組織にはいろいろな立場の方がいらっしゃいますよね。それぞれに対立する要素を内包しています。
正社員 vs 非正規社員、営業担当 vs 技術担当、バックオフィス vs 前線部隊
そんな、それぞれの利害関係に折り合いをつけて、一つの目標に対して邁進することが求められる
わけです。
ただ、みなさんの身近にはこれに失敗しているチームや部門も少なくないのではないでしょうか。
戦乱の世の中でもこの手の問題はしょっちゅうでした。
今回は、うまくいったチームとうまくいかなかったチームを対比して、
組織内の分断を克服する方法を探ります。
■ どうにもならなかった事例:能登畠山氏
いきなり、どマイナーな選択で恐縮ですが、少し解説させてください。
能登畠山氏は、室町時代を通じて日本海交通の要衝である能登をおさめてきました。
能登半島中央の湾岸部を統制下におき、その富で大きな力をふるいます。
それが、象徴しているのが「七尾城」。もともと町のなかった山を選択し、山上に巨大要塞
を築き、山下に巨大な町を運営していました。

↑ 織豊期でもないのに、山上にこんな石垣をつくって君臨していたわけです。
加賀の一向一揆の進出をたびたび退け、その権勢を維持していました。
ですが、その内部には深刻な対立が存在していました。
簡単に重臣一覧をならべます。
・長氏:七尾の対岸である穴水に拠点を持つ地元勢力
・遊佐氏:畠山氏の能登入国に従ってきた畠山譜代勢力
・温井氏:畠山氏が能登入国後、側近として成長した。地元勢力
・飯川氏:畠山氏の前任者である吉見氏の家臣だった。半分地元勢力。
・三宅氏:畠山氏譜代勢力
・伊丹氏:畠山氏譜代勢力
・土肥氏:末森城に拠点をもつ在地勢力。
おおよそ、畠山氏の譜代と、在地勢力が半々を占めるこの家臣団。
この方々、はげしい内訌を繰り広げます。
守護代である遊佐氏はある程度その権勢を維持し続けますが、これに対して長氏や飯川氏が挑戦
しつづけます。その中で急速に台頭した温井氏などが暴れまわるという感じです。
それでも、血をみることはあまりなかったのですが、ついに織田氏と上杉氏に迫られたとき、
幼主のもと内訌が発生。遊佐氏が長氏など親織田派をせん滅。逆に、上杉後退後には遊佐氏が皆殺しに
されます。そんな中、畠山氏は能登から消えてしまうのです。
■ うまくいったケース 織田氏の場合
織田氏は、急速な勢力拡大に伴いその内部には多様な家臣団を抱えていました。
国持レベルの大身をざっくりならべてみました。
・明智光秀:元幕臣。美濃出身。
・羽柴秀吉:身元不明
・柴田勝家:尾張時代からの家臣(ただし、もとは謀反を起こした弟の派閥)
・佐久間信盛:尾張時代からの家臣
・丹羽長秀:尾張時代からの家臣
・滝川一益:甲賀出身という噂もあるが、出所不明
・安藤守就:美濃の有力領主
・稲葉一鉄:美濃の有力領主
・蒲生賢秀:近江の有力領主
・松永元秀:元幕臣。(裏切ったけど)
・荒木村重:摂津の領主
ところが、実はよく見てみると織田の家臣団にはある種のすみわけがあることがわかります。
方面軍まで分解してみてましょう。
● 北陸方面:柴田勝家の麾下
前田利家(尾張)、佐々成政(尾張)、金森長近(美濃)、不破光治(美濃)
●四国方面:神戸信孝、丹羽長秀麾下
神戸信孝は信長の息子で、家臣は織田からの出向組、伊勢守護の家臣がならびます。
他方、丹羽長秀は若狭の領主を束ねて出征しています。
■ 関東方面軍:滝川一益
関東国人衆
■ 畿内方面軍:明智光秀
細川藤孝(旧幕臣)、筒井氏
■ 中国方面軍:羽柴秀吉
尾張出身の武将を中心に、播磨出身者などが少し混ざる程度
方面軍の司令官は多様な出身ですが、麾下はかならず
1. 尾張・美濃組(中・上級司令官)
2, 地元勢力 or 方面軍司令官ゆかりの部隊
という2部構成となります。中・上級司令官はおよそ尾張・美濃出身者が中心となるわけです。
基本的に、信長の馬回りは美濃、織田出身でこれに近江出身者が続きます。旧幕臣はまれでした。
また、息子の信忠の家臣団は旧尾張守護の家臣団が多く、これが武田征伐では中心的に活躍します。
能登畠山氏に置き換えて考えると、畠山譜代と在地領主にある程度の身分差をつけるという
かんじでしょうか。
そう、織田信長は不条理だったかもしれませんが、「違うものをまぜて保管していなかった」
「譜代のほうが管理職になりやすい組織をつくっていた」のです。
もちろん、違う者同士は反目しあいます。しかし、それはチームわけされたチーム同士の戦い。
かつ「同じ目標に向けて競いあう」というものでした。
ここから考えてみましょう。
[考察] 組織内に存在する分断を克服するには?
1. ある程度差別する。(やな言い方になりますが、組織内の擾乱を防ぐには良い手段です。)
2. ただし、手柄は客観的に評価する。(そうでなければ、新規加入がなく組織がなりたちません。)
3. 多様なものに同じ権力を持たせておいておかない。(1に通じるものがありますが、大事です。)
これが、効率の良い組織を作るにはみそとなる要素であると考えています。
正社員 vs 非正規社員、営業担当 vs 技術担当、バックオフィス vs 前線部隊
そんな、それぞれの利害関係に折り合いをつけて、一つの目標に対して邁進することが求められる
わけです。
ただ、みなさんの身近にはこれに失敗しているチームや部門も少なくないのではないでしょうか。
戦乱の世の中でもこの手の問題はしょっちゅうでした。
今回は、うまくいったチームとうまくいかなかったチームを対比して、
組織内の分断を克服する方法を探ります。
■ どうにもならなかった事例:能登畠山氏
いきなり、どマイナーな選択で恐縮ですが、少し解説させてください。
能登畠山氏は、室町時代を通じて日本海交通の要衝である能登をおさめてきました。
能登半島中央の湾岸部を統制下におき、その富で大きな力をふるいます。
それが、象徴しているのが「七尾城」。もともと町のなかった山を選択し、山上に巨大要塞
を築き、山下に巨大な町を運営していました。
↑ 織豊期でもないのに、山上にこんな石垣をつくって君臨していたわけです。
加賀の一向一揆の進出をたびたび退け、その権勢を維持していました。
ですが、その内部には深刻な対立が存在していました。
簡単に重臣一覧をならべます。
・長氏:七尾の対岸である穴水に拠点を持つ地元勢力
・遊佐氏:畠山氏の能登入国に従ってきた畠山譜代勢力
・温井氏:畠山氏が能登入国後、側近として成長した。地元勢力
・飯川氏:畠山氏の前任者である吉見氏の家臣だった。半分地元勢力。
・三宅氏:畠山氏譜代勢力
・伊丹氏:畠山氏譜代勢力
・土肥氏:末森城に拠点をもつ在地勢力。
おおよそ、畠山氏の譜代と、在地勢力が半々を占めるこの家臣団。
この方々、はげしい内訌を繰り広げます。
守護代である遊佐氏はある程度その権勢を維持し続けますが、これに対して長氏や飯川氏が挑戦
しつづけます。その中で急速に台頭した温井氏などが暴れまわるという感じです。
それでも、血をみることはあまりなかったのですが、ついに織田氏と上杉氏に迫られたとき、
幼主のもと内訌が発生。遊佐氏が長氏など親織田派をせん滅。逆に、上杉後退後には遊佐氏が皆殺しに
されます。そんな中、畠山氏は能登から消えてしまうのです。
■ うまくいったケース 織田氏の場合
織田氏は、急速な勢力拡大に伴いその内部には多様な家臣団を抱えていました。
国持レベルの大身をざっくりならべてみました。
・明智光秀:元幕臣。美濃出身。
・羽柴秀吉:身元不明
・柴田勝家:尾張時代からの家臣(ただし、もとは謀反を起こした弟の派閥)
・佐久間信盛:尾張時代からの家臣
・丹羽長秀:尾張時代からの家臣
・滝川一益:甲賀出身という噂もあるが、出所不明
・安藤守就:美濃の有力領主
・稲葉一鉄:美濃の有力領主
・蒲生賢秀:近江の有力領主
・松永元秀:元幕臣。(裏切ったけど)
・荒木村重:摂津の領主
ところが、実はよく見てみると織田の家臣団にはある種のすみわけがあることがわかります。
方面軍まで分解してみてましょう。
● 北陸方面:柴田勝家の麾下
前田利家(尾張)、佐々成政(尾張)、金森長近(美濃)、不破光治(美濃)
●四国方面:神戸信孝、丹羽長秀麾下
神戸信孝は信長の息子で、家臣は織田からの出向組、伊勢守護の家臣がならびます。
他方、丹羽長秀は若狭の領主を束ねて出征しています。
■ 関東方面軍:滝川一益
関東国人衆
■ 畿内方面軍:明智光秀
細川藤孝(旧幕臣)、筒井氏
■ 中国方面軍:羽柴秀吉
尾張出身の武将を中心に、播磨出身者などが少し混ざる程度
方面軍の司令官は多様な出身ですが、麾下はかならず
1. 尾張・美濃組(中・上級司令官)
2, 地元勢力 or 方面軍司令官ゆかりの部隊
という2部構成となります。中・上級司令官はおよそ尾張・美濃出身者が中心となるわけです。
基本的に、信長の馬回りは美濃、織田出身でこれに近江出身者が続きます。旧幕臣はまれでした。
また、息子の信忠の家臣団は旧尾張守護の家臣団が多く、これが武田征伐では中心的に活躍します。
能登畠山氏に置き換えて考えると、畠山譜代と在地領主にある程度の身分差をつけるという
かんじでしょうか。
そう、織田信長は不条理だったかもしれませんが、「違うものをまぜて保管していなかった」
「譜代のほうが管理職になりやすい組織をつくっていた」のです。
もちろん、違う者同士は反目しあいます。しかし、それはチームわけされたチーム同士の戦い。
かつ「同じ目標に向けて競いあう」というものでした。
ここから考えてみましょう。
[考察] 組織内に存在する分断を克服するには?
1. ある程度差別する。(やな言い方になりますが、組織内の擾乱を防ぐには良い手段です。)
2. ただし、手柄は客観的に評価する。(そうでなければ、新規加入がなく組織がなりたちません。)
3. 多様なものに同じ権力を持たせておいておかない。(1に通じるものがありますが、大事です。)
これが、効率の良い組織を作るにはみそとなる要素であると考えています。
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