事件翌年の2004年4月、福岡拘置所にいる魏巍被告が中国の父に送った唯一の手紙。「悔」と1文字だけが書かれてあった=関口聡撮影
あれから7年がたった。魏巍(ウェイ・ウェイ)被告(30)は福岡拘置所にいる。同じ在日華人の留学生2人とともに2003年、福岡市の一家4人を殺したとして一、二審で死刑判決を受け、上告審を待つ。
記者は30日までに魏被告と9回会った。丸刈りで、銀縁のめがねをかけた魏被告は視線をほとんど合わさない。雑談では「そうですね」と少しだけ口を開くが、事件の問いにはまったく答えない。
05年の一審判決の数日後、日本人女性(67)が魏被告に面会した。福岡県に住み、キリスト教を信仰している。更生を願い、かつて別の殺人事件の受刑者を養子にした。08年に魏被告も養子にし「生きて償って」と求めている。
女性は魏被告の両親にも会い、連絡を取り合う。魏被告とは面会を重ね、手紙を数十回やり取りした。そこから浮かぶのは、ごく普通の留学生が簡単に犯罪にかかわった実態だ。直接の動機は金だが、背景に親への遠慮や友人との義理、自身のメンツがある。
■受験に2度失敗
河南省出身の魏被告は地元の高校卒業後、大連で日本語を学んで01年に来日した。貿易を勉強したかった。工芸家の父にも「近い先進国」と勧められた。福岡市の日本語学校に入り、翌年と翌々年に福岡大を受けたがだめだった。
日本に残りたいが、学費や生活費を自分で工面できない。来日から2年間で300万円以上をくれた親には「今度だけはどうしても助けを求めたくない」と頼れなかった。日本に行く直前、親族数十人が壮行会を開いてくれた。大きな期待を背負っている。このままでは帰れないが、日本に頼れる人はいない。悩む日が続いた。
そんなとき、専門学校の教室でネットカフェのチラシを見つけ、行ってみた。そこは中国だった。同胞が大勢いて、夢に出てきた中国語が飛び交っていた。「日本にいることを忘れられる。休める『港』だった」。港は、4カ月後に待ち受ける転落への出発地となる。
1歳上の中国人店長は優しかった。専門学校に掛け合って授業料を半額にしたうえ、学費にと30万円を貸してくれた。店長は兄に思えた。いまも「『恩』の一言しかない」と養母あての手紙に書く。
■面目のため凶行
店長を慕う中国人の中に王亮(ワン・リアン)・受刑者がいた。魏被告は、店長の紹介で王受刑者と知り合い、王受刑者と同居していた楊寧(ヤン・ニン)・元死刑囚と友人になった。その後、店長らと強盗や盗みをした。最後に一家を殺して約3万7千円を奪った。魏被告の取り分は1万円だった。
王受刑者と楊元死刑囚は事件前、帰国を考えていた。王受刑者は「たくさんのお金を私にかけてくれた親に申し訳ない。せめて少しでも金を持ち帰ればメンツが立つ。楊も同じ思い」と供述した。その手段に強盗殺人を選び、「2人では足りない」と魏被告を誘った。
「命で謝罪するつもりです。足りないことはわかっていますが、これ以外にできることがありません。何ができるかわからず悩んでいます」。魏被告は養母への手紙にそう書くが、事件には触れない。拘置所で面会した父(56)に対しても同じだ。床に正座してうつむき、一言も発しなかった。
父は「息子の命を救うことは望まない。最大の希望は事件の真相を知ることだ」と語る。利用されやすい、悪い仲間と知り合った――。思い当たる理由はある。だが息子からは「悔」と1字のみ書かれた手紙が1通来ただけだ。
養母も自らの言葉で事件を語るよう求める。だが1月に届いた手紙で「お母さんが別の道に導かれようとなされても、なかなか望み通りに行けません」と拒む。
事件被害者の遺族の1人は「寝ている孫まで殺した。これほどひどい事件を普通の留学生が起こしたことに納得できない」と話す。この憤りと疑問にも答えていない。(河原一郎)
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〈福岡一家4人殺害事件〉 2003年6月、福岡市東区の衣料品販売業松本真二郎さん(当時41)と妻(40)、長男(11)、長女(8)が魏被告ら3人に殺された。王受刑者と楊元死刑囚は逃亡先の中国で、中国の捜査当局に拘束された。中国の裁判所で王受刑者は無期懲役、楊元死刑囚は死刑が確定。死刑は05年7月に執行された。魏被告は福岡県警に逮捕され、一、二審で死刑判決を受けて上告中。