新型コロナウイルスの感染拡大が止まらず、徳島県内各地の恒例行事は中止や延期、内容変更を余儀なくされている。収束を望みつつ継承や再開に思いをはせる人たちを追った。
「第九は苦しみを乗り越え、平和を歌う曲。歌う人も聴く人も幸せにしてくれる」。認定NPO法人・鳴門「第九」を歌う会の飯原道代事務局長(73)=鳴門市=は、ベートーベンの合唱付き交響曲「第九」の魅力を語る。
鳴門市との共催で毎年6月、第九演奏会を市文化会館で開いてきた。その始まりは第1次世界大戦中の1918年6月1日、鳴門市大麻町にあった板東俘虜収容所でドイツ兵捕虜が第九をアジアで初めて全曲演奏したことに由来する。
82年、市文化会館の落成記念行事として初回が開かれ、「なるとの第九」の幕が上がった。回を重ねるにつれ、全国各地の合唱仲間が鳴門に集まるように。捕虜たちの祖国ドイツで第九の「里帰り公演」を開くなど、国際交流も進んだ。アジア初演から100周年を迎えた2018年には、日本、ドイツ、中国、米国の4カ国の合唱団員約1200人が、2日間の公演で高らかに歌声を響かせ、「第九の聖地」は祝福に包まれた。
しかし20年春、新型コロナウイルス禍によって6月の演奏会は翌春へ延期することになった。その後も感染拡大に歯止めがかからず、結局は中止を決定。現在も歌う会で集まって練習できない日々が続く。
亀井俊明副理事長(77)=鳴門市=は「歌えない時期が長引けば、これまで蓄積したものが薄れてしまう」と危機感を募らせる。
市は昨年、国内外に募った「歓喜の歌」を歌う動画をつなぎ合わせ、演奏会を予定していた6月7日に公開した。「なるとの第九」の6月の歴史を途絶えさせないための企画で、今年も5月20日まで新たな動画を募集する。演奏会の本番については22年度以降の再開を模索している。
終わりの見えないコロナ禍でふさぎ込みがちな人々の心に、第九は「全ての人々は兄弟になる」と連帯と平和を呼び掛ける。もう一度皆で「歓喜の歌」を歌える日まで、市と市民は一体となり、第九の灯をともし続ける。