カール・ヒルティの生命存続の思想
「来世を信じるか否かの一点によって、われわれの人生哲学の全体が左右されるのである」
あらゆる疑問と謎とに満ちた現世の生活に、道理ある解決を与えるものは、ただ死後の生命存続の思想である。それをひとたび固く信ずるようになると、全存在の一部にすぎないこの短い期間中に経験する楽しみや苦しみが、ほんのちょっぴり多かろうと少なかろうと、そんなことは直にどうでもよくなってくる。前には重大であった多くのことが、まるで抜け殻のようにわれわれから脱け落ちてしまう。
このような生命存続の思想なしに、現在あるがままの不正や苦悩や情熱にみちた現世だけについて、正義と全能の神を信じようとしても、それはもともと全く不可能なことである。だから、来世を信じるか否かの一点によって、われわれの人生哲学の全体が左右されるのである。 カール・ヒルティ
幸福論 第2巻(岩波文庫) 「超越的希望」から
ヒルティは、熱心なキリスト教信者だった。聖書を「まさに食らうべきもの」と表現する文章に共鳴していた。ただ、教会活動に熱心なのではなく、聖書の原典にあたる人だった。そして、特に聖書の「イエス・キリスト」が発言した部分を重要視していた。その他は長い歴史の過程で変わってしまっている可能性があることに気づいていたのかもしれない。
そういう意味では、聖書のみをたのみとしたマルチン・ルターや、日本の無教会主義キリスト教の内村鑑三に少し似ているところがあると思うのは私だけだろうか。
そして、聖書に出てくる、百卒長のコルネリオを実際の人物としては、信仰の手本のように記述していた記憶もある。
イエスご自身も、「イスラエルでこれほどの信仰を見たことがない」と言わしめた人物である。大佐などのコロネルの語源は、このコルネリオからきているのではないだろうか。
キリスト教は、仏教と違い、転生輪廻や生命の永遠性の思想は、あまりないと言われている。実際は、「我は、アブラハムが生まれる前からあるなり」、とか、ほかにもそれを示唆するイエス自身の表現はあるのだが、転生輪廻や生命の永遠性の思想とまでには、定着しなかったといったほうがいいのかもしれない。
人生の苦難を経るうちに、生命の永遠性を確信するようになっていった過程で、聖書のほかにダンテの「神曲」は、ヒルティにとって、重要な書物であったことは、上記の文書からもうかがえる。私自身も、学生時代には、情報としてとらえていたこの部分が、今は、確信になっていると言っても過言ではない。この文章によって、からし種ひとつでも、学生時代に蒔いておけて感謝していると言ってもいい。
最近は、「人は、生まれ変わる」とか、「人は死なない」とか、船井幸雄さんとか、東大病院の先生とか渡部昇一さんもそういう本を出版されている。「オーラの泉」なんていう番組も確か土曜日のゴールデンタイムにやっていて、結構視聴率をとっていた記憶もある。
30年前よりも、ずっと生命存続の思想、魂の永遠性、生まれ変わりが、常識化してきていると思われるのだ。スピリチュアル系の本などでもそうだろう。
かつては、「前世」や「生まれ変わり」などというと、まゆをひそめられるような時代もあったと思うが、今や普通に「前世」生まれ変わりという表現が、バラエティ番組にも出てきて、違和感がなくなっている。芸能人のほうが、かえって一般人よりも、こういう方面には敏感なような気もする。
話を戻すが、ヒルティは、ダンテの「神曲」を座右の書にしていた。「神曲」には、あの世のことが、ふんだんに書かれている。スウェーデンボルグの著書を、ヒルティが読んだ記録はなかったと思う。多分どこにも記載されていなかったので、翻訳されて出版されていなかったか、出会わなかったかのどちらかであろう。キリスト教的には、ダンテやスウェーデンボルグは、聖書に付け加えて、あの世のことを詳細に記述し、著したことになる。
学生時代には、幸福論第1巻の「仕事と習慣」や、とにかくとりかかること、最初のひとくわを打ち入れることが、とかくおっくうなので、とにかく最初にひとくわを入れることが大切、という表現が大いに学びになったものだ。
弁護士からベルン大学教授、学長、下院議員や陸軍法務官などを歴任してきた、ヒルティの実務能力と仕事の経験からくる珠玉の知恵が詰まった本だった。第1巻は、学生時代に読んでおいてとてもためになった。良い習慣がいかに大切か、とか早起きの大切さとか。
ヒルティは、夜10時には寝て、朝は、5時頃には起きていたようだ。大学の講義でも早朝が好みだったようだ。
そして、ヒルティの膨大な論文のテーマは、一言で言ってしまうと「仕事と愛」になるのではないかと思う。もちろん、一言などでは言えないことが前提で、強いて一言で言えば、ではあるが。
ヒルティの臨終に際には、机の上に、「永遠の平和」という論文が完成していたという。
そして、長年にわたり、スイス連邦政治年鑑を書き上げていたという。これほど広い範囲の書き物ができる人物は、ヒルティ以外にはおらず、ようやく引き継いだ人は、ブルクハルトだったと聞いている。
晩年のヒルティは、彼の死後勃発する、第1次世界大戦などを予想していたと思われ、1900年代の後半になって、ようやく平和な時代の幕開けが来る、などと記述していたが、果たしてその通りになっていると思う。
ハーグの世界会議などにも参加して、世界平和への理想を追求している。スイスのジュネーブにあるヨーロッパの国連なども、ヒルティの理想が形になったものと言えないことはないのではないだろうか。
幸福論の第2巻、第3巻は、年を経るごとに書かれているので、より、深みを増したり、宗教的教養がより深くなっている感じを受けたものだ。ただ、2巻も、あるいは3巻も最初に学生時代に読んでおいて、本当によかったと思っている。「人間知について」とか、「超越的希望」とか、「高貴な魂」とか、とにかく格調が高いのだ。
純粋な学生時代には、もってこいの著作だったのだ。
その後、年を経てからも、読み返していたが、年を経てからは、2巻、そして3巻を読み直す頻度が増えていったものだ。
以下は、若いころ、幸福論(岩波文庫)から抜粋して手帳に貼り付けていた部分である。
たしか、「高貴な魂」という章からの抜粋だったかと思う。
だから、若い読者よ、あるいは、これまで幸福をさがし求めて満たされなかった読者諸君よ、むしろ直ちに、最高のものを目指して努力しなさい。第1に、それは最も確実にして最上のものである。なぜなら、それは、神の意志であり、また君に対する神の召命でもあるからだ。
第2に、それは、あらゆる努力目標のうちで最も満足の得らるものであり、その他の目標は、すべて多くの苦渋と幻滅を伴うのである。
最後にそれは、同じ勝利の栄冠を目指して人々と競争しながらも、友情と互助が行われる唯一の目標である。そして君がいよいよその目標を到達したとき、君を迎えるものは、羨望者やひそかな敵ではなくて、誠実な友人や同志 ――― つまり高貴な魂ばかりである。ひとはかような人々とでなければ、真に安らかな幸福に住むことはできない。
「来世を信じるか否かの一点によって、われわれの人生哲学の全体が左右されるのである」
あらゆる疑問と謎とに満ちた現世の生活に、道理ある解決を与えるものは、ただ死後の生命存続の思想である。それをひとたび固く信ずるようになると、全存在の一部にすぎないこの短い期間中に経験する楽しみや苦しみが、ほんのちょっぴり多かろうと少なかろうと、そんなことは直にどうでもよくなってくる。前には重大であった多くのことが、まるで抜け殻のようにわれわれから脱け落ちてしまう。
このような生命存続の思想なしに、現在あるがままの不正や苦悩や情熱にみちた現世だけについて、正義と全能の神を信じようとしても、それはもともと全く不可能なことである。だから、来世を信じるか否かの一点によって、われわれの人生哲学の全体が左右されるのである。 カール・ヒルティ
幸福論 第2巻(岩波文庫) 「超越的希望」から
ヒルティは、熱心なキリスト教信者だった。聖書を「まさに食らうべきもの」と表現する文章に共鳴していた。ただ、教会活動に熱心なのではなく、聖書の原典にあたる人だった。そして、特に聖書の「イエス・キリスト」が発言した部分を重要視していた。その他は長い歴史の過程で変わってしまっている可能性があることに気づいていたのかもしれない。
そういう意味では、聖書のみをたのみとしたマルチン・ルターや、日本の無教会主義キリスト教の内村鑑三に少し似ているところがあると思うのは私だけだろうか。
そして、聖書に出てくる、百卒長のコルネリオを実際の人物としては、信仰の手本のように記述していた記憶もある。
イエスご自身も、「イスラエルでこれほどの信仰を見たことがない」と言わしめた人物である。大佐などのコロネルの語源は、このコルネリオからきているのではないだろうか。
キリスト教は、仏教と違い、転生輪廻や生命の永遠性の思想は、あまりないと言われている。実際は、「我は、アブラハムが生まれる前からあるなり」、とか、ほかにもそれを示唆するイエス自身の表現はあるのだが、転生輪廻や生命の永遠性の思想とまでには、定着しなかったといったほうがいいのかもしれない。
人生の苦難を経るうちに、生命の永遠性を確信するようになっていった過程で、聖書のほかにダンテの「神曲」は、ヒルティにとって、重要な書物であったことは、上記の文書からもうかがえる。私自身も、学生時代には、情報としてとらえていたこの部分が、今は、確信になっていると言っても過言ではない。この文章によって、からし種ひとつでも、学生時代に蒔いておけて感謝していると言ってもいい。
最近は、「人は、生まれ変わる」とか、「人は死なない」とか、船井幸雄さんとか、東大病院の先生とか渡部昇一さんもそういう本を出版されている。「オーラの泉」なんていう番組も確か土曜日のゴールデンタイムにやっていて、結構視聴率をとっていた記憶もある。
30年前よりも、ずっと生命存続の思想、魂の永遠性、生まれ変わりが、常識化してきていると思われるのだ。スピリチュアル系の本などでもそうだろう。
かつては、「前世」や「生まれ変わり」などというと、まゆをひそめられるような時代もあったと思うが、今や普通に「前世」生まれ変わりという表現が、バラエティ番組にも出てきて、違和感がなくなっている。芸能人のほうが、かえって一般人よりも、こういう方面には敏感なような気もする。
話を戻すが、ヒルティは、ダンテの「神曲」を座右の書にしていた。「神曲」には、あの世のことが、ふんだんに書かれている。スウェーデンボルグの著書を、ヒルティが読んだ記録はなかったと思う。多分どこにも記載されていなかったので、翻訳されて出版されていなかったか、出会わなかったかのどちらかであろう。キリスト教的には、ダンテやスウェーデンボルグは、聖書に付け加えて、あの世のことを詳細に記述し、著したことになる。
学生時代には、幸福論第1巻の「仕事と習慣」や、とにかくとりかかること、最初のひとくわを打ち入れることが、とかくおっくうなので、とにかく最初にひとくわを入れることが大切、という表現が大いに学びになったものだ。
弁護士からベルン大学教授、学長、下院議員や陸軍法務官などを歴任してきた、ヒルティの実務能力と仕事の経験からくる珠玉の知恵が詰まった本だった。第1巻は、学生時代に読んでおいてとてもためになった。良い習慣がいかに大切か、とか早起きの大切さとか。
ヒルティは、夜10時には寝て、朝は、5時頃には起きていたようだ。大学の講義でも早朝が好みだったようだ。
そして、ヒルティの膨大な論文のテーマは、一言で言ってしまうと「仕事と愛」になるのではないかと思う。もちろん、一言などでは言えないことが前提で、強いて一言で言えば、ではあるが。
ヒルティの臨終に際には、机の上に、「永遠の平和」という論文が完成していたという。
そして、長年にわたり、スイス連邦政治年鑑を書き上げていたという。これほど広い範囲の書き物ができる人物は、ヒルティ以外にはおらず、ようやく引き継いだ人は、ブルクハルトだったと聞いている。
晩年のヒルティは、彼の死後勃発する、第1次世界大戦などを予想していたと思われ、1900年代の後半になって、ようやく平和な時代の幕開けが来る、などと記述していたが、果たしてその通りになっていると思う。
ハーグの世界会議などにも参加して、世界平和への理想を追求している。スイスのジュネーブにあるヨーロッパの国連なども、ヒルティの理想が形になったものと言えないことはないのではないだろうか。
幸福論の第2巻、第3巻は、年を経るごとに書かれているので、より、深みを増したり、宗教的教養がより深くなっている感じを受けたものだ。ただ、2巻も、あるいは3巻も最初に学生時代に読んでおいて、本当によかったと思っている。「人間知について」とか、「超越的希望」とか、「高貴な魂」とか、とにかく格調が高いのだ。
純粋な学生時代には、もってこいの著作だったのだ。
その後、年を経てからも、読み返していたが、年を経てからは、2巻、そして3巻を読み直す頻度が増えていったものだ。
以下は、若いころ、幸福論(岩波文庫)から抜粋して手帳に貼り付けていた部分である。
たしか、「高貴な魂」という章からの抜粋だったかと思う。
だから、若い読者よ、あるいは、これまで幸福をさがし求めて満たされなかった読者諸君よ、むしろ直ちに、最高のものを目指して努力しなさい。第1に、それは最も確実にして最上のものである。なぜなら、それは、神の意志であり、また君に対する神の召命でもあるからだ。
第2に、それは、あらゆる努力目標のうちで最も満足の得らるものであり、その他の目標は、すべて多くの苦渋と幻滅を伴うのである。
最後にそれは、同じ勝利の栄冠を目指して人々と競争しながらも、友情と互助が行われる唯一の目標である。そして君がいよいよその目標を到達したとき、君を迎えるものは、羨望者やひそかな敵ではなくて、誠実な友人や同志 ――― つまり高貴な魂ばかりである。ひとはかような人々とでなければ、真に安らかな幸福に住むことはできない。
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