26年前
田舎の岐阜の片田舎大垣に
ロックくずれの25歳の兄ちゃんが
古着屋を作った
その頃古着屋なんて岐阜市内にもないとき
まわりの人には
古着なんて気持ち悪いって言われたが
大垣~名古屋
6店舗になった

30歳のとき
娘が生まれて
古着屋の子どもと言われるのを嫌い
服の作り方も知らないのに
GLAMDYと言うブランドをはじめた
当時はglam-Dなんてロゴだった
気がついたら百貨店でも売られて
関東~九州
13店舗になった
貧乏サラリーマンのせがれがね

40歳で調子に乗って本社ビルを持った
レストランや美容室もやったりして
その後も中国進出なんて大それたことを
上海の百貨店3店舗で売り始めるも
みごとに失敗
そのころ国内でも連戦連敗が続き
ご覧の通り
会社こそ残したがすでに死に体
今や浪人の身
武士は食わねど高楊枝 の精神で
東京などをふらついてるありさま

不可能を可能に変え
常識を常識ともせず
奇襲の数々
全ての戦いが背水の陣の総力戦
この経験を生かすときがやってきた
大将の器ではない
軍師として
ご奉公先が見つかった
今までの全ての戦いの経験・勝負勘を生かし
この大きな戦を成功させる是が非でも
あの大将の元で
生涯軍師として

古着屋DA-Yの一番最初のお客さんは
先日他界された
未来工業㈱創業者の山田昭男さんだった
そしてそのときお買い上げいただいた
セカンドバックを15年あまりボロボロになるまで
お使いになられ
「DA-Yの一番最初の客はおれだ」と笑い飛ばされておいでになったと
本当にありがとうございました
生涯をかけて御礼をさせていただきます


軍師・塩谷 昇