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2021年5月6日(木)
親を捨ててもいいですか? 虐待・束縛をこえて

親を捨ててもいいですか?
虐待・束縛をこえて

親を捨てたい…。近年、親との絶縁をテーマにした書籍の出版が相次ぎ、話題を呼んでいる。介護や葬儀の代行サービスにも関心が集まり、ある事業者には40~50代の子供世代からの問い合わせが相次いでいる。取材で浮かび上がったのは、過去に親から虐待や束縛を受けた人々が年齢を重ね親の介護に直面する現実。過去の辛い記憶が蘇るなか「親を大切に」との社会通念に苦悩する当事者たちの声とともに親子関係のあり方を考える。

※放送から1週間は「見逃し配信」がご覧になれます。こちらから

出演者

  • 信田さよ子さん (臨床心理士)
  • 井上 裕貴 (アナウンサー) 、 保里 小百合 (アナウンサー)

親を捨ててもいいですか?

「お線香を1本たむけていただいた後、ご出棺とさせていただきます」

中部地方の葬儀場。70代男性の葬儀が行われていました。喪主を務めていたのは、実は家族ではありません。亡くなった男性の家族から依頼を受けた、代行業者です。

「いま火葬場で、火葬が終わりました」

依頼した娘
「あっ、そうですか」

「(お骨は)このまま私の方でお預かりする形にしますので」

LMN代表理事 遠藤英樹さん
「死後事務と言われている手続きとか、いろいろな片づけとか、そういうものに関しても、私たちが全部やらせていただく」

介護から葬儀、納骨までの手続きを代行するというこのサービス。今、高齢の親を持つ40~50代からの相談が相次いでいるといいます。

相談者
「妻もいるし、子どももいるし、これ以上親を面倒見る余裕もないし。『親を捨てる』っていう言い方もあれですけど、どうにか出来ないのかな」

"親を捨てたい"。言葉の裏には複雑な事情がありました。

子供の頃に苦しんだ、親からの束縛や虐待。その親が高齢になり、介護や同居を迫られる中、再びその事実に向き合わざるをえなくなっているのです。


「(母といると)お母さんあのときに、私にこうしてくれなかったじゃない。恨みつらみのようなものが、ワーッと自分の心からあふれてきちゃって、止めることができないんです。その感情を」

親を捨ててもいいですか?苦悩する胸の内に耳を傾けました。

親を捨てたい 近年関心高まるテーマ

井上:「親を捨てたい」。誰しも少なからず親子関係に悩んだことがあると思いますが、この言葉、さすがにショッキングでした。ただ、実はいま、こうした考え方をする人は少なくないというのです。

保里:近年出版された本や漫画のタイトルには、「親を捨てる」、「親から逃げる」といった文言が並んでいます。どれも良好ではない親子関係について扱ったものですが、こうしたテーマにいま、関心が高まっているということです。子供時代に虐待や束縛などに苦しみ、いま高齢となった親と向き合っている人たちそれぞれが、ひと言では言い表せない葛藤を抱えている現実が見えてきました。

母親の束縛から逃れられない

母親への複雑な感情を、漫画に描いて吐露している人がいます。40代の白川さん(仮名)。

実家の母親が 去年難病を患い入院。病院に身の回りのものを運ぶなど、母親の世話をする機会が増えました。

白川さん(仮名)
「(母は)どなるし、言っていることはむちゃくちゃ。突っ込めば逆ギレする。あと手が出ます」

昔から、かんしゃく持ちだったという母親。期待に応えないと、よく手を上げたといいます。白川さんは口答えせず、いつもつらい気持ちを抑えて理想の娘を演じてきました。

白川さん
「物心がついたときから、そうなっている。なかなかそれは変えられない。いまだに親に逆らうということは怖い」

結婚後は、母親と距離を取っていた白川さん。しかし去年の入院以来、再び関係が急接近。気付くと子供の頃のように感情を押し殺し、理想の娘を演じてしまっていたといいます。

白川さん
「怖いのに、逃げたいのに、なぜか近くにいる。『そんなの逃げればいいじゃん』、『やりたいことをやればいいじゃん』って言うけど、それが出来ない精神状態。世間的にはいい親御さんなわけで、世間的ないい親御さんを自分は捨てちゃうのかという罪悪感。根っこにはずっとそれがあるので、一生取れないんじゃないかなと思うぐらい根深い。」

友人との会話でも、口をつくのは母親への悩みです。

友人
「(実家に)行かなきゃいいのにと思うけどね」

白川さん
「行かざるを得ないんだって」

友人
「そこなんだよね」

友人もまた、親との複雑な関係に苦しんだ一人。

友人
「(実家に行かなくても)死なないよ」

白川さん
「何も問題ないんだけど、自分がこんなになっちゃって、娘は顔も出さないっていう体裁が悪いでしょう?」

友人
「たぶん、すごく人の目が気になる。『子孝行してなくても、親孝行はしなさい』なんていう世の中の風潮だから、親から大事にされなかった子は困る。大事にしかたが分からない。教えてもらってないから、親から。『親孝行しなさい、それが正しい』なんていうのがなくなれば、もっと楽なのかなって思う」

虐待した親が高齢に 長期化する苦しみ

親との関係を断ち切ろうにも断ち切れず、長年苦しみ続けている人がいます。子供の頃、両親からの虐待に苦しんだ高橋さん(仮名・50代)。

高橋さん(仮名)
「帰ってきたよ」

この日、親と過ごした実家の処分に訪れていました。

不動産処分のアドバイザー
「ここのものは、全部処分して大丈夫?」

高橋さん
「ここだけちょっと自分のやつなので、あとは基本的に処分して大丈夫です」

不動産処分のアドバイザー
「ご自身でされるの限界なんで」

高橋さん
「限界ですね」

不動産処分のアドバイザー
「いっぱいいっぱいになっちゃうから」

10年ほど前、父親が心不全で他界。以来、認知症の母親の介護を高橋さんが担ってきました。

「お母さんは、いまもご存命?」

高橋さん
「おかげさまで存命で、東京のそういう施設に、病院もある施設に入ってます」

両親の虐待が悪化したのは、高橋さんが小学5年生の頃。もともと気性が荒かった父親が難聴を患い、暴力が加速したといいます。

高橋さん
「聞こえないと言って殴りましたね。こぶしで頭をガンガンで、いまだにちょっと後ろに人がいると、殴ってくるんじゃないかなという恐怖がいまもありますね。母親は言葉とどう喝というか、専業主婦でもともとお嬢様育ちだったので、母親のほうがきつかったですね、ある意味。ほんとに言葉があれなんですけど、殺してやりたいと思いました。両親とも殺してやりたいと。そういう感情はありました」

実家を出てからは、極力関わらないようにしてきました。しかし、父親の他界を機に一人っ子の高橋さんは仕事を辞め、認知症の母親と向き合わざるをえなくなりました。

高橋さん
「面倒見てやっているのに、怒り出す。そればっかりでした。憎まれ口をいっぱい、たたきますので。昔のこう、どう喝というものを、母親がまたよみがえってきて、自分も潰れるなと思いました」

虐待をきっかけに、長年患っていた、うつ病も更に悪化。現在も通院を続けています。

「親との関係を断つのは、出来ないですか?」

高橋さん
「それは捨てたいですよ。それじゃ無責任じゃないですか。すごい言葉はよろしくないんですけど、ごみだって分別しないと捨てられないじゃないですか、いまの世の中じゃ。どんなに嫌いでも、あとから後悔はすると思いますね、捨てたら。罪悪感が出て」

5年にわたる在宅介護を経て、母親は施設へ。コロナ禍の今も、高橋さんは母親の様子を気にかけています。

高橋さん
「もしもし?」

母親
「喉が痛い」

高橋さん
「あ~、ちょっと苦しそうだね」

脳梗塞を患い、今はほとんど食事もとれないという母親。

高橋さん
「痛いですか?喉、痛いですか?もう多分、分からない。分からないかな、やっぱり」

母親
「ありがとうございます、ありがとうございます」

高橋さん
「久しぶりにポジティブな言葉が出てますね」

母親
「ありがとうございます」

高橋さん
「ちなみに私にね、ありがとうなんて言ったことほとんどなかったですね」

高橋さん
「嫌な過去はいっぱいありますけど、いま苦しんでいる実際の人間がいるわけで。それに比べれば過去のことではあるので、あまりそれをいまは考えたくないです」

親と離れられない難しさ

井上:スタジオには、カウンセラーとしてこれまで数多くの親子問題に向き合ってきた、信田さよ子さんにお越しいただきました。信田さん、よろしくお願いします。

信田さよ子さん (日本臨床心理士会 理事)

信田さん:よろしくお願いします。

井上:これまでさまざまな親子の相談に乗ってこられたということですが、実際、親と離れたくても離れられない。これはどんな事情があったり、どんな難しさがあるのでしょうか?

信田さん:一つは、社会の常識でしょうか。やはり親子は切っても切れないよねとか、そういう社会の常識と、あとは親とうまくやることが私たちが大人になることだみたいなものもありますので、親から離れるのは大変難しいことだと思います。

井上:なかなかそこは、やはり離れられないですか?

信田さん:好きだから離れられないんじゃなくて、離れちゃいけないんじゃないかって思うわけです。そういう世間の常識とか、あとは自分として、人間としてどうなのかと思ったりするので、離れることは難しいと思います。

井上:まさに責任感だったり、世間体に縛られながら皆さん向き合っていらっしゃると思うのですが、そういった中でどういう対策や解決策というのは考えられるのでしょうか。

信田さん:こんな変なことを考えるのは、自分一人じゃないかって思っていらっしゃるんです。同じような人がいっぱいいる。先ほど紹介にあった本もそうですけど、日本中にたくさんの人がいるんだって思うだけで結構楽になったりします。あとは親の介護でしたらケアマネージャーさんとか、介護の方とか。例えばカウンセラーでもいいですが、第三者の専門職の人に相談してみるのもいいことじゃないかと思います。

井上:やはり第三者にオープンすることは違いますか?

信田さん:そうですね。 依存して力を借りることがすごく大事だと思います。

保里:決して一人で抱え込まないということですね。親を捨てたいと考える人がたくさんいる、これにはどんな時代背景が関係しているのでしょうか。

信田さん:振り返りますと、1990年代の半ばに「AC=アダルトチルドレン」という言葉が多くの人に共有されました。

このころに子供の虐待も日本で表面化してきて、これはどういうことだったかというと、自分が生きづらいのは親との関係に由来するんだと認めた人が、ACというふうに自分を定義する。自己定義というんでしょうか、そういう言葉だったんです。そういう言葉は日本の中で初めてだったんです。ですから、この虐待問題が出てくる、それから親との関係で生きづらかったことを言うようになった人、この人たちが25年たって、いまや介護をする世代になったということが、親を捨てたいということの背景になっているのではないかと思います。

保里:簡単に理解できるとは決して言えないぐらい、本当に複雑な親子関係における感情と向き合って苦しんでいる方がたくさんいる。その一端が、かいま見えてきた気がするのですが、ただ一方で、どんな親だとしても、例えば親が亡くなる時、葬儀の場などに立ち会うことによって、これまでの経験を整理できたりとか、何か次への一歩を踏み出すきっかけになりえないのか。そんなことも思ってしまうのですが。

信田さん:なってほしいですよね、ドラマみたいに。でも現実はそんなふうにいかないんです、なかなか。葬儀に出て、親のひつぎの顔を見ればいいというものでもなくて、むしろ親を大切にすべきとか、葬儀に出たらこれで仲よくなれるでしょ、許せるでしょ、という常識がとてもその人を苦しめる。だから出ないという人が多いです。

井上:親の死後を見届けたあとは、どういう影響があったりするのでしょうか。

信田さん:親が亡くなれば全てが終わるわけではなくて、VTRにもありましたけれど、親のことを許すかどうかっていうことと、親が何をしたかっていうの別の問題ですから。自分の記憶の中にある親からされたことっていうのは、なかなか消えないんです。ですから、親となんとかうまくやっていくっていうことと、親からされたことの記憶が全然自分の中で整理できないっていうのは、両立してしまうんです。

井上:必ずしも、「じゃあ、許す」という感情にはならないということですか。

信田さん:許さなくてもいいんです。何か表面上、うまくやってればいいだけの話ですから。

保里:親が亡くなってもなお、その心の傷、記憶の中の苦しみから逃れられないまま苦しむ。

信田さん:戦争が終わったら戦争のトラウマが消えるわけじゃないように、親が死んでも時間がかかりますね。

保里:この問題の根深さが少しずつ見えてきたのですが、今回取材させていただいた中には、介護をきっかけに親子関係を見直そうと努力している方もいました。

複雑な親子関係 介護をきっかけに変化が

関東地方に暮らす理恵子さん、55歳です。母親の認知症が進み、2年前から同居して身の回りの世話をしています。

母親
「(1人暮らしの)最後、お菓子とかしか食べなかった」

娘・理恵子さん
「お菓子とかしか食べなくなったんで、私と一緒に暮らすことになったんだよ」

母親
「そうだっけ、忘れた」

理恵子さん
「良かったね、忘れて。大変だったんだから」

母親
「でも良かったよ、ここへ来て」

かつて、母親との関係に悩んでいた理恵子さん。小学生の時、父親が借金を残し家庭を放棄。苦しい生活の中で始まったのが、母親による暴力でした。

理恵子さん
「母親もイライラすると歯を食いしばって、眉間にしわを寄せながら私をこう殴る。早く自分で生活能力を身につけて、もうここを出て、母親とはもう家族の縁も切りたい気持ちでいました。自立してからは、全然家には近寄らなくて」

そんな中、突然降りかかった母親の認知症。介護を始めた当初は、互いに怒りをぶつけ合い、衝突することも少なくありませんでした。ところがある日…。

理恵子さん
「一緒に暮らして2か月たったときに、いきなり真夜中にパジャマでやって来て、通帳と印鑑を私に渡したんです。『これで後は全部、お任せしていいのね』って言って」

その時、母親はどこかホッとした表情を浮かべていたといいます。

理恵子さん
「その母親を見て、不安だったんだって気付かせてもらった。不安でイライラしていたんだ。母親は母親で、借金を繰り返していく夫に対して借金を返さなきゃいけないし、やくざは来るし、積み上げてきた財産は全部なくしていくし、それはそれでつらかったんだなと、だんだん感じられるようになってきた。そうならざるを得ない人生背景もあったんだなと分かってきて、そこから少しずつ関わりが変わってきた。だんだん笑顔が見られるようになって、かわいい母親に変わっていった」

「昔の理恵子さんのこととか、いま覚えていらっしゃいます?」

母親
「昔?覚えてないね。覚えてないです。いろんなことがありすぎて、もう忘れることが良いことだと思ってます。まあ、ちょっと、もういい」

理恵子さん
「何で?お母さんのこと聞いているのに。昔のこと聞かれるの嫌なの?」

母親
「嫌だっていうか、もう忘れたね」

親を捨ててもいいですか?虐待・束縛をこえて

井上:関連記事からは、番組で紹介しきれなかった体験談や情報にもアクセスできます。どうぞご活用ください。

保里:信田さん、取材に応じてくださった理恵子さんは過去を忘れることはできないと、いまだ葛藤を抱えつつも母への憎しみが減りつつあるとおっしゃっています。どのように思われましたか?

信田さん:いまの言葉は、とても含みが多いと思います。お母さんは全て忘れているわけですから、そのこと自身が本当にショックはショックなのですけれど、やはりお母さんを許すことと、過去にお母さんがしたことを忘れるっていうのは全然別の問題なんです。ですから忘れられないけれど、目の前にいるお母さんとなんとかうまくやるっていうことは、この方のすごい努力だし、それはできると思いますね。許していい関係になることがゴールではなくて、いま一緒に暮らしていて、お母さんも見送れて、最後の2年はなんとか平和に暮らせたなと思い出を作ることが、この方にとってはすごく重要なのではないかと思います。それは決して許したことではないと思う。

井上:その一歩というのは、どういう意味合いが出てくるわけですか?本人にとっては。

信田さん:世間の常識からいけば、よい子供をやったと、みんな認めますよね。そしてもし彼女にお子さんがいたら、自分のお母さんは「あのようなおばあちゃんといろんなことがあったけど、最後はああやって2人で穏やかに暮らしたね」と、「介護をしたね」っていうことを示すことができる。だからいろんな意味ですごくいいことなんです。だけど彼女の中で許してるかどうかは分からないし、許すべきことだとは私は思わないです。

保里:今回こうして取材をすると、母親との関係に悩んでいる娘。こうした関係がとても多かったんです。

信田さん:母と娘の問題は、2008年ぐらいからすごく大きな問題として浮上してきて、これは女の問題だというふうにするのではなくて、私は背後にあるお父さんの問題と隣り合わせというか、裏表の関係だと思います。だから、家族の中でお父さんがほとんど機能してこなかった。うちは妻に任せとけばいいとか、母と娘はこうやってるからまあいいじゃないかと。家族の中でちゃんと父親がやるべきことをやり、責任を取り、ちゃんと自分の母が娘に過干渉しないように、ちゃんとお母さんを支えなきゃいけない。こういうことが、私は家族の歴史の中で本当に問われる時代になったと思います。そして、こういうふうにお母さんと娘の問題が出てくるのは、社会の中で相変わらず男性と女性の不平等、格差の問題があるっていうこととも無関係じゃないと思います。

保里:いま私たちが日々向き合わなければいけない、大きなテーマでもありますね。

信田さん:これから結婚される方は、そういうこと考えて結婚していただきたいです。

井上:まさに男性優位だった社会のしわ寄せが、お母さんと娘さんに来たという。

信田さん:つまり、社会の幸せは家族に行くんです。家族の幸せは女性に行くんです、妻に行くんです。そうすると妻は母となって、子供にしわ寄せをするんです。「順送りの抑圧」が家族の中で一番立場の弱い娘にあらわれるということが、この母と娘の背景にあるのではないかと思います。

井上:信田さん、本当に社会の構造だったり、固定観念がいろいろあるということなのですが、冒頭の「親を捨てたい」という重たい言葉。こういう声が出る社会に対して、どう向き合っていけばいいのでしょうか。

信田さん:聞く人が聞いたら不愉快でしょうけど、私は「親を捨てたい」と言わなきゃいけないところまで追い詰められてる人のことを思うと、本当に心が痛む。だからもし、私がカウンセラーとしてそういうことを聞いたら「いいんじゃないですか」、「親に対してNOって言うこともOKですよ」と言ってあげたいです。

井上:それはどういう理由からそう思われたのですか。

信田さん:誰もそういうふうに言ってくれないから。「親を捨てたい」、「いいですよ」なんて言ってくれないわけですから。カウンセラーぐらいは言ってあげてもいいんじゃないかと思います。

保里:ここまで苦しめられてきた人たちがたくさんいるんだっていうことを、私たちはまず、今日知ることが大事だなというふうにも感じます。

信田さん:明るく普通にその辺にいる人たちも、一歩踏み込んで聞くと本当に複雑な思いを親に抱いている。「親を捨てたい」、と思っていらっしゃるかもしれないというふうに思います。

井上:そういう意味では、その選択、それぞれですが非情な選択にはならない。

信田さん:変な言い方ですけれど「親を捨ててもいい」と言われたり、自分でも「捨ててもいいんじゃないか」って思うと、親を捨てないことが多いんです。だからすごく変な言い方しますけど、親を捨てないためには周りが「親なんか捨ててもいいよ」っていう雰囲気をつくればいいのではないかと思ったりします。

井上:信田さん、ありがとうございました。

2021年4月28日(水)
コロナ重症者病棟 家族たちの葛藤

コロナ重症者病棟
家族たちの葛藤

感染力が強い変異したウイルスによって、感染者も重症者も増加している。そうした中、患者本人だけでなく、その生死を見守る家族たちも厳しい日々を送っている。病院で面会できず、ひたすら自宅で電話を待つ日々。状況が刻々と変わるなかで、薬は?治療方針は?人工呼吸器をつけるか?家族は重い現実に向き合わなければならない。さらに、最期の時間をともに過ごすこともできないのだ。私たちが備えておかなければならないことは何か、考える。

※放送から1週間は「見逃し配信」がご覧になれます。こちらから

出演者

  • 讃井將満さん (自治医科大学附属さいたま医療センター 副センター長)
  • 井上 裕貴 (アナウンサー) 、 保里 小百合 (アナウンサー)

重症者急増 危機の中あなたは? 家族が直面する葛藤 1年の記録

家族
「おばあちゃん頑張ってね。すごい元気になっているから」

新型コロナウイルスで重症化した祖母に、毎日声をかけ続けている男性。

家族
「また元気になって旅行いこうね」

ひとつきにわたり、ずっとこん睡状態だった80代の祖母がこの日、初めて反応しました。

家族
「最近ですよね、反応してくれるのは。もどかしいですけど、一緒に直接は会いたいですけどね」

しかし、この5日後、女性は息を引き取りました。命の瀬戸際にある、重症患者が運ばれる集中治療室。私たちは、その最前線を1年にわたって記録してきました。カメラが捉えていたのは、患者や医療者だけでなく、厳しい現実に翻弄され葛藤を重ねる家族の姿。

家族
「家族がそういう状況になって、生きるか死ぬかをやると、ほんとに怖いんだな」

感染リスクがあり、長期間、直接会うことができない中で迎える家族の死。多くの家族が心の準備もできないまま、最期のときを迎えていました。

家族
「普通に退院して帰って来るんだろうというのは、ありました。まさかという感じです」

1年にわたる、重症者病棟の記録。取材に応えてくれた家族のほとんどが、まさか自分の身に起こるとは思わなかったと語っていました。

変異ウイルスが広がり、重症者が急増しています。自分は関係ないと思っていてはだめです。今こそ知ってもらいたい、当事者たちが抱える重い葛藤です。

コロナ重症者病棟 家族の葛藤 次々と直面する厳しい現実 そのとき…

主に重症患者を受け入れている、聖マリアンナ医科大学病院。先月下旬、変異ウイルスに感染した重症患者が搬送されてきました。

患者は40代の男性。変異ウイルスは重症化するスピードが早いとも言われ、現場に緊張が走りました。

聖マリアンナ医科大学病院 救命救急センター長 藤谷茂樹医師
「国内では未知な部分があるので、これから本当に危機感を抱いて、治療をしていかないといけない」

重症患者の治療にあたる集中治療室では、17床のうち9床を使用。この1週間で倍増しています。

今月上旬に入院した70代の男性。前日まで、みずから呼吸ができない状態が続いていました。この日、入院後初めて、ビデオ通話で2人の子どもと話すことができました。

「きょう(人工呼吸器が)外れたってね。さっき聞いたよ。ようやく外れて声出せてよかったね」

70代・男性
「良好にむかっているよ」

「よかった、よかった」

入院後、家族と直接会えずに話もできなかったという男性。

「入学時期の写真」

70代・男性
「入学できてよかった」

孫が大学に入学したことを、このとき初めて知りました。

70代・男性
「じゃあ元気で」

「お父さんだよ。頑張ってね」

「逆だよ」

東京大学などの調査によると、重症化したときのことを、ほとんどの人が想定できていないことが見えてきました。重症化した場合、どのような治療を受けたいかなど家族と話し合ったことがないと答えた人は、およそ9割に上っています。

重症化したとき、家族は何に直面するのか。重症者が再び急増する中、自分たちの経験が少しでも参考になればと、ある家族が取材に応えてくれました。

73歳の原口さん(仮名)です。去年4月、突然発熱して搬送。人工呼吸器をつけなければ命をつなげない、極めて危険な状況でした。

妻の加奈子さん(仮名)は、入院後すぐに病院からの電話で、事態の深刻さを知らされました。

妻・加奈子さん(仮名)
「先生も『もういいんですか?最後の会話ですよ』と言われたのをよく覚えているんです。最後の会話って…」

そのとき迫られたのが、人工呼吸器をつけるかどうかの判断でした。医師からは人工呼吸器をつけなければ、死のリスクが高い。一方で、人工呼吸器をつけて助かったとしても、最悪の場合、植物状態になることもあると告げられました。

妻・加奈子さん
「もう人生終わりにするか、あるいは寝たきりで植物状態になるかもしれないけれど、どうしますかという選択をその場でしないといけなくて、電話で」

命だけは救いたいと、人工呼吸器をつけると判断した加奈子さん。夫は何とか、一命を取り留めます。しかし、入院から1か月後、医師から重い現実を告げられます。

妻・加奈子さん
「命は取り留めたんですよね?」

医師
「はい、今の段階ではね。ただ、ひとつ大病を越えたあとだと、体が弱っていることにはかわりないので」

妻・加奈子さん
「この状況を脱したときに、普通の生活は難しいですか?」

医師
「例えば、自立して全部自分でやるという生活は難しいと思います」

自分の判断は、本当に夫のためになったのか。当時、加奈子さんは精神的に追い込まれていました。

妻・加奈子さん
「長いトンネルで出口が見えなくて、なんとも言えないんですけど。不安の先にまた不安が、困ったことに…」

入院して3か月。原口さんの病状は改善し、歩けるまでになりました。しかし、今もけん怠感や、足のしびれは残っています。加奈子さんは自分の判断が適切だったのか、今でも考え込むことがあるといいます。

妻・加奈子さん
「本当に生か死かというのを選択してくださいと、どっちにしますかみたいな形は、本当にどうしていいか分からない。何が起きるか分からないんだなというのは、しみじみ思いました」

家族が突然重症化したとき、何が支えになるのかを知ったという人もいます。
50代の石井さん(仮名)と、妻の舞さん(仮名)です。

発症する前、会社員として忙しく働いていた石井さん。去年4月、急激に悪化し救急搬送されました。

妻・舞さん(仮名)
「こんな状況におかれるなんて想像できないでしょう、この若さで。病院にいることは事実なのに、私の中ではあまり触れたくない事実というか、現実だから」

直接面会もできず不安が募る中、支えになったのは2人の娘でした。

妻・舞さん
「(病院から電話が)鳴るたびに3人でばっと(集まって)、『電話が鳴っている』って。私は怖くて『電話うけとりたくないな』って、『どうしよう』って。そしたら長女が『私が電話を受けていいよ』って、言ってくれて。本当にありがたかった」

そうした中、舞さんの気持ちを変えたものがあります。病院から、枕元に家族の写真と手紙を置けると提案されたのです。

「みんなで乗り越えようね。毎日、家から3人からエールを送ってるよ」

家族で書いたメッセージです。

当時、電話で舞さんたちの相談に乗っていた看護師。家族の支えは、治療に欠かせないと考えていました。

看護師 中村晴美さん
「お預かりしたお守りとか写真とか、手紙もベッドサイドに貼らせていただいています。そういうご家族の気持ちも伝わると思いますので、ご安心してください」

妻・舞さん
「数ある家族写真の中から、どれを持っていこうかって。3人で頭をつきあわせて、どの写真を持っていけば、パパが元気になるかなって。何ができるかわからないけれど、私たちがいるってことを見せたかったというか、ひとりじゃないよって」

一時は、生死をさまよった石井さん。5か月に及ぶ治療を経て、退院しました。

石井さん(50代・仮名)
「それ(写真)がベッドの足元のところに点滴棒に置いてあって、自分の励みになりました。まだまだ死ぬわけにはいかないという」

コロナ重症者病棟 家族の葛藤 みとりをめぐり揺れる思い そして…

1年に及ぶ記録の中には、患者の死に直面する家族の姿もありました。

「生きてくれて、ありがとうね。ありがとう。いいよもう頑張らなくて、頑張らなくていい」

息を引き取った家族に、ビデオ通話から最期のことばをかけていました。

この1年、コロナに感染し、この病院で亡くなった患者は35人。遺体はビニールにくるまれ、多くの家族は直接みとることができません。

看護副師長
「まるで"物"かのような包み方で、最期をお送りしなきゃいけない。人間の命の尊さが、どこにいっちゃっているんだろう」

家族の最期に立ち会えなかったことで、1年たっても死を受け入れられないと語る男性がいます。亡くなったのは、男性の兄・高木椋太さん(58)。世界で活躍する、シャンソン歌手でした。

去年4月、意識不明の状態で搬送された高木さん。入院してから、一度も意識を取り戻すことはありませんでした。

高木さんの弟
「まだまだ希望はあるんじゃないかなという気持ちは、ずっと持ってはいたんですけども」

闘病から25日。高木さんは息を引き取りました。感染を防ぐため、家族は病室に入れませんでした。

高木さんの弟
「最期に体に触ったりという中で、死を受け入れていく部分があると思うんです。そういう最期、本当になかったものですから」

家族は1年たっても、兄の部屋を整理できずにいます。いまだに現実を受け入れられないといいます。

高木さんの弟
「やはり死の実感がない部分がありますので、いつ帰ってきてもおかしくない気持ちはどこかにあるんですよね」

葛藤しながらも、家族の死を受け入れることができたという人もいます。先月、70代の父親を亡くした田中陽子さん(仮名)です。

田中陽子さん(仮名)
「父はボランティアがすごく好きな感じだったので、震災のときも車で。自慢の父ではあります、私の中では」

離れて暮らす2人の娘や、孫たちと会うことをいつも心待ちにしていた父親。年末にも集まったばかりでした。しかし、年が明けた1月。突然食欲がなくなり、検査したところ感染が分かりました。

田中陽子さん
「たばこも吸わないし、お酒も飲まないし、本当に今までこれといって病気したこともなかったので、絶対に大丈夫とは思ってましたけど」

しかし、入院から19日。父親の症状が悪化。自力で呼吸ができなくなり、人工呼吸器を装着することになりました。

医師
「家族との面会を、そろそろさせてあげないといけないかな」

陽子さんは、このとき初めて父親の死がよぎったといいます。

田中陽子さん
「本当に病院で息を引き取ったら、もうそこで最期。次に帰ってくるときは、遺骨になって帰ってくるって。しばらくは絶望的という感じでした」

自分たちに何かできないかと、陽子さんたちは毎日のようにビデオ通話で声をかけ続けました。

「もしもし、パパ。聞こえてないの?おーい、頑張って」

医師
「ご家族ですよ」

「頑張ってね」

このころ病院では、半年以上かけて、家族が直接みとれる仕組みを整えつつありました。最期を共に過ごせないことで、苦しむ家族を目の当たりにしてきたからです。

入院からひとつき。陽子さんは最期を直接みとりたいか、病院から聞かれますが、悩んだ末、断りました。

田中陽子さん
「"会いたい"っていう気持ちはあったんですけれど、いろいろなチューブをつけてたり、点滴を打ってたりという姿を見たことがないので、会いたい気持ちよりも、怖い気持ちのほうが強かったんだと思います」

せめて、できることはないか。陽子さんは、父親の愛用の青いシャツと、家族の写真を病室に届けました。

入院から36日。父親は息を引き取りました。知らせを受けた陽子さん。母親や姉の一家と共に、病院に来ていました。

田中陽子さん
「いま会っておかないと、本当に父には会えないよと。やっぱり母と姉も、最期もう一度会いたいと(病院に)言ったら、承諾してくださったので」

医師
「お会いしたときは、お声かけしてもらっても大丈夫ですし、手を握ってもらっても大丈夫です」

防護服を身に着け、初めて入る父親の病室。

「あら、きれい」

医師
「手を握っていただいて、大丈夫です」

「あらあら、むくんじゃったわね」

「よく頑張って。ここの病院にお世話になったもんね」

「よかったわね、長い間」

「お疲れさん、お姉ちゃんは私に任せて」

入室を許されたのは、僅か10分。

「ありがとうございました」

看護師
「お持ちいただいた、お洋服です」

「お気に入りの」

身に着けているのは、陽子さんたちが選んだ青いシャツでした。

田中陽子さん
「すごくきれいにしていただいて、今までどおりの私の知っている父だったのと、父も苦しみからも解放されたし、これで全部終わったんだというのはありました」

「じゃあ、いきますからね。もう目を開けても遅いですよ」

「ありがとう」

「みんなの声も届いているもんな」

「今度はみんなのことを、ちゃんとお空で見てもらわないと」

「じゃあまた、あちらで会いましょう」

「じゃあね」

田中陽子さん
「父に触れなかったと思うと、実際に父が他界したという思いもわかなかったでしょうし、コロナに、り患して亡くなったという父を受け入れながらも進んでいかなきゃいけないので、勇気を持ててよかったと思います」

医師
「今回は本当に力およばずで。最期、本当に安らかな顔を」

第4波のいま、重症者がさらに増えれば、こうした家族の時間は作れなくなると病院は危惧しています。

聖マリアンナ医科大学病院 救命救急センター長 藤谷茂樹医師
「第3波を超える人が入院してきた場合は、マンパワーが足りなくなってきて、心のケアまで手が回らない可能性が出てきます。ぜひともそうならないように、ここで第4波を食い止めてもらいたい」

重症者急増 医療の最前線で 危機の中あなたは?

保里:重症化した患者本人だけでなく、その家族も直接会えない、治療の決断を迫られる。たくさんの葛藤を抱えながら、いまも大変な時間を過ごしています。

井上:新型コロナの重症患者の治療に当たっている、讃井將満さんです。現場の状況を直接皆さんに訴えたいと、スタジオに来ていただきました。大変な中、ありがとうございます。

保里:よろしくお願いいたします。

井上:讃井さん、重症者病棟、家族と接する中でどんなことを一番いま感じていらっしゃいますか。

讃井將満さん (自治医科大学附属さいたま医療センター 副センター長)

讃井さん:この病気、ご家庭にいらっしゃる間に感染をした、急に悪くなって入院が必要になる、結果、人工呼吸が必要になるということがしばしば起こります。そうしますと、家族としては不意を突かれるような状況になると思います。
さらに入院した後、会う時間や接する時間が非常に限られているので心の準備ができない。さあ、どうしようといったとき、ご家族がみずから感染させてしまうような場合もありますし、患者さんが飲食、それから旅行などに行くのを止められなかったとか、そういう状況もあるかと思います。そうすると非常に後悔とか、自責の念が強くなるのではないかと思います。

井上:そしていま、変異ウイルス重症化が早いとも言われていますが、家族にどういう影響があるのでしょうか。

讃井さん:やはり比較的若い層の方が急激に悪くなって、入院が必要になる方が増えています。ご自身のパートナーであったりとか、あるいはお子さんかもしれないと。そういう場合には、やはり高齢者が悪くなる場合に比べると、家族としての心理的な負担というのは大きくなるのではないでしょうか。

保里:感染が確認されて亡くなった人、1万人を超えました。急激に症状が悪化して亡くなる人がいる中で、心の負担が大きくなる、家族に対するサポートも必要だということですね。

讃井さん:そうですね。患者さんだけでなく、ご家族の心のケアも必要です。非常に不安定な心の状態に置かれてしまいますよね、ご家族が。ですから、ご家族自身への心のサポートというのも、われわれの1つのタスクだと思います。

井上:重症者ですが、全国で増加していて、いま900人を超えています。僅か1か月で、3倍に増えています。前の波よりも、早いペースでグラフも上がっています。

こうした中で、讃井先生に家族で話しておいてほしいことをまとめてもらいました。まずは治療に必要な情報として、既往歴や飲んでいる薬、かかりつけ医について。そしてふだんの運動、食べ物の好みや、飲酒やたばこなどのライフスタイル。こういったことを話しておくということが、大事ですね。

讃井さん:そうですね。適切な診療看護を行うために、極めて重要な情報です。通常は、もし患者さんがお話しできる状態であれば、われわれからお聞きすることができますが、今回はそれがかないません。この状態になったときに、ご家族は患者さん自身の代弁者であるべきだと思います。ですから、あらかじめふだんの会話の中で、いろいろ聞き取り調査をしていただいて、例えば簡単なメモに残すとか、そういうことを心がけていただけたらなと思います。

井上:万が一のことを想定しておく、ということですね。

保里:お薬手帳があれば、そういうものも役に立つかもしれないですね。

讃井さん:おっしゃるとおりですね。

保里:そして万が一のことを考えて、命に関わることも話すことが重要だということです。心肺蘇生するかどうか、人工呼吸器やECMO(エクモ)をつけるかなど、どこまで治療するのかということについて、特に高齢の家族がいる人には話しておいてほしいということです。

讃井さん:自分自身の命ですから、自分の「意思」ですね。もし生死をさまよう状態になったときに、どうしたいかという「意思」はすごく大事。一番大事なことだと思います。実際、人工呼吸というのはなかなか想像できにくいかもしれませんが、非常に危ない状態になったときに、機械をつけて、それでも頑張るかどうか。このことはぜひ、ご家族の中で共有していただきたいなと思います。

井上:29日から大型連休という方もいらっしゃると思いますが、こういう中でどんなことをいま訴えたいですか。

讃井さん:やはりこのウイルス、非常にわれわれの想像を超えたスピード、感染力でやってきて、知らない間に想像力の及ばないところでわれわれがやられてしまうと。そういうことが現実に起こっています。ワクチンが十分広まるまで、ぜひ皆さん、改めてお気をつけて暮らしていただければと切に思います。

井上:また、家族からどんなことばを言われるのでしょうか。

讃井さん:やはりご家族は非常に心を病んで、受け入れられなくて、長くずっと思い悩む方というのは絶対いらっしゃいます。そうならないためにも事前にぜひ、情報共有をしていただきたいと思います。