トップページ > 解離・離人症研究
第1節.
解離性障害、身体表現性障害は、かつては女性に多いと思われていたので、子宮を意味するヒステリーと呼ばれていたことがありました。精神分析を創始したジークムント・フロイトは、ジャン・マルタン・シャルコーのもとで催眠によるヒステリー症状の治療を学んでいます。シャルコーは、パリのサルペトリエール病院において、患者の運動麻痺、感覚麻痺、痙攣、健忘に注目しており、ヒステリー患者は、絶え間ない暴力やレイプを逃れてきた若い女性でもありました。フロイトは、シャルコーのもとで学んだ後、ヨーゼフ・ブロイアーとの共同による「ヒステリーの研究」を行い、ヒステリーの病因として心的外傷やPTSDが発見されていく過程を追う時期がありました。フロイトは、ヒステリー患者が無意識の中へ抑圧した内容を、身体症状として出すのではなく、思い起こして言語化することによって、症状を取り去ることができるという治療法に辿り着きました。
第2節.
解離の概念を最初に提起したのは、フランスの精神科医ピエール・ジャネです。ジャネは、ヒステリーや霊媒、心霊に取り憑かれた患者の状態を臨床的眼差しで正確に記述してきた人です。特に、ヒステリーの状態が解離による下意識によることを研究していました。1889年の著書「心理学的自動症」の中で、ある種の心理現象が特殊な一群をなして忘れ去られるかのような状態を解離による下意識と命名したのが解離の起源です。ジャネは、意識の解離を論じており、環境の変化に適応できず、精神力が衰弱した人の意識の可変性に注目し、意識野の狭窄が生じることで、あるいは、意識下の固着観念に支配されることで、人格機能の一部が自動的に作用するという「統合」と「解離」モデルを唱えました。しかし、ジャネの「解離」モデルは、精神分析が多大な影響を及ぼすなかで、フロイトの影に隠れてしまうことになります。
第3節.
1970年にエレンベルガーの著書「無意識の発見」の中で、解離の概念が再び取り上げられるようになります。その後、ベトナム戦争帰還兵のPTSDの研究が進み、また、フェミニズム運動の高まりから、性的暴力や児童虐待の被害者も類似のPTSD症状が見られることが分かります。1980年代には、DSM-Ⅲで多重人格障害が取り上げられるようになり、PTSDに関連した解離の症状が注目を浴びるようになりました。DSM-Ⅳでは解離性障害が解離性健忘、解離性遁走、解離性同一性障害の3つに分類されています。解離性障害は、過去のトラウマ体験から、感覚が現在の自分と遮断された状態にあり、自分が自分であるように感じることができません。そして、離人感や現実感喪失などの低覚醒がベースにあり、ボーッとするとか忘れっぽくなるなどの症状があります。
第4節.
解離は、時代や文化によってさまざまな様相を示してきました。例えば、シャーマニズムや神秘的宗教体験(憑依現象)などは解離現象によると考えられます。また、あの残酷な第二次世界大戦時の強制収容所に収監され、極限状態に置かれた人が、精霊や木、自然、宇宙、魂上の家族との感覚的な対話によって、精神を狂わすことなく、希望を見い出しながら死んでいった事実は、解離現象と関わりがあると考えられます。
第5節.
解離という現象は、誰にでもある正常なものから、極限状態のなかで、息を止めて、筋肉が固まり凍りついたあと、内臓感覚、皮膚の輪郭が消えて、自分が自分であるという感覚が無くなり、意識が遠のく、頭の中が真っ白になる、声が出ない、周りが見えない、時間だけが過ぎる、空想の世界に行くなどして、生活場面に支障をきたすまでの間に様々な段階があります。正常解離は、誰しも体験することがあります。例を挙げますと、眠気が強くて、ぼーっとしていて、気がつくと時間が経っていたという時です。また、車を運転した時や、電車やバスに乗っている途中の出来事を、一部又は全部を憶えていない時です。この時は、物思いや空想にふけっていたり、心配事をとらわれていたりしたため、道中にあったことを思い出すことができませんが、特に日常生活に混乱を招くわけではありません。
人間は、意識と無意識の適度のバランスを保ちながら、日常生活を営んでいます。たとえ、生活全般が困難になっても、適度の解離や抑圧が生じることで、不安や恐怖、疲労、痛み、怒り、怠さ、辛さなど葛藤が過剰にならないようしてくれます。また、外界の刺激に対して、生体機能のリズムが狂わないようにするため、自動的にフィルターの役割を担ってくれて、疲れが溜まりにくくします。つまり、適度の解離は、不安や苦しみ、痛み、ストレス、疲れなどを消してくれるもので、そして、休息やリラックスさせてくれて、自分を守るものとして普遍的に人間に備わっている力であり、生活全般の困難を引き下げてくれます。
しかし、生まれながらに身体が弱いとか、早い時期に痛ましいトラウマを体験している人が、家庭や学校のなかで脅かされることが繰り返されると、四方八方から攻撃されているように感じます。身体は脳に危険信号を送り、全身が緊急事態モードに突入して、神経の働きが原始的になります。原始的モードに突入すると、息を浅く早くする闘争・逃走モードか、息を殺して身体が凍りつくか擬死の不動状態に入ります。脅威があると、神経は高ぶり、頭の中は過剰な情報処理を行い、意識は外に向いて、情動に乗っ取られていきますが、身動きが取れずに、身体が動かなくなると、感情や感覚は切り離されて、意識の変容・狭窄や変性意識(トランス)状態に入り、自分が自分でいられる力が弱まります。
長年に渡り、このような逃げられない環境のなかで、嫌なことに耐え、酷い恐怖や怯えに苛まれることにより、身体は固まり凍りつくか、死んだふりの不動状態から抜け出せなくなります。そして、身体に疲労や痛みが蓄積されて、感覚が麻痺していくようになると、自分の身体が自分のもので無くなり、エネルギーは枯渇して、半分眠ったような状態に陥り、重い解離症状になります。解離とは、一般の人が朝に夢を見るような感覚に近く、病的な解離の人は、生活全般の困難に対処するために、身体感覚を切り離し、日中から眠気に襲われて、低覚醒状態で生活しています。体は怠くて、何も手につかずに時間だけ過ぎていき、白昼夢を見たり、頭の中の世界に没頭したりします。そして、数分前のこと数時間前のこと、一日前のことなど、自分が日常生活で行っていた活動を忘れてしまうという緊急事態になります。
解離症状では、身体が凍りつくか、死んだふりか、虚脱化していて、頭(心)と身体が離れ離れになり、脳と筋肉、内臓、皮膚を繋ぐ神経が遮断されたかのような状態です。危険が差し迫ってくる場面では、胸が痛くなり、息苦しく、血の気が引いて、頭の中が真っ白になり、自分の意識が朦朧としたり、意識が飛んだりして、もはや理性の働きでは動物的本能や原始的欲求の沸き立つ力を抑制できなくなり、身体が勝手に動き出すかもしれません。また、恐怖を感じて、身体が固まって凍りつくと、人間らしさを司る神経の働きが一部停止して、心と身体の運動・感覚機能(顔や目、鼻、口、耳、喉、心臓、肺、手、足など)が麻痺して、生き生きとした世界が枯渇します。さらに、ストレスと戦って前に進もうとする力が尽きると、心臓が弱り、血圧や心拍数が下がり、脳にあまり血がいなくて、筋肉も衰弱して、体力がなく、最小限の機能を使って生活するようになります。そして、生活全般の困難から、身体の凍りつきや死んだふり、虚脱状態が無意識下で持続化されると、自分の身体が自分のものだと思えなくなり、頭の中は過去のことをグルグルと考え、無反応・無表情で抜け殻になるか、強迫観念・行動が強まります。生活全般のありとあらゆることがストレスになり、トラウマのトリガーが引かれないように、自分の身体から離れるのが癖になると、現実感を失って、目に見えないものが見えて、空想(妄想)の世界に飛びます。自分の身体を現実に残して、空想の世界に飛ぶと、空想の世界に行っている間の記憶を無くし、別の人格が自分の代わりに仕事や学校に行くようになり、日常生活に支障をきたします。
第6節.
自分が自分であるという感覚が失われている状態で、まるでカプセルの中にいるような感覚で現実感が無かったり、ある時期の記憶が全く無かったり、いつの間にか自分の知らない場所にいるなどが日常に起こり、生活面での様々な支障をきたしている状態をさしています。解離性障害を患っている人は、とても辛い状況に追い込まれており、どんよりした感覚のなか、考えがまとまらなくて、うまく喋れなかったり、何をしたか、何を言ったかなど記憶として残らなかったりします。人格交代が起きている場合には、お菓子を食べたり、買い物をしたり、ぬいぐるみを並べて遊んでいたりして、そんな自分を気持ち悪く思います。
第7節.
解離性障害の人は、幼少時からさまざまな体験をしており、空想傾向があると言われています。また、解離性障害を発症する人のほとんどが幼児期から児童期に強い精神的ストレスを受けているとされています。そのストレス要因として一般的に言われているのは、
1)学校や兄弟間のいじめ、
2)養育者が精神的に子どもを支配していて、自由な自己表現が出来ないなどの人間関係のストレス、
3)ネグレクト、
4)家族や周囲からの心理的虐待、身体的虐待、性的虐待、
5)殺傷事件や交通事故などを間近に見たショックや家族の死などになります。
子供の頃から、落ち着いて過ごせる場所がなく、体の力を抜くことができずに生活してきました。思春期から青年期にかけて、頭痛、腹痛、便秘、下痢、睡眠障害、過呼吸、パニックなど原因不明の身体症状に悩まされるようになり、自分のことがよく分からなくなっていきます。
第8節.
初発症状は、身体症状であり、その身体症状の不安から不安発作が起きます。次に、対人過敏症状があり、人から傷つけられるのではないかという恐怖から、外界に対して過剰に警戒しています。その後、離人症、解離性健忘、人格交代、幻覚などの典型的な解離症状がみられるようになります。
参考文献 柴山雅敏 "解離への眼差し"『臨床心理学』
第9節.
障害となる解離症状では、日常生活のあらゆることや人と関わるあらゆることがトラウマのトリガーになっていて、身体は怯えていて、人から傷つけられることを恐れています。自分では自覚できていないかもしれませんが、身体は脅かされる可能性を想定して、逃げ道を探っていたり、息が浅くなっていたり、こわばっていたりします。解離症状は色々とありますが、身体のある部分が勝手に動く、歩きづらくなる、動けなくなる、話そうと思っても声が出ない、声が聞こえなくなると、目が見えなくなる、気づいたら何時間もぼーっとしている、もの凄く眠たくなる、地に足がつかず上空から見下ろしている、記憶が思い出せない、思考や感情の働きが鈍くなる、身体の感覚がぼやける、自分を何人かの自分が傍観している感覚がある、頭の中で自分を攻撃するような声が聴こえる、理由も分からない無力感に陥るといった様々な心身の機能障害があります。解離性障害の症状は、一見すると周囲の人には分かりにくいので、家族に理解してもらうことが難しい心と身体の病と言われています。
例を挙げますと
①解離性障害の代表的な症状に健忘というものがあります。本人がある内容を覚えておらず、通常の物忘れでは説明できない場合は、解離性健忘なのでしょうか、それとも、単に都合の悪さを隠すための嘘なのでしょうか、あるいは、高次脳機能障害なのでしょうか。
②本人が加害行為をしたけども自覚がない場合は、自分の意識のないなかでの行動なのでしょうか、それとも、やはり嘘をついているだけなのでしょうか。色々な可能性を考えてみることができます。
解離症状を持つ人の身体は、満身創痍の状態にあり、身体全体が固まり凍りついているか、力が入らない状態にあります。解離を繰り返すことで、動けなくなったり、立ち上がったりできなくなり、エネルギーが枯渇して、慢性的に疲労しているかもしれません。
第10節.
特に、解離性障害と疑われる行動の一つに、対人トラブルから怒りの感情に乗っ取られ(交感神経が高ぶりすぎて)、自分をコントロールできなくなり、自分とは思えない言動をします。本人は、その時の記憶が無くなったり、頭が真っ白になったり、うっすら背後から自分を見ていたり、身体が勝手に動き出したりします。このような人は、周囲から見ればキレやすい人であり、しかも、本人の自覚が薄かったりするので、トラブルに発展しやすくなります。また、本人の記憶のない間やコントロールの効かないなかでの行動なので直すことはできません。ですから、親から教師から何度注意されて、落ち込んで大人しくなったそばから、すぐに同じこと繰り返してしまいます。
対人トラブルが起きて、交感神経が高ぶり、過覚醒になり、闘争・逃走反応が出て、本来の自分は引っ込みますが、この怒りの場面の解離症状(解離性健忘、解離性憤怒、人格交代、離人症、現実感喪失症)は、自分で自分をコントロールできなくなるので、特に学校などの集団場面で不適応になります。さらに、親からの虐待を呼び込みやすくなります。本人としては、自分の記憶のない間とか、体のほうが自動的に勝手に動くとかで、自分とは違う別の誰かが上手に振る舞い、問題を起こしたりします。そして、自分でもよくわからないうちに、手のひらを返されたように相手の態度がガラッと変わり、予測不能な形で周りから暴言や暴力、処罰を受ける悪循環に陥る可能性があります。
そのため、トラウマを負い、解離症状のある人は、「どうして?」「なぜ、怒られるの?」の世界に生きていることがあります。本人は、解離性健忘や離人、現実感喪失、人格交代の間に周囲の様子がいきなり変わっていて、自分は悪いことをしていないのに、なぜかトラブルに巻き込まれ、相手が悲しい顔をしていたり、怒っていたり、怪我をさせたり、自分が怪我をしています。そして、周りの人には、自分ではない偽りの自分が認識されていくようになり、どんどん誤解されていきます。本人は、誤解を解きたいと願っても、そのをしを誰に話していいかも分からず、自分の本音や本当の感情を出せなくなります。一方、偽りの自分がトラブルを起こす度に、自分とは思えない言動を取っており、大人に怒られたり、同級生に悪口を言われたりするため、人に対しての不信感や自分のことが信じられなくなります。どうして自分だけが酷い目に遭うのだろうと頭を抱えがちで、自己否定、悲観的未来、自暴自棄な行動、運命や宿命などの妄想が強くなります。また、自分は変で嫌われているに違いないと思い込んだり、人から悪意を向けられることに耐えれなくなると、息を潜めながら、身体は固まり凍りついて、解離や離人症状にすっかり染まっていきます。さらに、警戒心の強さから、危険があるかどうか細かいところまで入念に調べるようになり、周囲の視線や表情を気にして、先読みし、あらゆるパターンを頭で考え、強迫傾向を強めていきます。
第11節.
PTSDから解離症状が重くなると、嫌悪する刺激に対して、硬直し、痛みになります。そして、不快すぎる状況が続き、八方塞がりになっていくと、痛みが疲労感が強くなり、常に凍りついた状態になり、意識が反転した別の世界(妄想や空想世界)に飛んでいくかもしれません。背側迷走神経が過剰で、感覚が麻痺して、自分が自分で無くなると、眠ったように生きる低覚醒になり、現実感が喪失します。また、解離性健忘により、気がついたら別の場所にいるとか、気がついたら時間だけが過ぎているといったことが起こり、自分の知らない間にトラブルメイカーになることもあります。
低覚醒になると、自分の話した内容も罪悪感が含まれると瞬間的に忘却したりします。頭が痛くて、眠くなり、身体の感覚が分からなくなると、現実と夢の境目が分からなくなります。自分が自分で無くなり、頭の中が真っ白になると、何を思っていたのか、何をしていたのかも分からなくなって、昨日の記憶を忘れたりします。この記憶を思い出せないせいで、自分の身に起きたことを把握できず、人とのコミュニケーションが難しくなります。例えば、同級生や知り合いに声をかけられても、記憶を覚えていないので、その状況を把握できずに、うまく対応できません。また、自分の知らない人から親しそうに話かけられて、その状況に戸惑い、人間関係が怖くなります。さらに、自分の知られたくないトラウマに関わる秘密事が、自分の知らないうちに悪い噂として広まっているように感じ、その噂を振りまいたのが誰だと疑うようになり、推測、憶測、被害妄想に取り憑かれるタイプの人もいます。特定の人に対して、被害妄想が膨らむほど、嫌悪感が強くなり、自分で自分のことを追い込む結果になって、所属集団にいられなくなります。また、所属集団に四方八方から攻撃されているように感じると、常に凍りついた状態のなかでの生活になり、体調がおかしくなって、過呼吸やパニック、悪夢にうなされ、身動きが取れなくなり、自分の居場所が無くなります。
生活全般の困難から、エネルギー切れが頻繁になると、背側迷走神経が主導権を握り、脳と身体を繋ぐ神経の働きもおかしくなります。背側迷走神経の作用で、低覚醒状態が切り替わると、自分が自分で無いように感じて、こないだのことも覚えていない緊急事態になります。また、なんとか自分の一貫性を保つために、不利なことは矮小化し、誇張した作話や複雑な思考を展開していくことがあります。身体の方は、息苦しかったり、痺れたり、お腹が痛かったり、気持ち悪かったり、固まって動けなかったり、めまいから動けなくなります。長年に渡ってストレスを受けることで、自分の身体を感じることが出来なくなり、自分の身体を自分のものとして思えなくなります。さらに、身体と脳は、ストレスホルモンに侵され続けることで、炎症を引き起こして、様々な慢性疾患に罹るかもしれません。
第12節.
解離している子どもは、自分が解離しているかどうか、うっすら分かっている人もいますが、分かっていない人の方が多いです。例えば、休日に家族と過ごした内容を尋ねても、首をかしげて覚えていないとか忘れたと答えます。また、フラッシュバックで過去の時間に戻っているとき、解離した人格部分は、過去の光景を目にして、同じ臭いを嗅ぎ、同じ身体的感覚に見舞われて、心ない操り人形のように自動的に行動や態度でトラウマを再演させます。外からは何もないはずなのに、本人は幻覚を見ており、見えない敵(不条理なことをしてくる親や大人たち)に文句を言い、戦っています。
その一方で、本人はそのことに気づいておらず、今この時間に戻ってくるとフラッシュバックなんて無かったかのように笑顔で日常生活に戻ります。外から子どもを見ている人は、フラッシュバックという現象が異常に見えますが、本人は、その現象をいつ、どのように起きているのかも気づいていなかったりします。つまり、子どもの頃から、解離している人は、自分がトラウマを負った当事者だと気づくことが難しかったりします。しかし、トラウマに気づいていない代わりに、身体はトラウマを覚えているので、身体の一部が麻痺や硬直、疼痛が起こり、原因不明の身体症状に襲われます。
子どもの頃から解離を使うことに慣れている人は、自分の苦しみや痛みを簡単に切り離すことができます。叫びたくなるような場面に遭遇すると、自分が自分の身体から抜け出た状態になり、あたかも傍観者のようにあの子は大変だねと眺めたり、頭の中の夢心地の世界に飛んだり、固まり閉ざされて眠りにつくことができます。しんどいことを切り離して、自分の分身に交代する時は、頭が痛くなったり、後から引っ張られたり、前に押されたり、眠くなります。そして、自分がいなくなったり、真っ白になったり、真っ黒になったり、夢の中にいるようになります。夢の中の世界は、懐かしい風景の中にいて、時々小さい頃の自分と話していることもあります。解離は、想像力のみで環境を作り変え、不快なものをどこかに追いやることができます。
解離している子どもは、自分の知らない間に、口が勝手に喋ったり、手足が勝手に動いたり、悪ふざけをしたりなど様々な困ったことを引き起こしています。例えば、いきなり泣き出したり、言いたくことを言ってしまったり、虚ろな表情になったり、不機嫌になったり、何も感じなかったり、身体が固まったり、声が出なかったり、聞こえなかったり、活発に動いたり、衝動的な行動に出たりします。いくつもの自己状態を行き来している子どもは、交感神経系(過覚醒システムに入り、耐性領域外になる)に乗っ取られているときに、記憶が欠落して、それに気づくことが難しかったり、自分の行動を止めれないことが起きます。また、身体の方が生命の危機に瀕した体験を記憶しているので、問題場面に直面すると、交感神経が過剰(アクセル全開)になりますが、急速に背側迷走神経(ブレーキ)が働くと、身体が固まり動けなくなります。
特に、学校生活の集団場面の交わりに馴染めず、皆と同じことをしようとしても、命の防衛のための原始的な神経が働いてしまって、社会交流システムがうまく働きません。そのため、社会交流を司る神経の部分が凍りついて、声が出ない、聞こえない、視野が狭い、手先が動かしづらい、歩行困難、痛みが出る、痛みを切り離す、無になる、身体が固まる、立ち止まる、うずくまるなどして、過呼吸やパニックになりやすく、皆に置いて行かれるようになります。また、普段から、静止した状態でいると、不快な気分でイライラしたり、どうしようと焦ったり、動揺しすぎて、不安や心配事が頭のなかを支配します。そして、自分の知らない間に体が勝手に動いて問題行動を起こすとか、身動きが取れなくなるなどの制限がかかるため、どうしようも出来なかったり、自分に身に覚えのないことまで犯人扱いされることがあります。自分では真っ当な行動を取っているつもりですが、周りからはきちがいとか、頭がおかしいとか、どうしてお前だけは皆と同じことができないんだと言われるため、人と関わることが怖くなり、人と交わした言葉に傷ついていきます。その結果、とても傷つきやすくて、人の言葉や表情に神経質になり、相手が自分のことをどう思っているのか気にしています。
自分が人から傷つけられるかもしれない恐怖があり、過剰に警戒するようになると、外側の世界のあらゆる情報を取り込んで、頭の中では様々なことを先読みするようになり、自分に注意を向けたり、安心して何かに集中することが難しくなります。そして、とても苦しく、とても辛い毎日の繰り返しのなかでは、痛みの身体になって、その身体を切り離すことで、この世界を生き生きとして感じることが出来なくなります。その結果、様々な感情や感覚が失われて、物事を自分で感じられなくなると、自分の存在感や人との距離感、普通という学校の枠組みが分からなくなります。自分が何を感じているか分からなくなると、どう思っていたか、何かを考えていたか、何をしていたかも分からなくなり、自分が空っぽになります。自分のことさえも分からなくなると、何かを経験しようとしても、何も積み重なっていかず、どうしたらいいか分からないために、人に合わせる生き方しかできなくなります。そして、あたかも正常かのように見せながら、表面を取り繕うだけの人生になり、無意識のうちに同調的に振る舞って、なるべく周囲の人の行動を真似していくようになります。
トラウマケア専門こころのえ相談室
論考 井上陽平