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Vol.99 マナを想う

2021.5.5

道路わきの木々も青々と鮮やかさを増しています。
この頃になると鯉のぼりを見かけるようになりますが、男兄弟がいないわたしにとって、青空を悠々と泳ぐ鯉のぼりは憧れの存在でした。息子が生まれたとき、父におねだりをして買ってもらったんですが、実際目の当たりにした鯉のぼりはコワイ!
まん丸の大きな目でじっと見られる感じが耐えられなくなり、我が家の鯉のぼりはこの数年空を泳いでいません。
ときは5月。マナが亡くなってから2ヶ月が経ちました。
2月に投稿したときは、妊娠が分かったことを、良いお知らせとしてそろそろ皆さんにお伝えできると思っていました。

『どうぶつのくに』でのこの連載はマナが生まれた年の4月にスタートしましたが、これまでの9年間、話題に欠くことなく楽しく書き続けることができました。
マリンワールドにとって初めてとなるラッコの人工哺育の取り組みは、常に緊張感を伴いながらも学ぶことが多くありました。
ただでさえぬいぐるみのような見た目で愛らしいラッコという生きもの。人工哺育で育ったマナは子犬のように飼育スタッフと戯れる様子であっという間にアイドル的な存在になりました。

当時のわたしたちは人工哺育を決めたものの、小さく弱々しいマナを前に「どうか、生きて」という想いでいっぱいでした。
だけど、無事に1歳を迎えた頃から、マナがお母さんになる日が来ることを期待するようになりました。
繁殖ができる年齢になる頃には、その想いはさらに強くなりましたが、わたしたちにとってそれは、とても自然なことでした。
ここでもこの数年は繁殖への取り組みについて紹介することが多くなっていました。

わたしたちにとってマナは、
未来を照らす明るい光でした。輝く星であり、希望であり、どうしても叶えたい夢でした。そして、だいじな宝ものです。
妊娠が分かったときはみんなで喜びました。マナのお腹に宿った小さな命はとても愛おしい存在でした。
ずっと一緒にいることが当たり前だと思っていたので、こんな別れが来るなんて1ミリも考えたことはありませんでした。

あれからわたしは、朝を迎えるのが怖くなりました。
娘の髪を撫で、背中をさすると、最期に触れたあったかくて柔らかく、とても美しいマナを思い出します。
もっと、一緒に生きたかった。毎日そう想います。

時間は止まることなく過ぎていき、毎朝涙が流れることはなくなるかもしれません。
そしていつか、マナが生きていた時間を超える日が来ます。
わたしがそのときも生きていれば、今と変わらずマナを想っていたい。
マナに出会えたことと、誕生の瞬間から最期のときまで、マナの一生を共に過ごせたことに喜びを感じていたい。
そう考えながら、わたしは今日もマナを想います。

著者プロフィール

土井 翠(土井 みどり)

佐賀県出身。1997年4月 マリンワールド海の中道に入社。
同年7月に展示部海洋動物課に配属後、アシカ・アザラシ・ラッコの飼育業務やショー運営を行い、現在に至る。
動物たちは我が子のようでもあり、友達でもあり、一緒に仕事をする大事な仲間。

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