‐シリーズ・布施辰治と在日朝鮮人 その12(台湾の反植民地闘争弁護と朝鮮共産党事件)‐ | 歴史学を学ぶ大切さを伝えるブログ

‐シリーズ・布施辰治と在日朝鮮人 その12(台湾の反植民地闘争弁護と朝鮮共産党事件)‐

テーマ:近代史

前回の記事

 

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関係記事

 

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‐シリーズ・関東大震災と朝鮮人虐殺の全貌 最終回(なおざりにされる『教訓』と『生きづらさ』)‐

 

 

・「朝鮮→台湾→朝鮮」 歩む布施氏の軌跡

 

 

『台湾総督府』 (Wikiより)

 

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%B0%E6%B9%BE%E7%B7%8F%E7%9D%A3%E5%BA%9C

 

布施辰治は、単に日本の一介弁護士ではなかった。

 

翌一九二七年三月、おなじく総督政治に苦しむ台湾農民のために渡台した。

 

某製糖会社と砂糖キビを“契約栽培”する農民が、組合を組織したのを“騒擾罪容疑”で謙虚された事件である。布施は「控訴公判に台北高等法院で立ち会うため」であった。

 

彼は渡台のさい、北の基隆から南の高雄にかけて「植民地的搾取に反対して人間の尊厳を説く」講演を二〇回も行ない「熱狂的な歓迎を受けた」という。一方に、搾取と裁きで臨む日本人があり、他方に布施のような、民族を超えた人権擁護の日本人がいただけに、熱狂の拍手が起きたのであろう。

 

 

『事件の惨状』 (Wikiより)

 

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9C%A7%E7%A4%BE%E4%BA%8B%E4%BB%B6

 

植民地における圧迫は、二重の苦役と悲惨が加わる。たとえば、当時、台湾に滞在中の自由法曹団弁護士・古屋貞雄によれば、三井<財閥>所有地をはじめ多くの農民運動と弾圧があったが、とくに一九三〇年の「霧社蕃事件の時の弾圧は、部落<農民集落>ごとつぶしてしまう討伐だった」と述べている(『自由法曹団物語』一二四ページ)。

 

布施が台湾から帰って間もなく(同年九月)またも渡朝した。

 

今度は「朝鮮共産党事件」(朴憲永・李栄ら一〇五人)の大公判が京城<旧漢城・現ソウル>地方法院で開かれる。当時、民族運動すなわち共産主義者とみれば殺人的に拷問を加えていた。

 

非人的な人権蹂りんを訴えて「決死的拷問暴露」をしたので、さすがの布施も深い感銘的な印象を受けたらしく、被告たちの「民族の志の高さ」に感激した、とある。全朝鮮の民衆が、この裁判を注目し、これら闘士に、民族の希望をかけていたのだ。多忙な布施は数日で帰日し、あとは同伴の古屋貞雄が担当した。この事件で布施は「朝鮮共産党事件を審く」という論文を書いたが、そこには裁判官への巧みな論理が盛られている。

 

「その事件にたいする社会の人々が、これを罰すべしとするならば、その社会人心を承けてこれを罰し、また罰すべからずとするならば、そのとおり、これを罰しないのが、裁判官に許されるであろう。唯一の真の裁判なのであります」(裁判所は良心の耳にすませて朝鮮民衆の悲痛な声を聞いてもらいたい)と訴えた(平野義太郎「人権を守った人々━布施辰治『法学セミナー』一九五九年十一月号」)(森長英三郎によると、この布施の考えは、日本敗戦後“法定外の大衆闘争の傾向”として通じるようになった、と指摘している。)

 

その年の十二月にも布施は都朝し、この事件の弁護に努めた。

 

※<>は筆者註

 

『日朝関係の視角 歴史の確認と発見』 金一勉著 ダイヤモンド社 127~129頁より

 

 

・忘れてはならない 過去の記憶

 

 

人々が「己の保身」や「利益」に固執すること『当たり前』である世の中のはずなのに、歴史の営みにおいて、ごく稀に、極めて高い公益心と多動力を備えた識者がいることを、私たちは記憶しなければならないと思います。

 

シリーズ記事を通して、布施氏の活躍を見てまいりましたが、官民問わない虐殺が現実化する「悲惨な社会」のなかで、身の危険やキャリアを顧みず、時の政府に抗う形に、各地の植民地における搾取と人権侵害に異議を申し立てその能力を十二分に発揮する『エリート階級』が、その人間力の大きさに、ただただ敬服の念をいただくばかりですが、こうした「知性」と「度胸」を兼ね備えた人物に、もっともっと多くの方々が注目して、そこから得られる「社会公正のヒント」を見つけ、各人が知見を蓄えられれば、一個人の能力や負担に頼らない国造り「楽に」実践できると思いますが、現実としては「遠く及ばない」から、いつまで経っても、停滞と閉塞立場のありなしに関連して、差別と憎悪が渦巻く『相互不理解(分断)社会』に、人々は苦しみ続けるのでしょう。

 

 

<参考資料>

 

・『日朝関係の視角 歴史の確認と発見』 金一勉著 ダイヤモンド社

 

 

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