回の例では、「二転の根音省略」となった属九が、ルートがキーのII度ということでどことなくIIの和音と似ている。そこで後続にホンモノのV7を置くという形をとってみました。バスだけ見るとトゥー・ファイヴ・ワンになっているので、やけに聴きやすさがありますね。「すぐ直後に解決しなくてもいい」わけです。それこそ減七の後に属七の三転、それでさらに転調…とか、応用パターンは色々と考えられます。
#3 増三和音を用いた転調
ディミニッシュほどの確たる地位は獲得していませんが、増三和音、すなわちオーグメントもまた、ディミニッシュと同じ「転回しても形が変わらない」性質を持っているため、エンハーモニック転調に利用できます。
12音を「短3度間隔で4等分割」したのがディミニッシュセブンス、「長3度間隔で3等分割」したのがオーグメントトライアドです。
オーグメントはそもそもの登場頻度が低いのですが、ナチュラルマイナーではない導音アリの短音階でIII度から和音を作ると、オーグメントになります。特にこれを「一転」にした形でIVやVIの和音に進むというような形が一応、定型のひとつとして存在しています。
この場合、「ミ♭-ソ-シ」の三音。CマイナーキーというコンテクストにおいてはもちろんB(♮)が導音ですが、転回・読み替えをすることで誰しもが導音になり得ます。
今回はE♭とD♯の読み替えがカギになっています。1-2小節目では、オーグメントとして現れた「G-B-E♭」のE♭をD♯に読み替え、それを導音とみなしてスッと半音上行、そして他は微動だにせず保留。そうすると「G-B-E」というEマイナーキーのトニック一転が完成します。
3小節目でも同じ技を使うのですが、行き先はEmではなくEΔ7で、一気にシャープいっぱいのG♯マイナーキーに着地して終わるという寸法になっています。
斜行で和音の先取
とはいえ、長3度の転調というのは根本的にショッキングさがあります。それを和らげるために上の例では、ソプラノが他と違い2,4拍目で動いて次の音を取っています。つまり、四声全員がいっぺんに次の和音へ移行するとどうしても断絶感が生じやすいため、声部がタイミングをずらして斜行することで、変化をグラデーション状に見せるというテクニックなのです。
いわば合唱や吹奏楽でいうカンニングブレス(全員が同時に息継ぎをすると音が途切れちゃうから、タイミングをずらして息継ぎをする技)と似た考え方ですね。こういうアイデアは、和音をまとめてひとつのブロックとみなす「コード理論」だとどうしても抜け落ちやすい発想であることを意識し、ふだんから注意しておくとよいです。
ジャズには頻繁な転調をするイメージがあると思うのですが、クラシックも意外と転調を頻繁に活用するジャンルです。しかし、その転調のやり方についてはずいぶん方向性が異なっていて、それが面白いところです。
あくまでザックリした対比にすぎませんが、それでもこうやって対置させることで頭の中で理論系の整理やスイッチ切替がしやすくなるはずです。そして、こうした音楽観の差が音楽理論のシステムに影響を与えている──「転回形」や「根音省略」を多用するからこそ特別な記号を用意しているなど──という認識もまた、相対的な理論観を獲得するうえで重要です。
まとめ
- 転回形を用いることにより、なめらかなバスを保ったまま転調が可能です。
- dim7やaugは、その特質から、異名同音をすり替えることによる「エンハーモニック転調」に利用できます。基本的に前者は短3度間隔の転調、後者は長3度間隔の転調になります。