【1】 ラッコファミリー
1984年の10月、4頭のラッコが、アラスカから松島へ運ばれてきました。
慣れない環境の中で、元気に育ってくれるでしょうか・・・。
飼育係さんもラッコも緊張していました。
4頭のラッコの中に1頭だけ、赤ちゃんのラッコがいました。
まだポサポサ毛のメスの赤ちゃんです。
その子は“アイ”と名づけられました。
他の3頭はそれぞれ、“アスカ”“ゴンタ”“モグ”と 名付けられました。
【2】 アイちゃんピンチ
ラッコたちが新しい生活にようやく慣れてきたころ、問題が起きはじめました。
一番小さいアイちゃんが、大きなゴンタにいじめられるようになったのです。
いたずら好きのゴンタには、小さくもぞもぞ動くアイちゃんが 珍しかったのかもしれません。
かわいいから つついて遊ぼうとしたのかもしれません。
「アイは大丈夫かな・・・」
飼育係の瓜生さんは、学校で子供がいじめに遭っている親のような心境です。
そんな飼育係さんたちに見守られながら、やがてアイちゃんはいじめを乗り越え、すくすく育っていきました。
【3】 アイちゃんの結婚
6年後、小さかったアイちゃんは、もうすっかり大人になっていました。
つぶらなまんまるい目とペチャッ鼻は、実に愛嬌があります。
そんなアイちゃんに恋人ができました。
マリンピアにやってきたばかりの“ムサシ”です。
やがて ムサシとアイちゃんの間に赤ちゃんができました。
【4】 アイちゃんの子育て
91年6月、アイちゃん 初めての出産です。無事 元気な男の子を産みました。
アイちゃんの、忙しい子育て生活の始まりです。
その後もアイちゃんは 休むまもなく 次々とムサシの子供を産みました。
一番上が“小次郎” 次が“新松”、“ヤヨイ” “コハル”、そして“モモ”。
なんと、あのいじめられっこだったアイちゃんは、いまや五頭のラッコたちのお母さんです。
7年近くにわたる アイちゃんの子育てが終わるころ、アイちゃんはもう16歳になっていました。
その夏、年老いてきたムサシが、体調を崩してしまいます。
・・・心配そうなアイちゃん・・・
【5】 ムサシとの別れ
8月15日、永年つれそったムサシと、とうとうお別れする日がやってきました。
水槽の中で力尽きて沈みかけたムサシは、あわてた飼育係さんに引き上げられると、どこかへ連れて行かれてしまいました。
そして二度と戻ってこなかったのです。
【6】 新しいラッコファミリー
そんなころ、マリンピアのラッコファミリーには新しい仲間が増えていました。
オスの“パル”とメスの“クーピー”です。
まだお母さんが恋しいクーピーは、代わりにアイちゃんのおっぱいを吸って安心そうです。
本当ならもうとっくに乳離れしている年なのに、甘えん坊のクーピー。
アイちゃんは、お母さんのようにクーピーを甘えさせてあげました。
ところが この頃から、アイちゃんの生活はまたまた大変になりました。
やんちゃなパルが、アイちゃんを攻撃しはじめたのです。
思春期で難しい年頃のパルは、おとなしいアイちゃんに つい「やつあたり」をしてしまうのでしょう。
【7】 アイおばあちゃんの苦労
その年の暮れ、とうとうアイちゃんは パルにやられた傷がもとで、右目が見えなくなってしまいました。
飼育係さんの心配もひとしおです。
もうすっかりおばあちゃんのアイちゃんは、エサも少ししか食べなくなりました。
飼育係さんは、若いラッコにはカラ付きの大アサリをあげて、時間を稼いではそのスキにアイちゃんに食べやすいエサをあげます。
いじめられたストレスで、3日もエサを食べられなかったこともありました。
腕組をして 水槽を見つめる瓜生さんの目が、いつになく真剣です。
【8】 アイちゃん危機一髪
そんなある日のことでした。
「アイが死んでる!?」
ラッコの水槽を見回りに来た瓜生さんは、ドキっとしました。
水中に顔をつけたまま、アイちゃんが硬直して水に浮いていたのです。
「大変だぁ!!」
もう獣医さんを呼びに行くひまなんてありません。
必死でアイちゃんを丘の上にひきずり上げると、瓜生さんはあわてて心臓のあたりを何度か押してみました。
「もうだめか!?」
・・・するとその時、アイちゃんが「プハァッ」と息をしたのです。
「良かった!生きていた!」
それから瓜生さんは、ついにアイちゃんを おとなりの水槽に移す決心をしました。
目の見えない、弱っているアイちゃんをパルから守るには、もうそれしかありません。
【9】 アイちゃん長寿日本一
飼育係さんたちは、一生懸命アイちゃんの介護を続けました。
そんな気持ちが通じたのでしょうか。
少しずつ、またアイちゃんは元気を取り戻していきました。
アイちゃんの平和な日々が戻ってきたのです。
寝たり起きたりを繰り返すアイちゃん。
飼育係さんはアイちゃんが目を覚まして泳ぎだすころを見計らっては、1日に何度もエサをあげます。
アイちゃんがアラスカから松島にやってきて、もう19年がたっていました。
年齢は21歳。
そしてついにアイちゃんは「長寿ラッコ・日本一」になったのです。
「ここまでがんばったんだから、うんと長生きしてくれよ。」
・・・瓜生さんは心の中で そう アイちゃんに語りかけています。
瓜生さんにとっても、アイちゃんにとっても長い道のりでした。
【10】 アイちゃんとの別れ
2004年の2月21日・・・その日は静かにやってきました。
いつものように水槽にやってきた瓜生さんは、水面に浮いたまま震えているアイちゃんを見つけました。
すぐに引き上げ、できる限りの治療をしてみましたが、今度ばかりは効き目がありませんでした。
【11】 瓜生さんひとり・・・
「瓜生さん、もういいのよ。」 ・・・まるでそう言っているかのようでした。
そうしてアイちゃんは、赤ちゃんの頃からずっと育ててくれた瓜生さんに見守られながら、静かに遠いところへと旅立っていったのです。
アイちゃん、日本に、マリンピアにきてくれて ありがとう。
飼育係さん、アイちゃんを大事に育ててくれて ありがとう。
【12】 アイちゃんありがとう
こうして、日本一長生きをしたラッコのアイちゃんの一生は幕を閉じました。
それから少しあとの5月28日、青森県の浅虫水族館で、オスのラッコの赤ちゃんが誕生しました。
お母さんは“モモ”。 なんと、アイちゃんの子供です。
お母さんにちなんで、“モモタロウ”と名付けられ、元気に育っています。
アイちゃんが日本に残してくれた命が、こうして今もリレーされているのです。
ラッコのアイちゃん (文・絵 うえまつじゅんこ)