小室圭さん

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日本の“不文律”

 秋篠宮家の長女・眞子さま(29)の婚約者・小室圭氏(29)が発表した金銭トラブルについての反論文書は28ページにも及ぶ。文字数は2万字を超えるが、文中で一度も使われなかった表現がある。それは「申し訳ありません」といった謝罪の言葉だ。

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【写真】秋篠宮さまにしがみつく「眞子さま」

 文書の冒頭で小室氏は、《金銭トラブルと言われている事柄に関する誤った情報をできる範囲で訂正することを目的》に発表したと説明している。

 訂正が目的であり、謝る必要などない。そんな判断を下したのかもしれないが、記者は呆れて言う。

「小室さんは社会人経験もある、29歳の立派な大人です。ご自身の主張がどうあろうとも、文書の冒頭で『お騒がせして申し訳ありません』と、まず謝るのが常識ではないでしょうか。ところが現実は、28ページのどこを探しても、一言もお詫びの言葉を見つけることはできません。これには首を傾げざるを得ませんね」

小室圭さん

 記者の疑問を、そのまま識者にぶつけてみた。九州工業大学名誉教授の佐藤直樹氏に取材を依頼した。

 刑法が専門の佐藤氏は著者『なぜ日本人はとりあえず謝るのか――「ゆるし」と「はずし」の世間論』(PHP新書)などを上梓している。まさに謝罪に関する専門家だ。

 とにかく問題が起きると、日本人はとりあえず謝る。企業で不祥事が発覚すれば、社長などトップが会見を開き、「お騒がせしてしまい、誠に申し訳ありません」と頭を下げる。

“世間”の有無

 よく考えてみると、これは不思議な現象だろう。不祥事を起こした企業から、本当に迷惑を被ったのは、取引先や社員などに限られるからだ。

 にもかかわらず、社長はカメラの前で全ての日本人にとりあえず頭を下げる。テレビで見る視聴者は、直接は無関係の自分たちに謝ってきたことに疑問は抱かない。一体、日本人にとって謝罪とは何なのだろうか。

「欧米の企業で不祥事が発覚しても謝罪は稀です。欧米で謝罪は責任を認めたことになり、場合によっては賠償の支払いを認めたと捉えられかねません。不祥事が発覚した際、欧米で一般的に行われるのは釈明です」(佐藤氏)

 日本の場合、会見でとりあえず謝った企業が訴訟を起こされると、全面的に争うことは珍しくない。日本人がとりあえず行う謝罪は、賠償といった責任を認める行為ではないのだ。

「日本語に『世間』という言葉があります。日本人がとりあえず行う謝罪は『世間をお騒がせした』ことを詫びるためのものです。一方、英語には世間という単語はありません。ソサエティ(Society)は社会ですし、ワールド(World)は世界です。日本人は世間を慮って、とりあえず謝罪するのです。欧米には世間という概念がないため、とりあえず謝ることはありません」(同・佐藤氏)

「世間様に迷惑をかける」

 日本人は子供の時から「他人に迷惑をかけてはいけない」と教わる。これを昔の人は「世間様に迷惑をかけてはいけない」と諭した。

「東日本大震災で日本人が略奪行為を起こさなかったのも、コロナ禍で多くの人が自主的にマスクを付けるのも、全て『世間様に迷惑をかけてはいけない』という考えがしみ込んでいるからです。日本人は『安定した状態、秩序』を維持しようと心がけており、それを乱した者は『世間に迷惑をかけた』と判断されます。その場合は正否を問わず、なるべく早く、とりあえず謝罪しなければならないのです」(同・佐藤氏)

 不倫が刑法に抵触するはずもない。本来なら謝罪は不要だろう。欧米の芸能人が不倫で謝る姿は想像しにくい。

 だが日本の場合、不倫が発覚した芸能人はとりあえず謝罪し、それを日本社会は受け入れる。不倫報道によって「平穏な日常が乱された」からだ。

 謝罪と同時に反論するというケースもある。2009年、徳島県の町長は飲食店内で女性に暴行を加えたとして2回も書類送検されたが、地検は共に起訴猶予とした。

 11年、検察審査会は起訴相当を議決。強制起訴の結果、13年2月、地裁で科料9000円の有罪判決が下った。町長は記者会見を開き、「公職にある者としてお騒がせし、ご迷惑をおかけし、おわび申し上げます」と謝罪した。

法律より世間のルール

 その一方で、地裁の判断については「不当な判決で、辞めるつもりはない」と明言した。謝りたいのか反論したいのか、町長の発言は矛盾しているように思える。

 だが、前半は「平穏な日常を乱して申し訳ない」という世間に対する謝罪であり、後半は判決という法律を巡る反論だと考えれば、少なくとも日本人は納得できる。とりあえず謝罪することと、賠償は別という考えと全く同じだ。

「こうした世間のルールは、暗黙のルールとして1000年以上前から存在しているものです。一方、近代法が日本にもたらされたのは明治維新、つまり19世紀の出来事に過ぎません。日本人にとって真に重要なルールと言えば、依然として法律ではなく世間の不文律なのです」(同・佐藤氏)

 小室氏は日本の法律事務所で勤務し、今はニューヨークの法科大学院で学んでいる。法曹の世界に身を置いていることが、文書に影響を与えた可能性もあるという。

「裁判官、検事、弁護士といった法曹家の中には、『世の中は法律で回っている』と考えている人はいます。法律は万能であり、この世のトラブルを全て完璧に解決できるというわけです」(同・佐藤氏)

天皇家という“特別”な存在

 だが世間の常識は違う。それを分かっている法曹家も、実のところ少なくないという。

「何しろ日本語には『裁判沙汰』、『訴訟沙汰』という言葉もあります。市井の人々にとって、法的なトラブルを抱えている人は、その人の主張が正しかろうが間違っていようが、それだけで問題行動なのです(同・佐藤氏)

 一方のアメリカは異なる、と佐藤氏は指摘する。

「多民族国家ですから、人々の間に暗黙のルールが成立しません。法律を制定し、それに従うことが最も合理的なのです。アメリカが“訴訟社会”になる理由の1つです」

 仮に小室氏が欧米人で、ヨーロッパの王室を舞台にした金銭トラブルであれば、謝る必要はなかったかもしれないという。

「法律論を展開し、謝罪の文言が一切ないという文書でも、欧米なら受け入れられた可能性はあります。しかし、ここは日本です。小室さんは金銭トラブルの報道が行われた際、一刻も早くまずは謝罪すべきでした。最初に謝っていれば、世論は変わったかもしれません。今でも会見を開くなどして謝罪すれば、かなり世論は軟化する可能性があるのではないでしょうか」(同・佐藤氏)

結婚と“家柄”

 秋篠宮さま(55)も指摘されたが、日本国憲法は結婚を《両性の合意のみに基づいて成立する》と定めている。

 近代法を生んだ西洋社会は個人社会であり、それが結婚にも反映されている。しかし、かつての日本で結婚は、個人と個人が行うものではなかった。家と家が結びつく要素が大きかった。

「小室さんに対する批判から、日本人はやはり伝統的な結婚観から逃れられないことが浮き彫りになりました。これは議論の対象が天皇家ということも大きいでしょう。普段なら個人と個人の結婚という考えに理解を示す人でも、小室さんの問題では結婚に反対しても不思議ではありません。何しろ天皇家は特別に別格の“家柄”を持っていると考えられています」(同・佐藤氏)

 眞子さまの結婚相手は、天皇家にふさわしい“家柄”の子息でなければならない──こうした見解に賛成する日本人は、令和の時代でも圧倒的多数だろう。

 眞子さまという女性を“法の下に平等な個人”として捉え、彼女と小室氏の合意だけが結婚を成立させる唯一の条件──こう考える日本人は少数派に違いない。

天皇と戦後民主主義

「今回の金銭トラブルは小室さんが抱えているものではなく、お母さんの問題と見なすこともできます。近代法思想の中核を占める“個人主義”を前提とすれば、小室さんは金銭トラブルと無関係であり、眞子さまとの結婚に支障はないとも言えるはずです。しかし、結婚に反対する意見は日本で非常に多い。これは天皇家と小室家の結婚と考えている人が多数を占めるからでしょう」(同・佐藤氏)

 日本の伝統的な“暗黙ルール”と、明治以来の“近代的な法哲学”の間で苦しんでいる1人が、秋篠宮さまだという。

「天皇家は戦後、日本国憲法の遵守を常に表明されてきました。しかし、同じように日本の伝統も大切にされてこられました。結婚は『両性の合意のみについて基づく』という日本国憲法の記述を、秋篠宮さまが無視されることはないでしょう。しかしながら、世論が“暗黙ルール”によって反対する理由も、よくお分かりのはずです」

デイリー新潮取材班

2021年5月4日 掲載