第169話 奴隷、予想を立てる
「貴方たちの下に、精霊がいるからです」とアーリンは視線を俺の背後へ向けた。
全員の視線がそちらに集中する中、「ほらみなさい、アタシのおかげなのよ」とアイネスが鼻を高くする。
「そちらの精霊は悪い精霊ではなさそうですし、その精霊に認められた者ならば、信用に値するでしょう。そして何より、私自身、あの禁書が何なのか知りたいのです。このタイミングで、貴方たちのような方が現れたのも、きっと神のお導きによるものでしょう」
アーリンの返答に、セレティアは苦笑しながらこちらに顔を向ける。
その目は、ヴィクトルを思い出しているのか、はたまた、禁忌を犯している俺が神に導かれることなどあるのか、と訴えかけてきているように見える。
「その判断はあくまでクロリナ教信徒として、
「そういうことです」
「それじゃあ、あともう一つだけ。どうしてピスタリア王国が狙われたのか、心当たりはあるかしら? 他国も襲われたようだけど、隣のムーンヴァリー王国は平和そのものだったし、あの国との違いが感じられない。恨みを買うような感じにも見えないし」
アーリンは首を軽く横に振り、口を開かない。
今まであらゆることを考え、行動していたと思わせるほど、その姿は途方に暮れている。
それがわかれば、暗殺予告が届いてから手の打ちようもあったのだろう。
ライザも慙愧の念に堪えられないのか、唇を噛み締めて肩を震わせている。
「セルティ、それ以上は俺たちには関係ないことだ。俺とアイネスがいれば、まず問題にはならないだろうからな」
「そうだけど、変なことに巻き込まれかねないじゃない……」
セレティアにも思うところがあるのだろう。
しかし、かなり不満気な表情を作りながらも、「なら、もうお終いね」と素直に引いた。
「十日経とうと何もなかったということは、予告日までは安全ということだろう――――そういえば、バルドが言おうとしていた、予告以外の、公にしていないものとは何なんだ?」
各国で暗殺を実行している話から、まだアーリン女王を一度も襲ってはいないのは確実。
仮にこの警備で一度でも退散させていたのなら、ここまで俺に頼る必要もないことになる。
やはりネックとなるのは、暗殺者が寄越したというメッセージだろう。
それが動機に繋がるかは別として、敵を知る上で聞いておく必要はあるはずだ。
「それはバルドも言っていたとおり、意味がわからないのです。『歪な環境を維持するのなら、神の審判を下す』という一文だけだったので。歪な環境などと、曖昧な言葉だけではよくわからず……」
力なく答えるライザは、救いを求めるような目を向けてくる。
確かにこれだけでは動きようがない。
歪な環境が何を意味しているのか……国が維持している何かではあまりに範囲が広い。
「国に対しての問いならば、行動で示すしかないものか」
「行動……ですか?」
ライザは首をかしげ、アーリンも釣られるように首をかしげる。
「神の審判とは大層なものだが……それだけの力があると誇示しているのか、それともクロリナ教と何か関係があるのか」
「もう直接聞き出せばいいじゃない。ここで考えても正解かどうかもわからないわよ」
セレティアは本棚に並ぶ背表紙を眺めながら、愛想のない言葉を返してきた。
「確かにそうだ。暗殺者に直接確かめるほうが早いだろう。――――まだ聞いていなかったが、ライザ、暗殺の具体的な日時はいつなんだ?」
「三日後となっています」
残された時間はないようだ。
予告日が近いこともあり、入国した俺たちが怪しまれたのだと思うと納得もいく。
逆に考えれば、王都に潜入してから暗殺予告を出せば、何も危険を侵さず、当日までやり過ごすことも可能だということだ。
もっと以前から潜入し、歪な環境に対する行動を観察していた可能性も捨てきれない。
そういう意味では、内部にも注意を払っておくべきか。
「アーリン女王の警護は俺たちが担当する。ライザはここを警護している者を引き上げさせてくれ」
「え? 言っている意味がわかりません。警護はそのままでも問題ないのでは……」
「俺たちだけで十分だと言っているんだ。この意味が、お前ならわかるだろう?」
ライザは一瞬顔を青くしたが、何も反論することなくすぐさま反転し、部屋を出ていった。
残されたアーリンも呆気にとられるだけで、何も言う暇がなかったようだ。
「イジワルな言い方するのね。何か考えがあったんでしょうけど、教えてあげてもよかったんじゃない?」
セレティアは俺の心を見透かしたように、胸を軽く小突いてくる。
「アーリン女王には悪いが、既に暗殺者が紛れ込んでいることも排除できないんでな」
「暗殺者が紛れ込んでいる!?」
アーリンは驚きと困惑が混じったような、想定外とでも言いたげた表情を浮かべる。
「そういうことも考えられる、というだけだ。そもそも外から乗り込んでくる必要がない。国の動きを知るなら、最初から内部で監視していたほうが効率は良いのは確かだ」
「……まさか……」
一つの可能性を示しただけだというのに、アーリンは動揺を隠せないようによろめき、そのまま椅子に腰掛けた。
血の気が引いた真っ白な顔は、何かを思い出そうとしているのか、意識は完全にこことは別のところへ飛んでいる。
「ただの可能性の一つにすぎないんだ、そこまで思い詰める必要はない。それよりも、他国での暗殺がどういったものなのか、詳細がわかれば助かるんだが」
アーリンは我に返ると、ギスター王国の惨状について語りだした。
ギスター王国という名を聞いて、七カ国会談にいた、あの狡猾そうな貴族の顔が浮かぶ。
最後までセオリニング王国の意見に反対し続けた国だ。