2019/07/13 ボランティア

釜ヶ崎を知り、考える

 

 

 

「あいりん地区」という名前を聞いたことがありますか。関西圏にお住まいの読者の方なら知っている方も多いのではないでしょうか。「日本のスラム」と揶揄され、旧地名である釜ヶ崎という名前でも有名です。

 

今回はあいりん地区の現状を記述します。

 

 

基本情報

あいりん地区は、大阪市西成区にある簡易宿泊所や寄せ場が密集する地区の事です。旧地名から釜ヶ崎地区と呼ばれることもあります。その成り立ちは、戦後の大阪市の政策により貧困者が大阪に集まり、その後このエリアに集約したことで現在の姿になったとされています。あいりん地区で生活する人の多くは日雇い、週雇い労働をして生活しています。

 

 

 

 

あいりん地区は「スラム」なのか

 

 あいりん地区は「スラム街」なのでしょうか。〇か×かで答えろと言われると〇と言わざるを得ないでしょう。日本国内における他地域と治安の良さや町の美観を比べると圧倒的に劣るからです。しかし諸外国のスラム街と比べると治安は格段に良いですし(日本国内の中で悪め、というだけです。)他様々な面において性格が違うように感じます。

 通常、「スラム街」における男女比率や年代比率は他地域と大差ないのですが、あいりん地区においては男性の割合が高く、子供の割合がとても少ないのです。言い換えると成人男性が密集しているということになります。これはあいりん地区に集まった人々が「元から」貧困であったことが原因です。

通常のスラム街は、その場所に仕事が存在し、その仕事がなくなった後もその場所に住み続けた結果スラム街として形成されるものですので、「元から貧困者」という訳ではないのです。そのため妻子を持つ家庭が多いのですが、あいりん地区は貧困者が集まって形成されたものですので、妻子を持つ方が少ないのです。

 また、あいりん地区においては高齢化が進んでいます。子供が少なく、形成されたのが1970年の大阪万博後であるということですので、ほとんどの人が還暦を超えているといわれています。そのため地区全体の人口は減少傾向にあり、アパートには空き部屋やシャッターが閉まったままの商店などが点在しています。

 

 

 

 

 

地区住民の暮らしは?

 地区の人々の暮らしは、自分の家の有無や職業の安定性などによって様々存在します。日雇い労働で生活している方であれば朝5時にその日の仕事を探し始めます。日雇いの仕事はあいりん労働支援センター内の職員による紹介や、その周辺に民間派遣会社がでやってくるので、その紹介により仕事を決定し、労働します。日雇いによる賃金の獲得に成功すると、その日の宿を決定します。中には数日から数週間、遠方の工事現場などでの労働の案件も存在し、その場合は宿や休日の有無などが書かれた紙が掲示されているので、それを見てエントリーを行います。

写真は人材募集の求人票の例です。(本物なので会社名などは伏せてあります。)これであれば、大阪府下において一般土工のお仕事を10日間連続で行うものです。日給は1万円ですが、宿代として一日当たり3,000円引かれるので、手取りは一日あたり7,000円です。また自宅から(あいりん地区から)仕事場所への往復は自腹ですし、食事提供もないので、もらえる額はさらに少なく、時給計算すれば755円と大阪府下で考えれば安い賃金と言えるでしょう。

 

 

 

どや・シェルター?

どや、とは「宿」という言葉を逆さにして発音したものです。「宿」と言ってしまうと、自身がホームレス生活であることがばれてしまいます。またあいりん地区外の人々にとっては「宿」というと高級旅館や民宿なども含まれてしまい、質素な空間である木賃宿を「宿」と発音したくないという気持ちもあり「どや」と呼ばれるようになったといわれています。

 

 シェルター、といっても襲撃時に避難するものとは違い、釜ヶ崎支援機構という支援団体が運営する施設で、無料で寝床・シャワーを提供してくれます。質素な空間ではありますが、日雇いの仕事を取ることができなかった場合でも、雨風をしのぐことができ、布団で横になれる所から、あいりん地区住民から重宝されています。

 

 

 

 

あいりん地区付近には、大阪環状線や御堂筋線といった関西圏外の方でも知っているような有名路線や、関西空港へのアクセスとして特急ラピート号が有名な南海電車などが乗り入れており、とても利便性が高いです。このため、あいりん地区は外国人旅行者(バックパッカーなど)が利用する宿街として進化しています。近くには通天閣や天王寺動物園といった観光地があり、ミナミエリアも徒歩圏内というのも人気が高い理由の一つです。

 

 

 

 

 

 

 あいりん地区は決して華やかとは言えない生活環境があります。そこで住む人々を支援するために活動しているNPO団体があります。

 

「釜ヶ崎支援機構」はあいりん地区の人々を支えるNPO法人です。あいりんシェルターやそれに付随する「禁酒の館」などを運営する他、衣料の無償提供や就業支援の相談窓口を開くなど、あいりん地区の人々の生活に寄り添った活動を行っています。

 

 

 

 

まだ働ける、自立できる

 

あいりん地区に住む人は「まだ働ける」、「自立できる」、という意志を持った方が多いようです。近年は地区住民の高齢化が進んだ事による生活保護受給者が増加傾向にあります

しかしながらそのような方は基本外に出ず介護センター等で暮らしているので、あいりん地区内で外に出て生活している方で生活保護を受給されているのは少数派なのです。「自立」と言っても、その意味解釈は人それぞれです。NPOや行政が提供・仲介する仕事をやりながら自らで生計を立てる人もいますが、中には誰の手も借りないで生活しようと試みる方を居ます。考え方も様々ですが、共通して言えるのは貧困しているからと言って他人の手をあてにするような汚い考えが無いということでしょう。

 

 

 

 

 

 

 

 

その人その人の考えに寄り添う支援を

 

 ではあいりん地区の人々に対して我々が出来る事は何なのでしょうか。それは「公募型」の支援でしょう。貧困地域への支援となるとどうしても我々が積極的に地域に参入して支援を平等に行き届かせる事を考えてしまいます。しかしあいりん地区は極度の貧困地域という訳ではありません。治安が悪いわけでもありません。様々な考えを持った方が暮らす場所ですので、

「価値あるものを全員に配布します。」

というものではなく、

「このような支援を行います。受けたい方はいますか?」

という支援が最適でしょう。

 

 

 

 

 

世間のあいりん地区に対するイメージが現実とかけ離れすぎています。前編で紹介した通り、世間のあいりん地区に対するイメージは最悪と言っていいでしょう。治安が悪い、高齢男性が多い、仕事をしていない、不潔 しかしながら、そのような想像をはるかに下回る現実があります。我々はあいりん地区に対する理解度を高めることが重要であると感じます。

 

 

 

「最恐の街」ではなくなりました。

 

 かつては西成暴動と呼ばれ、労働者が行政や警察にたてつき混乱を起こした事件があります。「第〇次」と数字が打たれ、24次まで存在します。そのなかでも第22次西成暴動は有名で、労働者からお金を不正にかすめていた(ピンハネ)暴力団と西成警察署捜査員の癒着が発覚し、労働者の不満が爆発して起こりました。5日もの長い時間労働者は石を投げつける、自転車を燃やすなど暴徒化し、阪堺電車南霞町駅への放火、その他略奪などを行いました。

 その時代から比べ、治安は大幅に改善されました。人々は秩序を守り、スリや殺傷行為などもほとんど発生していません。また海外からの目で見れば治安が悪いわけでは無いので、外国人観光客などが怖がる事なく街を歩いている姿を見ることが出来ます。 そのために新しいホテルなどが多く建っています。またハローワークやNPO法人西成職業福祉センターなどのお仕事紹介をする場所は、あいりん総合センター閉鎖により南海電車高架下へと移転し、とてもきれいな空間となりました。あいりん総合センター上にあった市営住宅は近くに移転し気持ちよく暮らせるようになりました。

 

 人口も減少傾向にあり、主に流入人口の減少及び高齢化による施設入居や死亡が理由としてあり、人が溢れかえっているという事はありません。これらにより、表通りの様子は本当にここが「スラム街」と呼ばれるところであるのかわからなくなるほど変貌を遂げています。

 

 

 

 

あいりん総合センターの閉鎖を考えます。

 

 あいりん総合センターはあいりん地区の象徴であり、以前は労働者が仕事を求めて朝からやってくるような光景を見ることができましたが、老朽化により閉鎖されました。しかしそれに反対する人々がいます。そのため現在でも座り込み運動などを行い閉鎖や建て替え反対を訴えています。

 これに関して、私は反対運動する人々は勝手な人間だ、と考えます。あいりん労働センターは建て替えのため閉鎖されました。閉鎖に反対される方の主張は主に、「居場所がない」というものです。前編などで紹介した通り、あいりん地区のの人々はそれぞれがそれぞれの生き方で日々を送っていらっしゃいます。それに合わせ支援体制が整えられているので「居場所がない」という意見は本来通らないはずです。居場所は各団体によって支援され点在していますし、連日の労働をすれば宿を提供する企業もあります。となると、彼らは自身の環境の変化を嫌悪しているだけとしか言えないと考えざるを得ません。時代の変化に合わせて変貌していくあいりん地区の居心地が悪くなっているのかもしれません。

 

 人口減少による支援需要も減る中、今のうちに建て替えなどをしないと、本当に地震等で危ないと判断された際に「もったいない」などの理由によりセンターが取り壊しになり、さらに「居場所」が無くなる可能性もあります。

 

 

 

 

 

あいりん地区の未来を考える

 

 西成特区構想は西成区に子育て世帯を流入させようとするものです。一見すればよいものですが、これの完遂はあいりん地区の消滅を意味しているといわれています。確かにあいりん地区のような日本の中では治安が悪く雑としているところは消滅すべきなのかもしれません。

 世界の都市を見ても「スラム街」は各都市に存在しており、それは不景気などで行き場を失った人々の行く生きるための唯一の場所となっています。

 

 あいりん地区は大都市の労働者が行き着く場所として必要であると考えます。今後外国人労働者の増加など多様な人材が街を動かす時代がやってきます。その中で社会の波からあぶれてしまった人の生きる価値を見出し、社会へ再挑戦をさせる事のできる環境は今後ともに必要です。

 

 

 

 

 

あいりん地区はただの「おじさんの街」ではありません。時代と共に変わり、対応しながら、人々の自立を促す街です。我々もあいりん地区に対する姿勢を変える時が来ている気がします。

 


NPO法人釜ヶ崎支援機構:大阪府大阪市西成区萩之茶屋 1-5-4 表紙写真は同法人松本事務長  あいりんシェルターは同法人が運営されています。