『ジュリアス』となった子供1
一人出自が極めて不明なジュリアス編。
ジュリアスの一番古い記憶は、背を向けて本を読む女の姿だ。
それが母親だと知ったのはだいぶ後だった。
癖のない、真っすぐ伸びた滝のような白銀の髪が、痩躯の背に流れている。簡素だが綺麗で良い服を着ていた。
その女はジュリアスに興味がなかった。
いつも本か、開かない窓から外を眺めていた。
恐らく、彼女は奴隷か愛妾か知らないが自由のない身の上だった。
たまに部屋から出ていくが、大抵誰かが一緒についていた。ジュリアスも出たいと思ったが、一度もそれは通ることがなかった。
行動の自由はないが着るに困らなく、食事も出され、それなりの寝床があった。不変で閉鎖的な空気が漂い窮屈だが、衣食住はちゃんと整えられていた。
ジュリアスにとってそれが『日常』であり『普通』だった。
幼いジュリアスは、何度か彼女に手を伸ばしたか素気無く振り払われ、時には鬱陶しそうな目で見られた。
ジュリアスは、望まれて生まれた子供ではなかった。
美しいといえる女性だったのだろう。白い肌に、銀の髪――いつも拒絶を纏う表情か、無表情のどちらかでしかなかったが造作は整っていたと思う。
幼いジュリアスには無機質な部屋とその女性だけが世界だった。
窓からたまにではあるが子供が見えた。その子供たちは花を摘んだり、花冠を作ったり、かけっこやモノ探しのようなゲームをしていた。
何が楽しいか分からない。でも、上がる歓声や笑い声。やけに楽しそうだったから、気になった。
定期的に食事と掃除に誰か来ることがあったが、ジュリアスは好きではなかった。
ジュリアスは『邪魔者』ではなく、『邪魔な物』として扱われていた。
そんな平坦で冷ややかな日々が続いていたが、ある日を境に変わった。
いつもくる『誰か』が少し違った。腕や服が黒っぽく、部屋の外が何やら騒々しかった。
あとで知ったが喪服と喪章をつけていたのだ。簡易な喪章は、黒い腕章やスカーフだった。
小さな袋を女性に押し付けると、部屋からどころか屋敷から追い出された。
初めて見た外は明るく、広く、自由だった。きょろきょろとしていると、ジュリアスはいつの間にか女性から離れていて慌てて追いかけた。
その時、女性がこんなに速くたくさん動けることを知った。
小さなジュリアスが必死に足を動かしても、背が高い女性の淀みない歩きの方が早かった。
帽子をかぶっていたが、背中を覆う銀色の滝を目印に追いかけていた。
余り物も人もない場所なので、幼子でもなんとか見失わずに済んだ。それは、その頃から抜きんでたジュリアスの記憶力もあってのことだった。
必死に追いかけて、何とか女性のスカートを捕まえた。
女性は汗だくのジュリアスを見下ろしていた。
しばらく進むと、見たことのない物ばかりの、変な臭いのする沢山の人と建物のある場所があった。
それが町と言われる場所。たくさんの人、たくさんの音、たくさんの物。
ジュリアスは本能的に危機感を覚えていた。漠然とした恐怖に、より強くスカートを握り締めた。
その時、ジュリアスの上に影が差す。
「少しここで待っていてね――■■■■」
そういって、ジュリアスは頭を軽く撫でられた。
女性からこんなことをしてもらったことは初めてだったジュリアスは、びっくりして、でもなぜか胸がほわほわしてこくりと頷いた。
最後に何か言っていたけれど聞き取れなかった。
ジュリアスは待った。
人が沢山通り過ぎ、太陽が傾き、周囲が暗くなって店が閉まり、人気も無くなっても待っていた。
待って、待って、待ち続けた。
最初は近くの店の人が声をかけてくれた。
しかし、暫くしてジュリアスが母親に捨てられた子供だと分かると憐れんで、だが面倒くさそうな顔をしつつも追い払った。
ジュリアスのような境遇は珍しくないらしい。
次に声をかけてきたのは、汚い子供たちだった。
彼らは、ジュリアスと同類だった。親がろくでなしだったり戦死や病死をしたり、様々な理由で肩を寄せ合う浮浪児たちだった。
それからは、自分で生きるためのモノをかき集める生活だった。
堕ちている物を拾い、ゴミを漁り、野良犬や野良猫とすら奪い合い。時には物を投げつけられ、罵声や怒号を上げられながら逃げ回った。
その頃にはジュリアスは自分の状況をこの上なく正確に理解した。一瞬だけ覚えた温もりも、初めて胸に宿った面映ゆいものも濁り凍えた。
幸い、ジュリアスは体も丈夫で足が速かった。そして、何より頭の回転が良かった。
たまに運悪くしくじったが、他の子どもたちよりも掴まって殴られる回数も少なかった。
聡明というより狡猾といった子供だったと言える。浮浪児中でも、あまり目立ちすぎるとならず者に目を付けられて締められるのが分かっていた。
所詮子供で、極度の貧困に喘ぐ中でも最下層であると理解していた。
浮浪児が翌日道の隅で冷たくなっているのは珍しくない光景だ。冬場なんて、良い場所が取れずに眠ったまま凍え死ぬなんてざらだった。
大人に殴られたり、食べたものに当たったり、そもそも食べ物が無かったり、不衛生な環境に病気なったり――死に至る理由はゴロゴロしていた。
いつも足元を見て、背をすぼめているようなジュリアスだが、一方で意識は冴えていた。
聞き耳を立て、下がった視界で隙を探していた。愚鈍な獲物を探していた。盗まれても気づかず、追いかけてこないのが理想的だ。
その頃には、いっぱしのスラムの一員だ。
痩せこけて薄汚く、垢に塗れた服と体。目だけが淀むかギラギラしている両極端。
誕生日なんて祝われたことがないジュリアスの、正確な年齢は不明だ。
そんなジュリアスの転機は、スリを働こうとしたことだった。
旅人用の埃除けのマント。薄っぺらですり切れた生地だが、足元に見える靴はすこぶる良い物だった。土埃で汚れて見えたが、ジュリアスの目は誤魔化せない。
背の高さからして男だが、その足が引きずるような癖を持って歩いていた。あれではうまく走れまい。きっと、過去に怪我でもしたのだろう。
帯剣している気配もないし、杖も持っていない。
丁度細い路地の入り組んでいる傍の道を歩いていた。そこは一本ずれれば、スラムの住民たちの縄張りだった。
先ほど、一瞬だが懐中時計を見ていた。あれは値打ち物だ。
闇市や骨董品屋で売りさばけなくても、潰した貴金属だけでも暫く食っていけそうだ。
恐らく、貴族が花街にでもコソコソと繰り出そうとしているところだろうと見当をつける。
ジュリアスは、あの男がどれ位ごとに時計を見ているかを観察していた。
約束でもしているのか、やたらと時間を気にしていた。
あとをつけ、少しずつ距離を縮めていく。ちらりと見えた顔が、老人のそれだと分かればますます笑みは深くなる。年寄りは一度転ぶと立ち上がれないのも多い。
そして、男が胸に手を伸ばしたところで一気に近づく。
時計に意識が行き、手のひらに懐中時計が握られているのを確認した時には手が伸びていた。
だが、その手は空ぶった。
そして、背中に肺が潰れて、背骨が軋むような強い衝撃を受ける。
噎せてのた打ち回ろうにも、背中を踏みつけられてしまい動けない。咳き込むことも許されず、腹に重い一撃を食らった。
老いぼれだと思われた男は、恐るべき機敏さでジュリアスを石畳へ押し付けた。
血反吐を吐いた。死を覚悟した時に一瞬見えたのは氷よりも冷ややかなアクアブルー。馬車の中からのた打ち回ることすらできないジュリアスを見下ろしていた。
罠だったと気づいた。
獲物だと思ったものが、あれが撒き餌だと気づいた。
あの動きは――足の悪い人間のものではなかった。
「――小物以下か」
吐き捨てるような言葉。怒りも疎みもない、無機質な視線。
朦朧とする意識の中、老人と氷の宝石のような男が言葉を交わわす気配がする。
「動きは悪くない。拾っておけ」
「畏まりました」
頭上で行われる会話の意味を理解する前に、ジュリアスの意識は途絶えた。
読んでいただきありがとうございました!
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