千五百七十七年 六月上旬
帝は激怒していた。原因は言うまでもなく本願寺教如による石山本願寺占拠であった。
互いに深い確執を抱え、長きに亘って争った二大勢力のいくさに終止符を打つ。それは調停を担う朝廷の権威が揺ぎ無きものであると、日ノ本中の有力者たちへ示せる絶好の機会でもあったのだ。
ゆえに、事がここに至って教如がしでかした事件は、これまでのお膳立てをすべて無に帰す赦しがたい暴挙となる。
教如としては本願寺を掌握している
それゆえ帝は激情の余り顔色が赤を通り越して青く見えるほどに憤怒を高ぶらせていた。
「もはや看過ならぬ。余自らが軍を率いて大逆人を討ち取ってくれよう!」
帝が直接軍を率いるとなれば御
そういった懐事情を把握している
「
帝の状態については、
いざ御親征となれば莫大な戦費が発生する。日々の生活に窮するような公家は少なくなったとは言え、行事や政を滞りなく運営するので精一杯という状況だ。
そんな折に絶対に敗北が許されず、また勝利したところで別段利益が発生するわけでもない戦費など捻出できるはずがない。
故に公卿たちは織田家を動かせないものかと思案し、今日も今日とて前久に
ただでさえ五摂家筆頭の家柄であり、経済力に於いては並ぶものなし、更には権力でも関白という公家の最高位に任じられている前久の発言力がいや増すのを面白くないと思う者もいるのだが、さりとて無い袖は振れないという葛藤がある。
「帝のご心中は察するに余りあるが、官軍の結集など我らには荷が勝ちすぎるというもの」
「此度の件は織田殿にとっても許し難き行いでありましょう? ゆえに近衛様のお口添えをいただき、織田殿に御出陣頂くわけには参りませぬか?」
「織田殿とて怒り心頭でおられるでしょうが、朝廷の面子を
「それでも御親征を断念して頂けるのならば……」
「それにこれは私の
「なんと! 織田殿の懐刀と名高いご息女よりの報であれば、確かなのでしょうな」
事件発生当初は信長も前久も教如の暴挙に激昂した。しかし、頭が冷えてくるに従って教如の行動に違和感を抱く。教如にとって己の所在を掴まれていないという優位性を捨てた末に手に入るのが、防衛設備をいくつも解体された石山本願寺では割に合わないこと甚だしい。
更に今回の和睦については朝廷主導で行われているため、仮に織田家から石山本願寺を取り返したところで、朝廷より門跡寺院の取り消しや、
どう転んでも未来が無いにもかかわらず、それでも朝廷の代官を幽閉した上に本願寺奪還を強行した。教如にどんな大義があったとしても、彼の行動を正当化するには至らないだろうと考えた前久は首を傾げることになる。
「織田殿は朝廷主導にて和睦を取り持つようになって以来、本願寺を包囲していた兵を引いておられました。つまり、教如側としてはもっと早い段階で占拠することも可能だったはず。何故引き渡し直前の今になって蜂起したのかが気にかかります」
「確かに、近衛様のご指摘にあるように教如めの狙いが判りませぬな」
朝廷が和睦に介入したのと時を同じくして、信長は本願寺を包囲していた佐久間達に兵を下げるように命じた。
これは本願寺側の要望に対して、有利な側である信長が率先して譲歩を見せることにより朝廷の顔を立てるためである。
如何に常備軍を配備している織田軍とはいえ、全ての兵員が常備軍かと言えば勿論そうではない。志願兵や数合わせの徴募兵、陣借り者等実に様々な人々が混在している。
これらの人々は、ただそこに存在するだけで兵糧を消費し続ける。陣借り者については、戦力の押し売りであるため面倒を見てやる必要等無いのだが、佐久間達は規律を維持するため彼らにも食料を配給していた。
包囲を解いて兵を下げるとなれば、多くの人員を解散させることが出来るため、軍隊の維持費を大きく節約することができるのだ。
つまり信長の命とは、自分たちの消耗を避けつつも、朝廷に恩を売るという成果を得られる一石二鳥の方針だった。
こうした動きを皮切りに、織田軍側と本願寺側が朝廷を介して互いに和睦へと歩み寄っていた。その最終局面に於いて、突然教如による本願寺乗っ取りが発生したというのが現状であった。
「いずれにせよ、朝廷から派遣されている代官殿の御様子を知るのと、教如がどのような要求を突きつけてくるか次第で対応が変わるでしょうな」
「承知いたしました。何かしら動きがあるまで様子を見ると言うことを皆に伝えるとしましょう」
「帝については私の方から慰撫させて頂こう。ご使者殿はその旨を皆に伝えられよ」
前久の派閥に属する公家が遣わせた使者は安堵の表情を見せる。その立ち去り際の一瞬の表情を前久は見逃さなかった。
信長のお陰で京の治安が安定しているとはいえ、公家たちの生活は優雅から程遠いのが現状だ。特に公家の大多数を占める下級貴族たちの生活は、ともすれば豪農にすら劣ることがある。
それでも貴族には貴族の面子と義務があり、官軍が編成されるとなれば厳しい懐事情を更に
(少なくとも我らの派閥からは、裏切り者を出さずに済みそうだ)
前久は今回の騒動が、織田家に拠る日ノ本統一を良しとしない者たちによって画策されていることは、早い段階から掴んでいた。
事前に情報を得ていた前久だが、彼はそれを
なぜなら計画自体が
ゆえに前久は、この計画自体が漏洩することを前提とした自分に対する罠だと判断していた。しかし、実際に計画は実行された。
(
前久は使者の立ち去った室内にて、しばし思索に
最悪の状況を想定し、自分の派閥が既に切り崩されているか確かめてみたが、彼らの手はそこまで長くないようだと言うことが判った。
ならば遠慮など要るまいと判断した前久は、我欲の為に面倒ごとを引き起こした愚か者に鉄槌を下す方策を練り始めた。
教如の暴挙に狼狽していたのは朝廷だけであり、信長は
「帝より
配下の諸将より教如への対処を問われた信長は、面倒そうにそう答えた。彼にとって本願寺の件は既に終わったことであり、今更教如が何をしようと本願寺再興など夢物語でしかない。
信長との抗争の結果、今や本願寺門徒にかつての結束力は無い。それどころか顕如や頼廉に従う穏健派と、教如の唱える徹底抗戦に同調する強硬派とに分かれて互いに牽制し合うようになったからだ。
これは本願寺との和睦が
これらの工作によって一致団結するはずの本願寺門徒間に経済的格差が生まれ、生活に余裕の生まれた穏健派は争いを
極端な言動や過激な行動が目立つようになった強硬派は排斥され、今や教如が信長討つべしと唱えたところで呼応するのは現状に不平不満を抱いている強硬派のみだろう。
朝廷が事態を収拾すべく奔走する中、静子は謹慎中の四六を呼び出していた。
「そろそろ朝廷が行動を起こす頃でしょう。四六は私の出した課題に対する答えを出せましたか?」
静子の言う課題とは、四六が上杉家のお家騒動に許可なくついていったことに対する罰として日々課されるものであった。そして直近では、教如が和睦を反故にして立て籠った件を、どのように決着させるのかについて四六なりの答えを出すという課題が出されていた。
少々難しい課題であり、答えが出せずとも方向性さえ見いだせていれば上々と考えていた静子の思惑に反し、四六は堂々たる態度で首肯してみせた。
「此度の件の結末として、教如の死は避けられないと考えます。とはいえ率先して本願寺を攻撃するのは下策と存じます。かつての勢いを失ったとは言え、それでも本願寺門徒は十万を数えます。そして本願寺内には和睦に肯定的であった穏健派が主流となっており、一部の過激派が蜂起したからと言って一律に虐殺すれば批判は免れませぬ」
「ふむふむ、まずは良く現状を把握できていますね。しかし、上様は本願寺に対して積極的に関与する様子を見せておられませんよ? 一律に虐殺が起こると判断した根拠はあるのですか?」
「今の朝廷に本願寺を叩く力は無いと考えます。そして力が無いならば、有るところから借りるのが道理でしょう。即ち上様に朝敵となった本願寺を討つよう、宣旨が下されると思料しました」
「なるほど、目の付け所は良いですね。しかし、少し論理の飛躍があるようです。恐らくですが、上様に対して宣旨が下されることはないでしょう」
「対立の当事者たる上様を差し置いて官軍が組織されるのでしょうか?」
「今の問いは減点です。私の意見を受けて、それに対する自分なりの考えを導く前に問いを発していますね? これは意識して習慣付け無いと中々身につかないので、常に心掛けるようになさい。折角ですから一緒に少し考えてみましょう、今回の件は朝廷主導による和睦です。これをご破算にされた上に、それに対する始末を付けられず、上様に頼った場合を想定します。この状況で一番面目を潰しているのは誰でしょう?」
静子に指摘され、四六は思考を放棄して静子が持っているであろう解答に飛びつこうとしたことに気が付いた。己の浅慮を自戒しながらも、静子が手ほどきをしてくれる機会を逃すまいと必死に思考を巡らせた。
「その場合、朝廷が立場を失います。双方から和睦を付託され間を取り持ったにもかかわらず、そのお膳立てをひっくり返した者を罰することが出来ないのであれば、もはや朝廷には和睦を仲介する資格なしと断じられるでしょう」
「良くできました。上様は当事者であり、朝廷からすれば迷惑をかけた相手になります。朝廷としては上様に後始末を願うということだけは避けたいはずです」
「しかし、実際に朝廷が持つ武力では本願寺に攻め入ることすら難しいでしょう。精々が門跡を取り消して、朝敵に認定するのが限度では?」
「良く分析できていますね。しかし、それでは結局朝敵を討つという外部の力を頼ることになり、朝廷の面子が回復されません」
またしても静子の持つ解答に飛びつきそうになった四六だが、すんでのところで言葉を飲み込み思考を巡らせる。彼は頭の中で何か見落としが無いか、一度状況の整理を試みた。
今回の織田家と本願寺との和睦は対等な状況での和睦ではない。織田軍と本願寺とのいくさは既に消化試合の様相を呈しており、大勢は決してしまっている。
そこで本願寺を掌握している頼廉が、直接織田家との和睦交渉を避け、少しでも有利な和睦条件を結ぶべく朝廷に和睦の仲介を依頼したという経緯だ。
間に第三者を介することで実質的な無条件降伏から、条件付きの敗北へと軟着陸を試みた結果、織田家としても朝廷の顔を潰すわけにはいかず譲歩をすることになった。
最初に織田家の譲歩を引き出したことにより、次は本願寺側に譲歩を迫り、朝廷は見事に少しずつ和睦の条件をまとめつつあった。
本願寺の武装解除も済み、本願寺の首脳である顕如と頼廉の身柄を織田家に引き渡すことと引き換えに本願寺の包囲も解除された。残すは本願寺からの退去のみという段になって行方を
本願寺の引き渡しに立ち会うべく本願寺内の退去確認をしていた朝廷の代官を拘束し、
朝廷から派遣された代官は解放されず、彼の安否は不明のままだ。静子は代官こそが教如を手引きした共犯者であろうと指摘しており、四六も同意見であった。
(いくら何でも都合が良すぎる。顕如と頼廉の身柄を引き渡す際に、本願寺門徒の退去も始まっていた。それに合わせて上様は佐久間様に本願寺の包囲を解かせている。本願寺からの退去が滞りなく進んでいることを確認するため代官が本願寺内に入った途端に武装蜂起。大量の武具や物資及び多くの僧兵は何処からやってきたのか? 朝廷の代官一行に紛れて入り込んだと見るのが自然だろう)
本願寺に対する武装解除は早い段階になされており、内部には武器らしい武器は置いていない状況だった。頼廉は渋る門徒を説得して回り、本願寺の防衛設備を解体して退去の準備を進めていったのだ。
籠城するのであれば堀や櫓といった防衛施設が残っている方が有利だと言うのに、それらが完了してからの武装蜂起というのだから理屈に合わない。
(朝廷としては己が信任して派遣した代官が反乱を手引きしたなどという事実は認められない。何としてでも自分たちの手による解決を図らねばならないのだが、無い袖は振れない。母上の言から読み解けば、朝廷内の戦力を用いることになるが……)
いくら考えても四六には見当がつかなかった。朝廷にも警備を担う兵力は存在するが、それら全てを派兵しては京の警備がままならない。更に、そもそもが防衛の為の兵力であり、外部へ侵攻するための訓練など積んでいないのだ。
加えて朝廷の懐具合は極めて厳しい。主要な収入源であった荘園はかつての一割にも満たず、いくさは愚か生活を維持するので精一杯と聞いている。
「判りませぬ。私なりに考えてみましたが、朝廷の持つ兵力は大名に遠く及びませぬ。そんな彼らが用いる事の出来る戦力などあるのでしょうか?」
「灯台下暗し、ですね。あまりにも近すぎて見落としていますよ? 公家の中にも織田家の重鎮に匹敵する軍事力を擁する人物が居られませんか?」
「ま……まさか!?」
ここまで言われて四六は思い至った。巨万の富を持ち、織田軍有数の精兵を抱え、絶大な政治的影響力を持つ
「も、もしや母上ですか? 確かに母上は摂関家である近衛家の人間ですが……」
「ご名答!」
静子はポンと手を打って花がほころぶように微笑んで見せた。
「上様に仕えている身ですから、厳密に言えば公家とは言えません。それでも朝廷から見れば、官位も役職も与えた公家の一員であると言えるでしょう。ゆえに彼らが取るべき手段はただ一つ、どうにかして私を公家側に巻き込むことですね」
「流石に無理筋というものでは無いでしょうか? 母上は現在、上様の手がける各方面軍を後方から支援する兵站の統括者です。その母上を駆り出すという事が何を意味するか判らぬ朝廷ではないでしょう」
静子は現在、信長が手掛ける東西の征伐作戦に関する後方支援を一手に担っている。直接的な戦闘には関与していないとは言え、作戦や計画を立案するなど軍師的な役割をも担っていた。
表向きには信長がすべて差配しているように見せているが、実際には静子が信長の名代として各方面に調整を図っている場面が多い。電信が実用化されて以来、この流れは加速している。
早馬などの従来の手段も間者対策のため併用しているが、実際には電信を介して信長と静子は常に意見を交わしながら兵站を運用しているのだ。
今まで織田領内を行き来していた早馬が突如として姿を消せば、それに取って変わる何らかがあると喧伝しているに等しい。こうして無駄とは知りつつも、従来の通信手段を維持していることで敵陣営の諜報をかく乱することに成功している。
「西方の戦況は落ち着いていますし、東方征伐に関しては当分動きがないでしょう。しっかりと準備をすれば、一週間程度の時間は捻出できるかな?」
「母上は一週間で難攻不落と名高い本願寺を落とせるのですか?」
「はてさて、勝負は水ものですからね。いずれにせよ朝廷から私に対して接触があるでしょう。義父上としても朝廷からの正式な依頼であれば、私との橋渡しを拒絶することは難しいでしょうから」
静子の言葉を聞いた四六は悟った。静子は一週間で教如の問題を解決できる算段が既についているのだと。よしんば決着が付かずとも、決着に至る道筋は確実に通せる見通しが立っているのだろう。
彼女が常々口にしている「いくさは始まる前に決着をつけておかなければならない」と言う言葉の意味を四六は噛みしめた。
そうした準備に裏打ちされた静子の余裕ある態度が、配下の者にとっていくさを目前に控えているというのに焦燥に駆られることなく、穏やかな湖面の如く安定した日々を支えているということに思い至った。
(自分は未だ母上の足元にも至っていない。己の一生を賭したとして、その背に追いつけるかすら判らない。しかし、それでも偉大なる母の背を追わずにはいられない)
「となれば、上様としては面白くないでしょうね」
「そうですね。自分で言うのも何ですが、私は織田家の中枢に近い位置にいます。一時とは言え、その力を貸すのですから上様には何らかの利が齎されねばなりません。恐らくは朝廷と何らかの取引をすることになるでしょうし、そうなれば義父上も矢面に立たざるを得ないでしょう」
「実際に労を取る母上に何ら利が無いように思えますが……」
思わず口をついてしまった四六の言葉に、静子は苦笑を返す。
「確かに一連の騒動に関して骨を折っても私には利がありません。しかし、騒動が片付いた後はどうでしょう?」
「なるほど! 本願寺を解散させた後、大坂(現在の大阪)の地を再興させるには母上のお力が必要となります。配下の労に報いねば、今後朝廷に力を貸そうと言う者は現れなくなりまする。しかし、朝廷としては母上に支払うべき対価が無い。となれば和睦を取り持ったことに対する報酬より払うほかなく、つまりは大坂開発の各種利権を与えられるといったところでしょうか?」
「恐らく大坂の地は、天領(天皇の直轄地)になるでしょうね」
「天領としたのち、実際の管理は近衛様に委託されるのでしょう。しかし、近衛家は母上以外の軍を持たないゆえ、織田家に軍の駐留を依頼する。朝廷や近衛様は大坂の地より上がる税を得られ、本願寺門徒は武力を持たないことを条件に信仰と居住を許される。上様は軍を駐留させることで実質的に大坂を支配下に置き、各種開発の利権に伴う収益が母上を経由して入ってくる」
「その辺りが落としどころでしょうね。その上で将来に向けていくつか布石を打ちましょう。あの一帯に再び城砦を造られては面倒なので、それらを許さぬように大規模な土木工事を行います。そしてその土木工事の人夫として本願寺の門徒を雇いましょう」
「着の身着のまま放り出された門徒であっても、日銭を得ることができ生活基盤を整えることができますね。さすれば織田家に対する不満もいくらか和らぐでしょう」
「教如の武装蜂起のせいで、彼らは住む場所を追われ、持ち出せない家財を失うことになるのですからね。しかし、堀はともかく上物を解体するのも一手間ですね。それに物が残っていれば未練が湧くのも人の常。いっそのこと、教如のせいにして焼失させてしまえば禍根が生じないかな?」
四六は突如として空恐ろしいことを口にし始めた静子に恐怖を感じた。己の財産を奪われたとなれば恨みも残るが、全てが焼失してしまっては諦める他ない。
罪をなすりつけられる教如を除外すれば八方丸く収まる妙案と言えるだろう。
いたずらを思いついた子供のように目を輝かせる静子の様子に、四六は偉大なる母の意外な一面を見ることになる。
「天然あすふぁると、ですか?」
「そうそう。外洋へ繰り出す際に必要となる技術の副産物としても得られるんだけれど、色々と便利に使えそうだから伝手を使って取り寄せたんだ。余らせておくのも勿体ないし、物資運搬用の線路を敷設するには量が足りないから処分に困ってたんだよね。これが渡りに船って奴かな?」
急に早口になった静子がまくしたてる単語の多くを四六は理解することができなかったが、静子の楽しげな様子を邪魔するまいとメモを取りつつ相槌を打つのであった。
静子から言い渡された慶次の断酒期間である半月が過ぎた頃、時を同じくして四六の罰も解除され、二人は以前と変わらぬ日常へと戻っていた。
五月が終わり、六月の上旬。当事者である静子の知らない密室にて、朝廷と前久、信長の三者に拠る約定が交わされる。それは静子が四六とともに予想していた通りのものであった。
朝廷は関白である前久を官軍の総大将とし、近衛家の息女である静子の軍を主として官軍を編成した。朝廷は表立って信長に協力を要請しなかったが、実質的に信長の軍を借り受けることとなるため、信長に対して迷惑料と称する恩賞を約束した。
また静子が信長の各方面軍を支える兵站の総括者であるため、彼女と彼女の軍を借り受ける期間は一週間を限度とすることを正式に書面を交わしている。
いくさに関しては素人である朝廷は、一週間では心許ないと延長を申し入れたが、信長は「静子直属の軍を動員して一週間も掛かるようなら、そもそも本願寺は落ちぬ」と返されたため引き下がった。
「ようやく方針が決まりましたか。そろそろ私に声がかかるでしょうし、今のうちに
信長から臨時の電信があり、今後の予定を知った静子は保留となっていた伊達家の使者と面会することにした。
伊達家よりの使者は随分前に尾張へと到着していたのだが、本願寺の件が緊急であったため逗留を促し、面会を先延ばしにしていた。なお
甲斐は未だ混乱期にあり、街道を逸れて山道を隠れ進む者は間者の可能性を捨てきれない。ゆえに密書を携えた使者であろうとも拘束され、その身元を国許に照会できるまで留め置かれることになっている。
(北条の間者に情報を流したのは真田さんだろうから、ここまでは予定調和かな)
定時連絡を利用する真田昌幸と、随時に電信を利用できる信長との情報伝達に時差が出た形だが、自分の推測は当たっているだろうと静子は考えていた。
密書を託された使者であれば、相当に用心して移動しているため、そう簡単に捕まるようなへまは犯さない。
それにも拘わらず間者に捕縛され、またその情報を信長が知っているという状況は、静子の予想以外では考えにくい。
(流石は真田さん、狸の面目躍如といったところかしら。蘆名を捨て石にして、同盟に不和を生み出した手腕は流石なんだけれど、表立って褒められないから、後でこっそり褒美を渡すとしましょうか)
あれこれと考えを巡らせていると、あっという間に伊達家の使者との面会時間となった。果たして静子の前に現れた伊達家の使者は、予想通り
「この度は尾張
基信は静子を前にて深々と頭を下げ、恭しい態度で拝謁の礼を述べた。尾張三位とは静子が朝廷より賜った官位を基にした敬称である。
他には役職である尾張
「堅苦しい挨拶は抜きにしましょう。遠藤殿がここ尾張に参られたということは、伊達家は北条の同盟を脱し、織田家に
「はっ! 我が殿より親書をお預かりしておりますれば、どうかお検め頂きたい」
静子は遠藤が小姓を通じて渡してきた親書を検め、内容に目を通していった。挨拶や前置きを抜きにすれば、伊達家の置かれている状況と、伊達家は織田家に臣従する旨が書かれていた。
「判りました。伊達様のご意向は私より上様にお伝えいたします。取り急ぎ佐久間様を援軍として派遣する許しを得ておりますので、段取りをつけます」
静子の言葉に基信の表情が硬直する。しかし、すぐに表情を読まれないよう平伏すると礼を述べた。
現在伊達家が置かれている状況は中々に難しく、最盛期である伊達
北条の同盟に加入したのも、これらを一時停戦に持ち込む為であった。勢いに乗っている相馬家といえども、関東の覇者である北条と縁を結んだ伊達家に噛みつけるほど向こう見ずではなく、さりとて野心を諦めることもできず拮抗状態となっている。
しかし戦国最強と謳われた武田家が僅か一か月で攻め滅ぼされ、それに対して同盟たる北条が手を
伊達家としては相馬親子がいつ停戦を破棄して攻め込んでくるか、気が気ではない状況に陥っている。
ゆえにこそ何としても織田家からの援軍が必要であった。伊達家の背後には織田家がついたと周囲に知らしめる必要があるのだ。虎の威を借りる狐と言われようとも、弱者が弱肉強食の乱世を生き抜くためには仕方ない。
「最上家は再び伊達家の家臣として併呑し、蘆名家については如何様にでもお好きになされれば良いと上様は仰せです」
「そ、そこまでお許し頂けるのですか!?」
「構いません。私は上様の名代として話しております。私の言葉は上様のお言葉、ご心配とあらば上様より約定書を賜る手筈となっております」
「
必要かと問われれば、勿論書面があれば形として残る為確実である。しかし基信としては書面よりも、静子がどの程度信長に影響力を持っているかを知りたかった。
信長と面会したくば、静子を通して願うのが一番早いと言わしめるほどに信任が厚いと言うのが静子の評判である。それが本当かどうかを推し量る試金石となると基信は考えた。
「遠藤殿はこう仰っておいでですよ、上様?」
静子の言葉と同時、襖が勢いよく開けられた。唐突な快音にビクリとした基信だが、襖を開けた人物が誰かを理解して彼の思考は漂白された。
「書面が必要というより、貴様の力がどれ程のものかを試されておるのよ」
襖の向こうには、悪戯が成功したことでご満悦の信長がいた。
しばらく不定期連載にします。活動自体は続ける予定です。 洋食のねこや。 オフィス街に程近いちんけな商店街の一角にある、雑居ビルの地下1階。 午前11時から15//
本が好きで、司書資格を取り、大学図書館への就職が決まっていたのに、大学卒業直後に死んでしまった麗乃。転生したのは、識字率が低くて本が少ない世界の兵士の娘。いく//
アスカム子爵家長女、アデル・フォン・アスカムは、10歳になったある日、強烈な頭痛と共に全てを思い出した。 自分が以前、栗原海里(くりはらみさと)という名の18//
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